スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(象徴天皇制限界か?)

2021-11-23 09:18:56 | 日記
11月23日(火)
 真子さんの結婚には相当のパッシングが流れた。それは400万円は借金でないと言い張ったり、労災詐取疑惑とか色々と黒い噂の絶えない母親なんかがいる男は、内親王の結婚相手にふさわしくないという理由からだ。これが庶民なら母親と息子の人格は別だとか、母親と結婚する訳ではないとかの観念が働いて、周りからの、結婚に反対する動きなど起きないものだ。御勝手にという事だ。
 所が象徴となるとそうはゆかない。国民が等しく好ましく思うから、象徴になれる、そういう存在だからだ。相手が貸したと言うなら素直に応じろ、李下に冠を正すようなことはするな、それが日本人だというのが、国民が等しく好ましく思う姿なのである。だからそれに反した息子なんかと結婚するな、との合唱になる。現在の上皇陛下も象徴天皇とは何かと、ずいぶん悩み模索された事と思う。その結論が日本人が心の一番奥に描いている好ましい人間像を、自分が演じる事であったと思う。それは何事にも真剣に、誠心誠意物事に接しているという、態度を見せることである。いちいち正座して被災者を見舞う、どんな夜中であろうとも決められた通りに手抜きせず儀式を行う、国民の安寧を願う発言をする、などであった。
 象徴とは一種神のようなもので、そこには国民の思いが注ぎ込められ、凝縮されているのだ。自分の意思で行動できない存在なのだ。だから象徴になる人は特殊な人間でなければ、勤まらない。真子さんは学習院ではなく国際基督教大学へ進学した。そこから、特殊な人格ではなく、普通の人間としての人格を求める意識を、ずっと強く持ってきた人のように思われる。だから象徴としての振る舞いよりも、あばたも笑窪の振る舞いを、選んだのであろう。
 かって皇室は分厚いベールに包まれていた。そうしないと人間が神を演じるという、特殊な作業が続けられなかったからである。今や開かれた皇室である。開かれた、つまり普通の人間に、象徴になれとは、出来ない話だと知るべきだ。天皇制の将来など私に分る筈はないが、国民の人格とか自意識が発達した現代にあっては、ベールで包むやり方は通らないだろう。天皇は自身と神を分離して、自身は神を祭る神官というふうに役割分担を果たさないと、続かないように感じる。

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