二段落 〈第三場面 甲府〉
その翌々日であったろうか、井伏氏は、御坂峠を引き上げることになって、私も甲府までお供した。甲府で私は、ある娘さんと見合いすることになっていた。井伏氏に連れられて甲府の町はずれの、その娘さんのお家へお伺いした。井伏氏は、無造作な登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着ていた。娘さんの家のお庭には、ばらがたくさん植えられていた。母堂に迎えられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出てきて、私は、娘さんの顔を見なかった。井伏氏と母堂とは、大人どうしの、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、
「おや、富士。」とつぶやいて、私の背後の長押を見上げた。私も、体をねじ曲げて、後ろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が、額縁に入れられて、掛けられていた。〈 真っ白いすいれんの花に似ていた 〉。私は、それを見届け、また、ゆっくり体をねじ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。〈 決めた 〉。多少の困難があっても、この人と結婚したいものだと思った。〈 あの富士は、ありがたかった。〉
※ 鳥瞰 鳥が空から見おろすように、高い所から広い範囲を見おろすこと。俯瞰 。
長押(なげし) … 柱と柱の間にわたす横木
場面 井伏氏の紹介によるお見合い
↓
事件 写真の富士を見る・娘さんを見る
↓
心情 結婚したい・ありがたい
Q23「決めた」とあるが、何を決めたのか。簡潔に記せ。
A23 目の前の娘さんと結婚すること。
Q24「あの富士は、ありがたかった」とあるが、なぜか。(40字以内)
A24 写真の富士のおかげで、娘さんを見るきっかけが生まれ、結婚を決意できたから。
Q25「真っ白いすいれんの花に似ていた」という表現には、どのような働きがあると考えられるか。
A25 美しく清純なイメージでとらえられた富士の姿と、見合い相手の娘さんとが重なり、娘さんを好ましく感じている私の気持ちが暗示されている。
☆ 「表現の問題 4つの観点」
1視点・語り手 2比喩・象徴 3時系列 4文体 のうち、1と2で解く。
御坂峠の富士 ← 注文通り ← 私
世間 通俗的
甲府の富士 ← 真っ白いすいれん ← 私
娘さん 清純 美
☆ 対象がどう見えるか、対象をどう感じるかは、「見る側=視点人物」の問題。
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