「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「菅原天満宮」(すがわらてんまんぐう)

2012年01月14日 07時49分29秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 創建の由緒は不詳であるが、平城宮跡の東側、菅原の地に鎮座する延喜式内社で、祭神として天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿弥(のみのすくね)、菅原道真(すがわらみちざね)の3神を祀る。当社の略記によれば、天穂日命は野見宿弥の始祖のとされ、菅原道真は野見宿弥の17世の子孫とのことであり、この菅原の地は土師氏(野見宿弥が垂仁天皇より賜った姓)の本拠地で、「菅原」という地名は平城京が造成される以前より存在し、元明天皇が和銅元年(708)9月藤原京からこの地に行幸し、平城宮予定地を視察している。

 当社は菅家発祥及び生誕の地といわれ、菅原道真ゆかりの神社として、終焉の地「太宰府天満宮」と京都「北野天満宮」の3宮を最も重要な神社として位置づけているが、全国にある天満宮と比較してもその規模は小さい。

 当地は菅原道真の生誕の地であるとの伝承があり、「道真の母が菅原氏の本拠であるこの地に戻って道真を出産した」と伝えられている。神社の東東100mの所にある池(現在は「誕生池」と呼ばれる)の水を産湯に使ったとも伝わる。

 「大和志」も「今称天神」と記し、現在でも「菅原の天神さん」と呼ばれている。社伝によると、文亀年間(1501-04)には兵火、元禄年間(1688-1704)火災にあう。一条院宮真敬法親王の命で寛保年間(1741-44)に再建されたというが、現社殿は菅公千年祭を祈念して修復したものである。平成14年(2002)、それまでの菅原神社から菅原天満宮に改称した。

 社宝に室町時代の絹本着色渡宋天神像があり、賛は京都東福寺・南禅寺に歴住した愚極礼才(ぐごくれいさい)の筆という。
 毎年2月25日に「おんだ祭」(お田植え祭)が催される。翁が田の雑草を引き抜き、牛を使って田を耕し、耕した田をならし、田に種まきをし、田に肥しを撒き、田を見まわして終わるもので、翁の滑稽な仕草と、牛(毎年中学生が演技)と翁の掛け合いと、若い牛の引っ張りについて行けない翁の動作など、滑稽な演技が面白い。
 また、毎年春分の日に筆供養が行われ、多くの筆が納められ賑わう。

 所在地:奈良市菅原町518。
 交通:近鉄奈良線西大寺下車、徒歩すぐ。
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