スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(西安事件理解できる)

2020-06-26 13:20:18 | 日記
6月26日(金)
 西安事件を初めて聞いた時、何で蒋介石は監禁された時の約束を守ったのか、理解出来なかった。最近少しばかり知識が深まったので、ある程度は理解できるようになった。
 西安事件は昭和11年12月12日に起こっている。この直前の11月25日に、日独防共協定が結ばれた。それまで蒋介石は日本とは小康を保ち、ドイツの援助を得て共産党を撲滅する政策を取っていた。そして撲滅寸前の所まで来て、督戦の為に西安に来たところを、張学良の裏切りで共産党に捕らえられた。このころ蒋介石の胸には、ドイツの援助は早晩なくなるだろう、共産党は根絶させたとして次に日本との戦争となるが、外国の援助なしには日本に勝てない、さてどうするとの思いが、去来をしていただろうと想像するのだ。
 そこでソ連が、私が替わりを務めましょうと、申し出たのだ。
 蒋介石にとっては渡りに船だがソ連の援助を受けるとなると、共産党は潰せない。せっかくいい所まで来ているのに生き延びさせては、将来の禍根となる。またソ連の魂胆は、中国と日本を戦わせて、日本軍がソ連に攻めてこないようにさせる所にある。だからソ連は援助してくれても、日本に軍事的圧力をかけて助けてくれる事まではしないだろう。これではまるでソ連の代理戦争をさせられるようで、馬鹿らしい。アメリカかイギリスが本格的に援助してくれるのが一番望ましい。アメリカなら太平洋から軍事的圧力をかけて、日本の動きを止めてくれるだろうにと、ずいぶん悩んだことだと思う。
 しかし囚われの身である。とりあえずはソ連の申し出を受けないと、命の危険がある。そこで国共合作を約束し南京に還ったが、イギリスとアメリカの援助もさしたる進展を見せず、そうこうするうち共産党に支那事変を起こされて、結果的に西安事件の約束を履行してゆく動きになったのだと考える。