「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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【雲龍院】(うんりゅういん)

2006年02月21日 23時28分36秒 | 古都逍遥「京都篇」
 洛東、月輪山の山麓に東福寺、泉涌寺、智積院と三有名古刹が悠然と立ち並んでいる。楊貴妃観音像が祀られていることで知られる泉涌寺のすぐ裏手に、同寺の塔頭の一つである雲龍院が ひっそりと森の陰に佇んでいる。

 泉涌寺に訪れる人は多いが、この雲龍院を知る人は少ない。私が訪れたのは、初秋の頃である。参道の砂利にまじってドングリの実が散乱し、それが玉砂利を思わせるほどあった。森の中から、四十雀であろう、ヒヨ鳥の鳴き声のまにまに可愛い音色でさえずっていた。
 山門を入るとすぐ目に飛び込んできたのが衆宝観音、真新しく歴史はなさそうだった。 その傍に「昭憲皇后御唱歌」碑があり、「金剛石もみがかずは、珠のひかりはそはざらむ、人もまなびてのちにこそ、まことの徳はあらはれる」と刻んであり、幼少の頃、歌った記憶がある。 石踏みの細長い参道を通り寺内に上がると、見事な水墨の龍が出迎えてくれ、身が引き締められた。

 本堂内はさほどの広さではないが、深緑の庭が目を引いた。まだ紅葉には早い時期であったが、 庭の中央に枝ぶりのよい紅葉が配されており、苔むした地と燃え立つ紅葉のコントラストが この世のものとは思えない景観になるであろうと、想像できた。誰も居なかった。 縁に座し暫し静寂の空気を味わった。
書院の部屋には、丸い悟りの窓と四角い迷いの窓。2つの窓を前に、しばし瞑想にふけった。雑念が走馬灯のごとく脳裏を駆け巡り悟りには縁遠く、やはり「迷い窓」の私だった。
 梅の季節や皐月の時節も美しい景観を楽しめそうだ。

 応安5年(1372)後光厳天皇によって建立。後、龍華院が建立され、徳川初期、如周宗師に よって雲龍、龍華両院を合併し、雲龍院となった。
 本尊は薬師如来(鎌倉時代の作)。応仁の乱で焼失後、文亀元年(1501)に御所の黒戸御殿を移築して再建されたが地震で倒壊。寛永16年(1639)、後水尾上皇の援助のもとに黒戸御殿をはじめ諸堂が再建された。
重要文化財の本堂は正保3年(1646)に建てられたもので、柿葺きの堂々とした建物。霊明殿には北朝天皇の位牌が安置されている。
 当院は古くから写経道場として知られ、今も本堂の竜華殿(りゅうげでん)で、参拝者たちが写経する姿をみかける。
 台所には、左足を一歩踏み出した珍しい姿の大黒像が安置され、「走り大黒」として広く親しまれているとのこと。

 所在地:京都市東山区泉涌寺山内町36。
 交通:JR京都駅から市バス、泉涌寺道下車、徒歩10分。





 
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