建築・環境計画研究室 (山田あすか)

東京電機大学未来科学部建築学科

2019建築学会大会・建築計画部門研究協議会プレゼ「利用縁コミュニティを生む拠点のつくり方」2/2

2019-09-04 18:22:34 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

初めて,記事の文字数上限を突破しました・・。続きです。

 

 (この記事に使用している図・文章の無断転載はご遠慮ください。通常ルールに則った引用・参照はもちろん大歓迎です。引用の際のreferenceは,「2019年度日本建築学会大会(北陸)建築計画部門研究協議会資料」としてください)

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2)オープンであること

そこが開かれた場所であること,利用者属性やタイミング等に対して開かれた事業であることは,利用者の拡大や,そこに関わる人の多様性を増すために重要な要素である。例えば先出の山草二木西圓寺は,まずは地域住民のための拠点としてつくられた温泉施設やカフェ,福祉サービスの拠点であるが,外来者を拒まないオープンな運営によって今や観光地ともなり,また外からのその集落への移住のきっかけにもなっている。他の例として,オフィスを地域に開いたJOCA大阪や行善寺では,スタッフがノートパソコンを開いて仕事をする同じ空間に(時にはスタッフが場所を譲って)お年寄りやこどもなどを含む多様な地域の人々が訪れ,めいめいがマイカップでコーヒーを煎れてただ居ることや集まることを楽しむ,オフィスでありながら地域にとっては公共性をもった集まりの場となっている。

 

3)異なること=特徴があること

従来の地域公共施設の整備においては,平等性の観点から複数設置される施設の機能,スペックが同じであることがしばしば尊重されてきた。それは,最近隣選択を前提とする計画にも根ざしている。しかし,例えばある町の児童館の利用実態として,最近隣選択には拠らず,それぞれの館の特徴(屋内遊戯場が充実している,本が充実している,など)によって町内からそれぞれ選択的に利用を集めている,こうした利用行動は全く珍しくない。それぞれの場所がもつ「選ばれる要素」をは利用者の共通項とも関連し,利用縁の形成においてはむしろ差異は有利にはたらく。

 

4)生活における蓋然性をもつこと

人がそこに集うための要素として重要である遊ぶ・学ぶ・働くという日常的な活動ももちろん,コミュニティを形成しているが,利用を拡げる,そして安定させるためには,そこが日常生活に埋め込まれていることが有効である。衣・食・住という生活の基本機能は,そこを利用する理由としてはたらく。シェアハウスやコレクティブハウス,住み開き,一時的な「住」としての滞在施設,コミュニティレストラン,カフェ,こども食堂,ランドリーカフェ,これらは衣食住=生活を共有する場,「ライフコモンズ[1]」による利用縁コミュニティの起点となっている。



[1]主体的な学びの場,また学びの支援のための物理的・人的資源が整えられた空間「ラーニングコモンズ」になぞらえ,衣食住(+遊学働)を共用する場,また衣食住の支援の要素が提供されるシェアされる場を,筆者はライフコモンズと呼んでいる。

 

5.まとめ

「施設から事業拠点へ」「つくるから使うへ」「血縁・地縁から利用縁へ」の3つの“変化”についてまとめてきた。

今日,一定の質が保障された施設がすでに全国につくられ,ノーマライゼーションと個の尊重によって施設の住まい化が進み,同時に「施設」によるサービスが独立した事業として生活の場を含む社会のすみずみまで展開していこうとしている。また,生活の外部化が進み,人の生活は様々な場における時間や経験の総体として捉えられ,人の生活は住まいの中だけに納まるとはもはや認識されない。地域公共施設の将来を考える段においても,「住まい(生活の中心的拠点)」と「それ以外の場所(生活の部分/生活への支援の拠点)」「住まうを支える事業の対象範囲」はすでに不可分といえる[1]。「地域」はより広域を意味し,「公共」は公/民の別を問わず,人々が集まる場はある種の公共性を有し,事業拠点としてのポテンシャルをもつ。「施設」から自由になった事業は複数の事業での利用の相乗りなどの可能性を拡げる。日常生活に埋め込まれた,オープンな「ただ居ること」ができる場所は,混在を誘発して偶然の出会い性という魅力をもたらし,選択的に利用される場所となる。それらの場所には,「利用縁」によるコミュニティが形成される。利用縁は地縁や血縁を超えて互助の歯車の基軸の一つとなり,また地縁が結ばれなおす要素ともなる。これからの地域施設が担う役割の一つには,このような利用縁コミュニティが複層に渡って形成されていくため多様なグループが利用できること,また機能や場所をきっかけとしてグループが生まれること,を支援できる拠点性が期待される。



