水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

私のカレーを食べてください

2021年01月29日 | おすすめの本・CD
 自宅を出て暮らし始める前、カレーライスとは母親が作ってくれるものであり、たしか中学生になった頃バーモンドカレーから印度カレーに変わったことを知った時、自分の成長を意識した。
 カレーとは必ずおかわりするものであり、白くて深めの楕円の皿にたっぷり2杯食べてた量を、今はとうてい食べれないだろう。
 自宅以外のものでは、芦原湯の町駅前の「源の屋」さんのカツカレーは、当時芦原に住んでいた若者みんなのあこがれ第一位だったのではないだろうか。
 高校時代に、はじめて「ボルツ」に行き、自分で辛さを指定して食べたカレーは、家庭料理のカレーとは全く別種のものとして心惹かれた。ただし高校生のお小遣いで頻繁にいける店ではなかった。
 大学に入り、「金沢カレー」に出会う。といっても昔はそんな呼び方してないんじゃないかな。
 大学の寮に入った日、その後お世話になり続けることになる「千成亭」という近くの定食屋さんに初めて行った。
 何を選んでいいかわからず、一番シンプルにカレーライス(330円)を注文する。
 銀色の平たい皿にこんもりとご飯がよそわれ、色黒でドロドロのカレーがかかっている。わきにたっぷりの野菜が添えられていて、スプーンではなくフォークが出てくる。フォーク? 全く予想外のビジュアルのそれは、おいしかった。
 平日の夕飯は寮食を、昼食は大学の食堂でいただく。寝坊した日の昼食や日曜に最もたくさん食べたのは、千成亭のカツカレー(当時400円?)だろう。2位はカツ丼(450円)。バイト代が入った後でも特別ランチ(豚薄焼き、オムレツ、エビフライ650円)にはなかなか手が出なかった。
 それから幾星霜かを経て、初めて新宿でGOGOカレーを食したときの感動は今も覚えている。
 味やビジュアルへの懐かしさと、ジャンルとして完成してる感、徹底したB級感。都内に行くたびに寄っていた時期があった。
 神保町の共栄堂やボンディにも出かけた。キッチン南海のカツカレーも捨てがたい。いかにも本場のカレーですよ、ナンで食べてくださいというお店も今はたくさんできて、それはそれでおいしいが、純粋に一番ストレートにおいしいのはどれですか? 万民に愛されるのは何かと聞かれればCOCO壱と答える日本人が、比率とした最も多いんじゃないかな。
 最近自分で作って感動的においしかったのは、「横濱舶来亭BLACK辛口」だ。フレークタイプのルーで、ややお値段ははるが、圧倒的においしい。中辛、中辛と辛口のブレンドも試してみたが、辛口onlyが自分的にはぴったりだった。
 そして今1番食べてみたいのは、喫茶店「麝香(じゃこう)猫」のカレーライスだ(やっと前置きおわり)。
 「第2回おいしい小説大賞」を受賞した「私のカレーを食べてください」に登場する。


