「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「志明院」(しみょういん)

2006年04月09日 22時54分12秒 | 古都逍遥「京都篇」
 初夏の清々しい涼風を浴びながら、緑したたる京都の西北、岩屋山へと向かった。この方面は雲ヶ畑とい、まさしく雲に近い京都の奥山である。
 志明院は「岩屋山」と号し、真言宗単立寺院である。通称岩屋不動と呼ばれ、まさに知る人ぞ知る「石楠花の自生地」でもある。 寺伝によれば、白雉元年に役行者が創建し、後、天長6年(829)弘法大師が淳和天皇の命により再興し、以来皇室の勅願所として崇敬が深く、天下の平和を祈願のため諸堂開扉の詔があり、この時「志明院」の勅願を天皇から下賜以来これを寺号にしたという。
 度々兵火や火災にあい、現在の主要建物は明治以降の再建である。本堂には空海の開眼と伝えられる不動明王を、奥院の根本中院には菅原道真の手彫と伝える眼力不動明王が安置されている。楼門の金剛力士は、右が運慶、左が堪慶の作とされている。多くの像が祭られており、日本最古不動明王顕現の神秘霊峰である。
 また、境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じこめた所と伝承される。

 本堂の奥には岩屋の滝が流れ落ち、飛竜権現の祠がある。如法大師が入山して行法を修した際、神童が飛竜となって滝壷に入ったと伝えられている。背後には弘法大師が護摩を焚いたと伝える護摩洞窟がある。歌舞伎の「鳴神」はこの洞窟あたりを舞台としたもので、鳴神上人は三千世界の龍神をここに閉じ込め、京都市中に一滴の雨も降らせなかった。だが洛中随一の美姫とうたわれた雲の絶間姫の色香に迷ったため、止雨の法力は敗れたと伝えられている。

 山門両脇に樹齢数百年と云う石楠花の大苗が迎え、山門をくぐったすぐ左の山道を入り、10分ほど登りつめたそこには自生群落が広がる。ここは京大の観察林でもあり、岩盤に根を張る特異な生態研究の場となっている。岩盤という特殊な地形での自生を間近に観察出来る場所としては貴重な存在。山門から中へはカメラの持ち込みは禁止されている。
 雲ヶ畑の地にある岩屋山は全山、巨岩怪石からなっていて数多くの洞窟がある。その山腹にある当院は、厳しい修行を積み、霊験あらたかな修験者たちによって人の身体から追い出された物の怪たちが、最後に辿り着いた砦であった。ひんやりと湿り気を帯びた山気が満ちて、龍神の棲処らしい大気に包まれている。先年亡くなった司馬遼太郎は「私が真言密教のことを知りたくて足を運んでいたころは、この寺にはいろんな怪奇があった」と記している。そして、この志明院は今でも静かに鴨川の水源地として川へ水を流してい
る。

 所在地:京都市北区雲ケ畑出谷町、電話075-406-2061。
 交通:京都市営地下鉄北大路駅下車、京都バス雲ケ畑岩屋行きで45分、岩屋橋下車、徒歩30分。

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