水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「手の変幻」の授業 第2段落

2019年04月23日 | 国語のお勉強(評論)
④ したがって、僕にとっては、ミロのビーナスの失われた〈 両腕の復元案 〉というものが、すべて興ざめたもの、滑稽でグロテスクなものに思われてしかたがない。もちろん、そこには失われた原形というものが客観的に推定されるはずであるから、すべての復元のための試みは正当であり、僕の困惑は勝手なものであることだろう。しかし、失われていることにひとたび心から感動した場合、もはやそれ以前の失われていない昔に感動することはほとんどできないのである。なぜなら、ここで問題となっていることは、表現における〈 量の変化ではなくて、質の変化 〉であるからだ。表現の次元そのものが既に異なってしまっている時、対象への愛と呼んでもいい感動が、どうして他の対象へさかのぼったりすることができるだろうか? 一方にあるのは、おびただしい夢をはらんでいる無であり、もう一方にあるのは、たとえそれがどんなにすばらしいものであろうとも、限定されてあるところのなんらかの有である。
⑤ 例えば、彼女の左手はりんごを掌の上に載せていたかもしれない。そして、人柱像に支えられていたかもしれない。あるいは楯を持っていただろうか? それとも、笏を? いや、そうした場合とは全く異なって、入浴前か入浴後のなんらかの羞恥の姿態を示すものであるのかもしれない。更には、こういうふうにも考えられる。実は彼女は単身像ではなくて、群像の一つであり、その左手は恋人の肩の上にでもおかれていたのではないか、と。
――復元案は、実証的にまた想像的にさまざまに試みられているようである。僕は、そうした関係の書物を読み、その中の説明図を眺めたりしながら、〈 恐ろしくむなしい気持ちに襲われる 〉のだ。選ばれたどんなイメージも、既に述べたように、失われていること以上の美しさを生み出すことができないのである。もし真の原形が発見され、そのことが疑いようもなく僕に納得されたとしたら、僕は一種の怒りをもって、〈 その真の原形を否認したい 〉と思うだろう、〈 まさに、芸術というものの名において 〉。

Q15「両腕の復元案」に対する筆者の心情を表している単語を三つ抜き出せ。
A15 興ざめ 滑稽 グロテスク

Q16「量の変化ではなくて、質の変化である」とあるが、「量の変化」「質の変化」とはそれぞれどういう「変化」のことか。
A16 量の変化 … 二本分の腕が物理的に増加するという変化
   質の変化 … 芸術作品としての次元が異なるものになるという変化

Q17「恐ろしくむなしい気持ちに襲われる」のはなぜか。40字以内で説明せよ。
A17 失われた両腕を復元しても、失われていること以上の美しさは生み出せないから。

Q18「まさに、芸術というものの名において」と述べるのは、筆者が芸術作品には何が最も大切だと考えているから。11字で抜き出せ。
A18 生命の多様な可能性の夢


両腕の復元案 → 興ざめ・滑稽・グロテスク
困惑

失われている
 ↓ 復元
失われていない昔
  ∥
量の変化
 ↑ ではなく

質の変化


対象(ミロのビーナス)
  ∥
おびただしい夢をはらんでいる無 無限
  ↓ 表現の次元が異なる
他の対象(復元案)
  ∥
限定されてあるところのなんらかの有 有限
  ∥
具体例(彼女の左手はりんごを … )
  ∥
復元案  → 恐ろしくむなしい
  ∥
選ばれたイメージ < 失われていること
  ↓
真の原形 → 否認したい


Q19「その真の原形を否認したい」と述べるのはなぜか。(80字以内)
A19 原形が損なわれたからこそ普遍的な美や無限の可能性を獲得できたのに、両腕が復元されることで、その芸術作品としての価値がことごとく奪れてしまうと考えるから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 運も才能もなくていい | トップ | 才能が無くてよかった(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国語のお勉強(評論)」カテゴリの最新記事