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「一休寺」(いっきゅうじ)

2006年02月19日 21時47分32秒 | 古都逍遥「京都篇」
 通称「一休寺」と呼ばれる酬恩庵は元の名は「妙勝寺」といい、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明=なんぼじょうみょう)が禅の道場をここに建てたのが始まり。その後、元弘の戦火で焼失、6代の法孫に当たる一休禅師が康正年中 (1455~1456)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、恩師にむくいる意味で、「酬恩庵(しゅうおんあん)」と命名した。 禅師はここで後半の生涯を送り、81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通ったという。文明13年(1481)11月21日、88歳で示寂し、当寺に葬られた。
 
 方丈周囲の庭園で作者は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山三氏合作といわれ、北庭は枯滝落水の様子を表現した蓬莱庭園、東庭は十六羅漢の遊戯を擬えたもの、南庭はサツキの刈込みと白砂の庭とした北、東、南、3面の庭よりなる江戸時代初期の禅院枯山水庭園で名勝指定を受けている。初夏のころになると、方丈入り口に咲くボケの花が白壁に映えて美しい。
 方丈(重文) は、加賀城主前田利常公が大坂の陣の時、木津川に陣をしき当寺に参詣したおり、寺の荒廃を歎き、慶安3(1650)年に再建されたもので、内部襖絵は江戸初期の狩野探幽斎守信の筆による。
 本堂(重文)は、永享年間(1429~40)足利六代将軍義教の帰依により建立したもので入母屋造り檜皮葺、内部には釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩を祀り、山城・大和の唐様仏殿としては一番古い遺構の建造物である。
 方丈中央に安置してある一休禅師木像(重文)は、一休禅師御逝去の年(88才)、高弟墨済禅師に命じて等身の像を作らせたもので、頭髪と鬢とは自らのものを植付けられたという。
 当寺には一休禅師が作り始めたという一休寺納豆がある。糸引き納豆とは違い保存食、塩味が効いて般若湯(酒)の肴によく合う。
 所在地:京都府京田辺市薪里ノ内102
 交通:近鉄「新田辺」駅徒歩20分、JR学研都市線「京田辺」駅より徒歩15分。


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