6月21日(金)
興味を持って続けてきた日本史のカルチャーセンターを一つ止めた。田遊びとか満願上人の実像とか、恐らく普通の日本史の授業では語られない生の歴史事実ともいう話が聞けて大変面白かったのだが、先生が時折語る左翼思想に愛想が尽きたのと、私のような初学者はやはりもっと概説的な話で例えば日本人の宗教意識とかの、ぼんやりでも全体像をつかみたいとの、思いがしてきたからだ。
先生の左翼思想であるが、今は少し違うようだが、昔は仲間内で「天皇制反対」と言わなければ生きてゆけない雰囲気のものであったそうだ。親が創価学会員だから自分も自然とそうなったという人を知っているが、先生の左翼思想の発端はそんなものだったと思う。そこに学者という社会人としての限定的な生活を続けて、部分的だけの「正しい」知見が塗り重ねられていって、世の中を歪んで捉えるようになったのであろう。
例えば先生は昭和36年の生まれらしいが、昭和36年などという年はないと言うのだ。つまり当時元号法がないから、その当時には昭和という年は正式にはないとの論だ。典型的な学者馬鹿というか学者の限界を示す見解だ。私も彼が真面目に言っているとは思わないが半分本気であろう。学者は観念は現実よりも小さいという真理を無視したがる。そしてそのうち、構築された観念が現実だと逆転させる。構築された観念なら良く知っているが現実は何も知らないから、人は知っている方に馴染むものだ。
先生の観念は、戦前日本が分をわきまえず肥大化に走ったから、国を誤ったというものである。その点戦後の日本はじっと縮こまって良い時代だった。だからこれからも日本は小日本国で行けば良い、安倍は戦前に帰りたがっていると非難するのである。こういう人は本当に現実に無知だと思う。小日本にしても、彼らが思い描くのは、近代化した姿の日本であろう。まさか江戸時代の日本ではあるまい。ではひとたび近代化の方向を取ったなら、それを発展させずに、居られるものなのだろうか。小日本のままでいようとしたら、決して小日本は維持できず、貧か植民地日本になるのが落ちだろう。出発点が定まったらその後の軌跡も決まるのだ、途中で都合よく変えられたりするものではない、そこがどうしても分からないのだろう。何故分からないのか、学者の世界に閉じこもって世の中を知らないからである。
興味を持って続けてきた日本史のカルチャーセンターを一つ止めた。田遊びとか満願上人の実像とか、恐らく普通の日本史の授業では語られない生の歴史事実ともいう話が聞けて大変面白かったのだが、先生が時折語る左翼思想に愛想が尽きたのと、私のような初学者はやはりもっと概説的な話で例えば日本人の宗教意識とかの、ぼんやりでも全体像をつかみたいとの、思いがしてきたからだ。
先生の左翼思想であるが、今は少し違うようだが、昔は仲間内で「天皇制反対」と言わなければ生きてゆけない雰囲気のものであったそうだ。親が創価学会員だから自分も自然とそうなったという人を知っているが、先生の左翼思想の発端はそんなものだったと思う。そこに学者という社会人としての限定的な生活を続けて、部分的だけの「正しい」知見が塗り重ねられていって、世の中を歪んで捉えるようになったのであろう。
例えば先生は昭和36年の生まれらしいが、昭和36年などという年はないと言うのだ。つまり当時元号法がないから、その当時には昭和という年は正式にはないとの論だ。典型的な学者馬鹿というか学者の限界を示す見解だ。私も彼が真面目に言っているとは思わないが半分本気であろう。学者は観念は現実よりも小さいという真理を無視したがる。そしてそのうち、構築された観念が現実だと逆転させる。構築された観念なら良く知っているが現実は何も知らないから、人は知っている方に馴染むものだ。
先生の観念は、戦前日本が分をわきまえず肥大化に走ったから、国を誤ったというものである。その点戦後の日本はじっと縮こまって良い時代だった。だからこれからも日本は小日本国で行けば良い、安倍は戦前に帰りたがっていると非難するのである。こういう人は本当に現実に無知だと思う。小日本にしても、彼らが思い描くのは、近代化した姿の日本であろう。まさか江戸時代の日本ではあるまい。ではひとたび近代化の方向を取ったなら、それを発展させずに、居られるものなのだろうか。小日本のままでいようとしたら、決して小日本は維持できず、貧か植民地日本になるのが落ちだろう。出発点が定まったらその後の軌跡も決まるのだ、途中で都合よく変えられたりするものではない、そこがどうしても分からないのだろう。何故分からないのか、学者の世界に閉じこもって世の中を知らないからである。