童謡「やまとの源九郎さん」に歌われている場所にある源九郎稲荷神社は、源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で知られており、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。源義経が兄頼朝の討手を逃れて、吉野山に落ちのびたとき、化身した白狐が現われ幾度となく難を救ってくれたことから、感謝を込めてこの名を贈ったと伝わっている。
小さな神社だが、日本三大稲荷の一つに数えられ、本殿に「白狐源九郎」が祀られている。五穀豊穣・商売繁盛の御利益があるとされ、4月の第1日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く「源九郎稲荷春季大祭」が行なわれる。
白狐の由来は天正13年(1585)郡山城に入った豊臣秀吉の弟秀長は、帰依した宝譽上人(ほうよしょうにん)という地元の高徳の僧から、ある夜、夢枕に立った源九郎と名乗る白狐が老翁の姿となって現れ、「われを郡山城の南に御堂を建て、茶枳尼天を祀れば祀ってくれるならば、守護神となって、城を守るであろう」と告げたと聞き、白狐を城内竜雲郭に祀ったといわれている。
また、元和元年(1615)4月、大坂夏の陣の戦いで、大野治房が数万の軍勢を率いて郡山を夜襲焼討した時には、天誉和尚が「源九郎稲荷」に祈願すると鎮火したことから、民衆の信仰は一層深まり、江戸時代には諸国からの参詣者が絶えなかったという。
現社地に遷ったのは享保4年(1719)で、現社殿は大正14年に完成したもの。
「御由緒略記」「やまとの大和の源九郎さん(社伝)」より。
所在地:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
交通:近鉄橿原線近鉄郡山駅下車、徒歩7分。
小さな神社だが、日本三大稲荷の一つに数えられ、本殿に「白狐源九郎」が祀られている。五穀豊穣・商売繁盛の御利益があるとされ、4月の第1日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く「源九郎稲荷春季大祭」が行なわれる。
白狐の由来は天正13年(1585)郡山城に入った豊臣秀吉の弟秀長は、帰依した宝譽上人(ほうよしょうにん)という地元の高徳の僧から、ある夜、夢枕に立った源九郎と名乗る白狐が老翁の姿となって現れ、「われを郡山城の南に御堂を建て、茶枳尼天を祀れば祀ってくれるならば、守護神となって、城を守るであろう」と告げたと聞き、白狐を城内竜雲郭に祀ったといわれている。
また、元和元年(1615)4月、大坂夏の陣の戦いで、大野治房が数万の軍勢を率いて郡山を夜襲焼討した時には、天誉和尚が「源九郎稲荷」に祈願すると鎮火したことから、民衆の信仰は一層深まり、江戸時代には諸国からの参詣者が絶えなかったという。
現社地に遷ったのは享保4年(1719)で、現社殿は大正14年に完成したもの。
「御由緒略記」「やまとの大和の源九郎さん(社伝)」より。
所在地:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
交通:近鉄橿原線近鉄郡山駅下車、徒歩7分。
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