「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「石清水八幡宮」(いわしみずはちまんぐう)

2006年09月17日 08時01分59秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京都・京阪電鉄四条(出町柳始発・いずれの駅からでも急行で)駅から急行に揺られて30分ほどで八幡市駅に着く。ケーブルに乗って静かに男山八幡山上へと向かうと、車窓からは、桂川、木津川、宇治川の大河が眼下に見え、その三川が合流し淀川となる起点が望める。西に目を転じれば、豊臣秀吉と明智光秀の天下分け目の合戦で知られる天王山がこんもりと見える。

 終点の山上に降り立つと凛とした霊気に包まれた森と竹林に覆いつくされる。足利尊氏も戦勝祈願をし陣を張ったと伝えられるこの石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、清和天皇の貞観元年7月15日、豊前の国(大分県)宇佐八幡大神の「吾れ都近き石清水男山の峰に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙って、木工寮允良基が六宇の寶殿を建立し、翌2年4月3日神璽を奉安し創建した。

 全国に八幡社は約4万社を数えるといわれるが、石清水八幡宮は九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともにわが国の歴史上、極めて重要な地位を占めており、京都、いわゆる平安京では第一の神社としての地位を得ていた。
 神社のある男山は、京都の南西・裏鬼門にあたっており、宮中、武家からも篤い信仰が寄せられていた。

 石清水八幡宮の社号は、今なお男山の中腹に涌き出ている霊泉“石清水”に因んだもので、そのほとりには八幡三所大神が男山にお鎮まりになる以前、すでに「石清水寺」という山寺が存在したといわれている。社号は明治初年に“男山八幡宮”と改称されましたが“石清水”の社号が創建以来の由緒であることから、大正7年に再び「石清水八幡宮」と改称された。

この男山には、樹齢600~700年とも言われる楠木の大木が数多くある。御文文庫の楠木は、男山に現存する最大のもので、高さ30m、根回り約18mもある。
本殿左右にある楠木は、楠木正成によってけ建武元年(1334)に植えられたと伝えられている銘木である。

 境内より下がった広場に、エジソン記念碑がある。1879年に発明王、トーマス・アルバ・エジソンが炭素白熱電球のフィラメントの材料として、この地に生える竹の繊維が最も優れているとし、炭素白熱電球の実用化に成功した。1929年に伝統発明50周年を記念して記念碑が建立された。
 展望台に行けば、谷崎潤一郎の文学碑が立っている。大山崎から橋本(旧橋本遊郭、映画・鬼龍院花子の生涯(主演・夏目雅子)で花子が生涯を閉じた遊郭)へ渡る淀川の中洲が、小説「蘆刈」の舞台となり、男山と月の描写には幻想的な世界をかもし出していた。

 交通、京阪電鉄で八幡市駅下車、ケーブルで山上へ。
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