~「あなたは、これから別のところで暮らすのよ」
 数日後、何とか委員というおばさんから、突然そんなことを告げられた。
 祖母のことを尋ねると、「お祖母ちゃんは、遠くの知らない場所まで歩いて行ってしまって、今は病院にいるから会えない」と言われた。
 心配して駆けつけてくれた担任の先生に、施設に持っていく荷物を整えてもらい、その晩、私は先生の家に泊まらせてもらうことになった。三十歳前後の先生は、本棚ばかりが目立つ殺風景な部屋に一人で住んでいた。
「ご飯の時間まで、好きなことをしてていいからね」
 そう言うと、先生は私を置いて台所へ向かった。
 一人になった私は、カーペットに足を投げ出して何をしようか考えた。自分の家なら、ごろりと横になってテレビをつけたかもしれない。でもここは先生の家だし、勉強した方がいいような気がして、ランドセルから夏休みの宿題のドリルを取り出すと、算数の問題を一問ずつ解いていった。
 しばらくすると、台所から不思議な匂いが流れてきた。それは祖母が飲んでいる漢方薬のような、ハッカの味がするキャンディのような、とにかく私の家の台所から漂ってくる味噌やお醤油なんかとは、まったく違うタイプの匂いだった。
 先生が何をしているのか気になった私は、そっと台所を覗き見た。
 後ろ姿しか見えないが、先生は何やら熱心にフライパンを揺すっていた。いつもは教壇に立ち、みんなに勉強を教えてくれる先生が、今は自分のためだけに料理を作ってくれている。それだけで、私の胸はいっぱいになった。
 ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ!
 台所から何かを妙めるにぎやかな音が聞こえ始めると、さっきとは違う種類の匂いが私に襲いかかってきた。刺激的な匂いに胃袋をわし掴みにされ、腹の虫がせわしなく動き出す。今なら先生が何を作っているか、私は胸を張って答えられた。
 夕飯はカレーライスだ。間違いない。
 おあずけをくらった犬のように、私はそわそわして落ち着かない気持ちになった。
「ねえ、まあだ?」
 台所にいるのが祖母なら、そんな風に甘えたかもしれない。だが先生の家にいるという緊張感が、なんとか私に行儀を保たせた。
 台所から、カレーライスをお盆にのせた先生が現れた。先生は私の前にカレーライスの皿を置くと、机の反対側に自分用の皿を置いた。
 待ちに待ったカレーライスは、祖母が作ってくれる黄色いカレーライスとも、表面に膜が張った給食のカレーライスとも様子が違った。カレー特有のどろりとした感じがなく、濃い茶色のルーの中からお肉とジャガイモがころころ顔を出していた。
「いただきます」
 先生と一緒に胸の前で手を合わせ、スプーンを握りしめた私は、口を大きく開けてカレーライスを頬張った。次の瞬間、口の中がカーッと熱くなった。あたふたしている間に鼻の奥に刺激が抜け、ごくんと飲み込むと、熱が出たときのようにどっと汗が噴き出した。
「大丈夫? ちょっと辛かったかな?」
 辛くてびっくりしたわけではない。食欲が一気に目を覚まし、スプーンを持つ手が止まらなくなった。一口食べると、もう一口食べたくなり、私はものも言わず、にこりともせず、無我夢中でカレーライスを掻き込み続けた。
                (幸村しゅう『私のカレーを食べてください』小学館) ~


 主人公の山崎成美は幼いころ祖母にひきとられて暮らしていたが、認知症をわずらった祖母のもとにもいられなくなり、施設で暮らすことになる。
 施設に行く前夜、誰もいない家に一人はかわいそうだからと泊めてくれた担任の先生が、カレーをつくってくれる。
 幼い頃、親の仕事の関係で2年間インドで暮らしたことがあると、先生は言う。言葉も通じず、友達もなかなかできない暮らしだったが、カレーを食べると元気が出たという。
 高校卒業まで施設で暮らし、そのとき食べたカレーへの思いを失うことなく、成美は料理の専門学校に通う。
 そして、だいたい100頁分くらいいろいろあって(ざつ!)、喫茶店でカレーをつくり、また100頁分ぐらいいろいろある。

 日本人がなんらかの食事についての思い出を語るとき、1番あれこれ語りやすいのは、カレーじゃないかな。
 ほか何がある? 味噌汁? 白ご飯? うどん・そば? ラーメン? ハンバーグ? 卵料理? 
 家庭でも作るし、外食としても学食、社食、チェーン店、専門店へと幅広く、どんなに高級でもそこそこ手が届くカレーって、国民食としての地位を1番たしかなものにしてるのかもしれない(あ、銀座で食べた「よもだ」という立ち食いそば店のカレーはハイレベルです)。
 だから、「カレー文学」もたくさん存在する。

 恵まれない生い立ちの主人公が、カレーの思い出と共に成長し、ひとつのお店をしながら、いろんな困難に出会い、大事な人の存在に気づいていくというストーリーは、決して目新しいものではない。
 カレーの存在と同じように。
 しかしいろんなカレーがあるように、それぞれの人生もいろいろで、そのどれもが、かけがえのないものであることを教えられるようで、ああこのカレー食べてみたい、この主人公の人生を味わいたいと思わせられ、頁をめくる手がとまらなかった。次の直木賞候補に推しておきたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時間編集力 | トップ | 3学年だより「時間編集力(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

おすすめの本・CD」カテゴリの最新記事