水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「山月記」の授業(5) 五段落

2016年06月12日 | 国語のお勉強(小説)

五段落(14) 李徴の分析

⑭ なぜこんな運命になったかわからぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、おれは努めて人との交わりを避けた。人々はおれを倨傲だ、尊大だと言った。実は、〈 それ 〉がほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才と言われた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは〈 臆病な 〉自尊心とでも言うべきものであった。おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、おれは〈 俗物の間に伍することも潔しとしなかった 〉。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。〈 己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず 〉、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として〈 瓦に伍することもできなかった 〉。おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、全く、おれは、己の有もっていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭いとう怠惰とがおれの凡てだったのだ。おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、おれは漸く〈 それに気が付いた 〉。それを思うと、おれは今も胸を灼かれるような悔を感じる。おれには最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、おれが頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、おれの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。おれの空費された過去は? おれは堪まらなくなる。そういう時、おれは、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この〈 胸を灼く悲しみ 〉を誰かに訴えたいのだ。おれは昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもはおれの声を聞いて、唯だ、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人おれの気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。おれの毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。

語釈 倨傲 … おごり高ぶること。
   尊大 … いかにも偉そうな態度をする様子。
   郷党 … 郷里の仲間。同郷人。
   鬼才 … 人間とは思われないほどの優れた才能の持ち主。
   伍する … 仲間になる。同列になる。
   刻苦 … 苦労すること。
   碌々 … 他人のすることにしたがうさま。
   空費 … 無駄づかい。
   警句 … 物事の真実を鋭くついた短い言葉。
   危惧 … 悪くなりはしないかと心配すること。
   専一に … 他のものを顧みず、一つに専念して。
   空谷 … 人のいない寂しい谷。


Q28 「それ」とは何か。15字以内で記せ。
A28 倨傲で尊大に見える李徴の態度。

Q29 「臆病な」とあるが、李徴は何をおそれていたのか。10字で抜き出せ。
A29 己の珠にあらざること

Q30 「俗物の間に伍することも潔しとしなかった」と同じ意味の語句を抜き出せ。
A30 碌々として瓦に伍することもできなかった

Q31 「己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうとも」しない態度とあるが、その内実はどういうものであったと李徴は述べているか。35字以内で抜き出せ。
A31 才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰

Q32 「瓦に伍することもできなかった」のはなぜか。抜き出して答えよ。
A32 己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえ

Q33 「それに気がついた」とあるが、どういうことに「気がついた」のか。50字以内で述べよ。
A33 詩家として名を為すかどうかは、才能の多寡ではなく刻苦して自分を磨くかどうかにかかっているということ。

Q34 「胸を灼く悲しみ」とはどういう悲しみか。文中の語を用いて2点記せ。
A34  1 もはや人間としての生活はできないという悲しみ。
    2 自分の過去が空費されてしまったという悲しみ。


  臆病な自尊心
        ∥
心 己の珠にあらざることを惧れる
        ∥
    才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧
      ↓
行 努めて人との交わりを避けた
     ∥
  進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった
     ∥
    あえて刻苦して磨こうともせず


Q ⑥~⑬で、李徴は自分が虎になった原因をどのように述べているか。
A ⑥ 理由もわからずに押しつけられた 生き物のさだめ
  ⑫ 偶因狂疾

Q この段落では何が原因と語っているか
A 尊大な羞恥心
  臆病な自尊心

   自分の詩を人に見せたい … 自尊心
   自分の詩を人に見られたくない … 羞恥心

「俗物の間に伍することも潔しとしなかった」
              ∥
「碌々として瓦に伍することもできなかった」  尊大
              ↑
「己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえ」    自尊
       ∥
 自分が優れた人間であることを信じる


Q35「臆病な自尊心」とはどのような心情か。70字以内で説明せよ。
A35 自分のプライドを守る気持ちが強すぎるために、
   才能を不足をわずかでも他人に感じさせることを恐れ、
   他人との交渉を避けようとする心情。

Q36「尊大な羞恥心」とはどういうことを述べているのか。
A36 李徴が、羞恥心が強すぎるがゆえに、尊大な態度をとってしまう状態。

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