スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(韓国の宿痾2)

2019-09-30 16:05:23 | 日記
9月30日(月)
 例えば大学に行かなかった人が会社員になって、40才位になって、昇進も昇給もしない自分に気が付いたとしよう。その原因を大学に行かなかった自分の過去に求めることは正しい観察であろう。問題はではどうするかである。過去は消しようがないから、現在を頑張るしかないではないか。学歴を重視しない他の会社や業界に移るとか、本当に昇進や昇給の遅れが学歴が無いからなのかそれとも案外自分の能力不足の為なのかと、真剣に問い直してみるのも手であろう。いずれにしても過去を悔やんでも良い生活は生まれない。今頑張るしかない、大抵の日本人はそう考えるだろう。
 ところがそれは日本がそんなには学歴重視の社会ではないから言えることだ。韓国がもし百パーセントに近い学歴社会であったら、今頑張ろうとの気は、余程優れた人でない限り起きない。残された道は学歴社会を呪う事か、悟りを開いた仏僧のように社会から精神的に飛び出すしかないであろう。
 私は韓国の歴史は小学校程度の読み物を一度読んだ事があるくらいにしか知らないが、一言で言って悲惨な、誇るべき事績のない歴史だなあ、まともに韓国史を勉強したら誰でも韓国人であることが嫌になるような歴史だとの、感慨を持った。ここから生じるものは、現在をいじれないとの、諦めである。歴史は決まっている、自分が幸せになるかどうかは良い流れる乗れるかどうかだとの、意識である。
 自分の力で現在が変えられない以上現在の不幸の原因を、過去の出来事に求めるのも、自然な成り行きだ。恐らくこれが韓国人の宿痾となって、流行り風に言えば民族の遺伝子となってしまったのだろう。
 状況が悪くなったら過去の出来事を糾弾する、それで状況が正されたような気になってしまうのである。事実は状況は何も変わっていない。しかし糾弾したことで変わった気になってしまうのだ。この人間心理は普通の人にもある。あなたも健康器具を買って、使わず、ほかっているだろう。買ったことで健康になった、まあ錯覚をしているのだ。私の母も老後に墨絵の道具一式を買ったが、ついに段ボール箱を開くことがなかった。買ったことで気分が満たされたのだろう。
 健康器具や墨絵の道具なら罪がないが、韓国人は現実の政治問題も、過去を糾弾して正されたとの錯覚をしてしまうのだ。まさに宿痾である。
 だから真剣に、日本の植民地支配を、懲りもせず糾弾し続けるのだ。これは永続する。何故なら韓国はこれからも上手く行かないだろうから。だから韓国と仲良くする事があってもそれは例外的な事項なのだ。
 ここで一言注意すると文はこの錯覚で日本攻撃をしているのではない。文にはもっと明確な目的がある。南北統一し、自分が最高指導者になって(三代目を排除して)、統一朝鮮を偉大な国家にすることである。文の具体的な筋書きは良く分からないが、その為の反日反米であり、南北会話である。恐らく直近の目的は在韓米軍の撤退ではないか。
 

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