[1]従来,計画系分野での研究視点の表現語彙として,吉武泰水先生系の施設研究では「使われ方研究/調査」,西山夘三先生系の住宅研究では「住まい方(住み方)研究/調査」が使われていた。これらには意識的または無意識的に,施設の使われ方と,人々による住宅の住まい方,のように主体の差異を読み取れ,興味深い。

 

また,利用縁,利用縁コミュニティは,「結果として生じる」ものと理解することが大事だと思っています。

関わりを作る,コミュニティをつくる,関係性それ自体を(外部の専門家が)設計の対象とすることは,これからのニーズや地域運営の実態にそぐわないと考えます。

例えていうなら,関わり(互助)を期待して,人々を強制的に結婚させることは多くの場合不幸を生みます。お見合いもいいのですが,現代的にやるなら合コンの設定でしょう。もちろん,合コンにも工夫が必要です。

・誰に声をかけるのか(利用者の想定)

・参加者のことをよく知り(利用者のニーズ,利用者像の把握)

・お互いにキーとなる話題を振り(興味関心が発露・喚起される状況)

・集まりやすいところに素敵なお店を予約したり(アクセシビリティに配慮した場所・拠点の設定)

あるいは

・BBQなどの共同作業の機会(活動や状況)

を設けるなど・・場所・状況・仕組みをつくる ことで,関係性が生まれやすくすることはできると思います。

建築・都市の専門家のデザインの対象は,アフォーダンス(環境と生物の間に生じる関係として引き出される行為)ではなく,シグニフィア(アフォードするもの・要素)である,とも言えると思います。

アフォーダンスは,生物のモード(お腹が空いているとか,隠れたいと思っているとか)によっても異なるもので,モードに応じた価値が見出されるセッティングがデザインされることをお手伝いしたいなと思います。

と,そこまでが協議会でのお話だったのですが,帰りながら,モードを変えるようなデザインがあり得るかどうかということも,考えました。うーむ,どうだろう。それは実現としてはともかく,まずは思考実験として面白いと思う。うーむ。

 

 

アフォーダンスとシグニフィアについては,こちらを。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 単行本 – 2015/4/23
D. A. ノーマン (著), 岡本明 (翻訳), 安村通晃 (翻訳), 伊賀聡一郎 (翻訳), & 1 その他

生物のモードについては,こちらを。

生物から見た世界 (岩波文庫) 文庫 – 2005/6/16
ユクスキュル (著), クリサート (著), Jakob von Uexk¨ull (原著), & 2 その他

 

 

 

 

 

 

 

 

研究協議会は研究発表会ではないので,研究としての完成度を云々するところではないと思っています。荒削りでもなんでも,考えていることを交換して(=協議),お互いに刺激を得よう。話している間にどんどん新しいアイディアが出てきたり,発見があったりする。聴講者として参加する場合でも同様に(質疑応答の時間もありますし)。そういう場だと思っています。

こちらの内容にも,まだそこまで言えないのではとか,根拠はとか,荒削りだと思いますが,とにかくまず出してみて,そこからつながる意見交換の機会があれば幸いと存じます。

あと面白いのは,自分はあまりこの種の寄稿依頼に積極的に協力してきた方じゃないのですが,いくつかの研究論文等を別の視点で横串を通したりの「レビュー」の側面があることだと思います。博論は,複数の論文成果を一つのストーリーとして編み上げ直すものですが,そういった「個々の論文を超えた視点」を持つ,それもまた研究協議会や研究懇談会への参加の意義かと思います。いわば大人のミニ博論かなと。

(自分はずっとこちらの方面の優先順位は高く据えてきていないので言いにくいのですけど,やってみたらこれは大事なんだな〜と思いました。もし機会とお時間がありましたらいかがかなとお勧めします。他にやることで手一杯なのに,無理に時間を捻出するようなことではないと思いますが)

 

 

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2 コメント

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Unknown (山田)
2019-09-12 22:23:21
〉博論は,複数の論文成果を一つのストーリーとして編み上げ直すものです
→今はそういうものなんですね。
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Unknown (yamada)
2019-09-17 09:42:01
課程博士はそうだと思います,多くの場合。
「査読付き論文」が必須の要項になっていれば,多分にして「査読によって論文的お作法の妥当性がある程度保証されている」パーツを元に(一部にして)博士論文の全体を組み上げることは一般的だと考えます。

論文博士の場合(この方式は文科省の指導では無くなる方向ですが),またかつての東大のように査読付き論文があることが学位審査の予条件でない場合は,査読を経ない,大論文が最初から組み上がって出てくることもあるのかもしれません。
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