閑散広場の立て札

ゲームとか漫画とかについて書く、というブログであったはずですがさて・・・

写真立てを一枚部屋に

2006年12月04日 13時12分18秒 | 日々のよもやま
しまが居なくなってガランとした部屋。
この部屋は寂しすぎる、と母が言うので、そうだ、ということで、昨日はしまの写真を飾るための写真立てを買いに行ってきました。

ふぬ、しかし。
誰が始めた風習か知らないけど、これは良いアイディア。
こうやって部屋に写真を一枚飾るだけで、これほど癒されるとは思っていなかった。

今は写真があるからいいけど、これ写真なかった時代は大変だったろうなあ。
っと、なるほど。それで、形見の品、ていう風習が生まれたわけだね…。忘れたくない。でも人間の心の機能として、徐々にショックが和らいで、日々の生活の記憶の中に埋もれて、段々印象が薄れていく。
もちろんそれが普通で、そうなってくれないと困るのだけど、それでも忘れてあげたくないから、それは切ないから、思い出すためのきっかけに、生前の品を大切に取っておくんだ。

なるほどね…。俺一つ学んだ^^;


少しずつ、しまの居ない生活に慣れてきました。慣れてしまうことがそれはそれで、寂しいけど…。

PS2のRPG、メタルサーガの中で、ヒロインのこんな感じの印象に残る台詞がありました。

「人間の心って不思議ね。悲しくないわけじゃない。だけどもう涙は出ない」

ヒロインが幼い頃亡くした母のことを話していた時の台詞だったと思います。
今はそれをちょうど体感している時ですね…。


しまが居なくなって、すごく静かになって、やたらと外の音ばかりがよく聞こえるようになりました。おそらく、家の中に居る時、無意識のうちにしまの方に相当集中して、意識を割いていたのだと思います。
一日がとんでもなく長く感じていた、そんな静けさと雑音。
今日はそれが、だいぶ気にならなくなってきました。

忘れて乗り越えるなんて、そんなことは出来ません。決してやりません。
忘れなくても平気になるまで、思い出と一緒に過ごしてあげるのが、残された者に出来る供養の一つだと思うから、です。

そうなれるまで、あともうちょびっと、かな?

そろそろちょっと、こんなに真面目な文章を書くことに、客観的に見て恥ずかしく思う自分も居るので、まああともうちょっと、だね^^;

さて、今日はよく晴れてるから、お供え物でもやってきましょう。

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