8月6日のヒロシマと、9日のナガサキは、誰でも知っている。
でも、「原爆模擬爆弾」というものの存在は、実際に被害にあった地域の、
限られた人しか、知らないのではないだろうか。
実はわたしも、つい最近まで、知らなかった。
原爆模擬爆弾というのは、
米軍による人類初の原爆投下を成功させるための投下訓練と、
爆発後の放射線から逃げるための急旋回の訓練を目的として、
1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、
1都2府15県29市町(現在の自治体数)の44目標に49発が投下されたのだそうだ。
これにより、約420人が死亡、約1200百人が負傷したらしい。
しかも、模擬原爆と判明したのは1991年ことだとか。
勿論、模擬爆弾だから、中身は原爆ではなく普通の爆弾だったそうだが・・。
先月、7月20日に、
ひょんなことから市民ミュージカルの手伝いをする「はめ」になった。
舞台裏で「ドレミの歌」をキーボードで弾けばいい、という内容だったし、
開演は夜だからということで、気軽に引き受けた。
ミュージカルの内容なんて、勿論知らずに。
台本を読んで、びっくりした。
それは、当市に落とされた原爆模擬爆弾で亡くなった少年の追悼と、
その事実を現代の子どもたちに語り継ごうという目的のものだったのだ。
7月20日は、その少年の命日なのだ。
ミュージカルは、その少年のお墓があるお寺の本堂で行われた。
そのお寺には、爆弾の破片が今も保管されている。
ミュージカルは今年で3回目になるのだそうだ。
台本を書いたのは、数年前に当市に勤務していた、ある企業の支店長さん。
きっかけは、飲み会での話題だったそうだ。
支店長さんが、「この街は空襲の被害がないからねぇ。」と言ったところ、
いや実は、これこれこうで、1人亡くなっている、
しかも、肝腎の当市民にも殆ど知られていない、と聞いたことだそうな。
初日の練習が終わって帰宅してから、母に尋ねてみた。
この街でも亡くなった子どもがいたらしいが、知っているか、と。
戦争を体験している母も、知らなかった。
母はその当時、爆弾が落とされた地区から5~6キロぐらい離れた所に住んでいた。
爆音も地響きも、ものすごかった、という。
でも、当時の地元新聞には、爆弾を落とされるも、被害は極めて軽微なり、
としか報道されなかったそうだ。
母いわく、おそらく当時は、不名誉なこととして伏されていたのだろう、
ということだ。
事実、その少年の葬儀は身内だけの密葬だったらしい。
こういったことが、大なり小なり、日本各地であったのだと思う。
原爆が恐ろしいものであることは、日本国民なら誰もが知っている。
でも、果たして、広島県民・長崎県民以外の人達のどれだけが、
「自分に近いこと」として認識しているだろうか。
もしかしたら、「遠く離れたところでの出来事」とつい思ってしまうことはないだろうか。
原爆投下地出身の、さる元大臣までもが、「しようがない」などど発言する始末である。
恥ずかしいことに、私も、わかっているつもりで、わかっていなかったと思う。
争い事をなくすのは、不可能なことだ。
さまざまな人種・宗教の違い・利権のからみはなくならない。
そもそも動物には、闘うという本能がある。
これは人間とて同じこと。
でも、「戦争」をなくすことは、不可能ではない。
武力を用いずに、争えばいいのだ。
そして、そのために大事なことは、教育なのだと思う。
「教育と農業が滅びると国家が滅びる」
と言ったのは、司馬遼太郎さんだったっけ・・・。
でも、「原爆模擬爆弾」というものの存在は、実際に被害にあった地域の、
限られた人しか、知らないのではないだろうか。
実はわたしも、つい最近まで、知らなかった。
原爆模擬爆弾というのは、
米軍による人類初の原爆投下を成功させるための投下訓練と、
爆発後の放射線から逃げるための急旋回の訓練を目的として、
1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、
1都2府15県29市町(現在の自治体数)の44目標に49発が投下されたのだそうだ。
これにより、約420人が死亡、約1200百人が負傷したらしい。
しかも、模擬原爆と判明したのは1991年ことだとか。
勿論、模擬爆弾だから、中身は原爆ではなく普通の爆弾だったそうだが・・。
先月、7月20日に、
ひょんなことから市民ミュージカルの手伝いをする「はめ」になった。
舞台裏で「ドレミの歌」をキーボードで弾けばいい、という内容だったし、
開演は夜だからということで、気軽に引き受けた。
ミュージカルの内容なんて、勿論知らずに。
台本を読んで、びっくりした。
それは、当市に落とされた原爆模擬爆弾で亡くなった少年の追悼と、
その事実を現代の子どもたちに語り継ごうという目的のものだったのだ。
7月20日は、その少年の命日なのだ。
ミュージカルは、その少年のお墓があるお寺の本堂で行われた。
そのお寺には、爆弾の破片が今も保管されている。
ミュージカルは今年で3回目になるのだそうだ。
台本を書いたのは、数年前に当市に勤務していた、ある企業の支店長さん。
きっかけは、飲み会での話題だったそうだ。
支店長さんが、「この街は空襲の被害がないからねぇ。」と言ったところ、
いや実は、これこれこうで、1人亡くなっている、
しかも、肝腎の当市民にも殆ど知られていない、と聞いたことだそうな。
初日の練習が終わって帰宅してから、母に尋ねてみた。
この街でも亡くなった子どもがいたらしいが、知っているか、と。
戦争を体験している母も、知らなかった。
母はその当時、爆弾が落とされた地区から5~6キロぐらい離れた所に住んでいた。
爆音も地響きも、ものすごかった、という。
でも、当時の地元新聞には、爆弾を落とされるも、被害は極めて軽微なり、
としか報道されなかったそうだ。
母いわく、おそらく当時は、不名誉なこととして伏されていたのだろう、
ということだ。
事実、その少年の葬儀は身内だけの密葬だったらしい。
こういったことが、大なり小なり、日本各地であったのだと思う。
原爆が恐ろしいものであることは、日本国民なら誰もが知っている。
でも、果たして、広島県民・長崎県民以外の人達のどれだけが、
「自分に近いこと」として認識しているだろうか。
もしかしたら、「遠く離れたところでの出来事」とつい思ってしまうことはないだろうか。
原爆投下地出身の、さる元大臣までもが、「しようがない」などど発言する始末である。
恥ずかしいことに、私も、わかっているつもりで、わかっていなかったと思う。
争い事をなくすのは、不可能なことだ。
さまざまな人種・宗教の違い・利権のからみはなくならない。
そもそも動物には、闘うという本能がある。
これは人間とて同じこと。
でも、「戦争」をなくすことは、不可能ではない。
武力を用いずに、争えばいいのだ。
そして、そのために大事なことは、教育なのだと思う。
「教育と農業が滅びると国家が滅びる」
と言ったのは、司馬遼太郎さんだったっけ・・・。