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 「帯解寺」(おびとけでら)

2012年01月20日 20時38分59秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 奈良市南部にある、皇室縁の安産祈願のお寺「帯解寺」を訪ねた。
 「戌の日」には安産祈願の妊婦さんで賑わうそうだが、この日は静かなもので、鎌倉時代の作と伝わる本尊の巨大な半跏地蔵「帯解子安地蔵菩薩(重文)」(像高182.6cm)をじっくりと拝観することができた。

 寺伝によると、創建当初の名前は「霊松庵」で、世継ぎを授からずに悩んでいた文徳天皇(もんとくてんのう)の皇后・藤原明子が春日明神のお告げによって帯解子安地蔵菩薩に懐妊祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)を授かった。それを喜んだ文徳天皇の勅願により、天安2年(858)に伽藍が建立され、「帯解寺」と勅命したという。

 平安時代以降は、治承4年(1181)の平重衡による「南都焼き討ち」、永禄10年(1567)には松永久秀によって炎上させられるなど、災禍が続いたが、安産祈願の寺としての信仰は続き、徳川家光の側室・御楽の方が祈願し、後の4代将軍徳川家綱を授かるなど、徳川幕府の庇護も受けた。

 昭和34年(1959)の美智子皇后御懐妊の際に、安産岩田帯と御守りを献納、さらに、秋篠宮妃紀子殿下、皇太子妃雅子殿下の御懐妊の際にも、岩田帯と御守りを献納している。本堂脇の待合所の一角。ロイヤルファミリーの写真などが飾ってある。

 本堂は、安政5年(1858)に再建された簡素なもの。拝観窓口で受付を済ませ、本堂脇にある和室で少し待っていると、お坊さんがやってきて仏様などの説明をしてくれる。本堂の左右には、長谷寺式の「十一面観音像」や、江戸時代の「十一面千手観音像」が安置され、さらに、スリランカから来たという、獅子に乗った小さな「文殊菩薩像」や、振り上げた小槌の上にもう一人の大黒天が乗っている「大黒天像」なども祀っている。
 
 表門をくぐってすぐにある手水鉢は、寛文2年(1662)に第四代将軍・徳川家綱が寄進したものという。

 所在地:奈良市今市町734。
 交通:JR桜井線「帯解寺駅」下車、徒歩3分。



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