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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

何のため(2)

2020年12月26日 | 学年だよりなど
3学年だより「何のため(2)」


 志望校に合格して、はれて大学生になれたとする。
 大学生になれば、自由な時間がある。
 社会に出て働き始めた同年代よりも、はるかに長く自由な時間を手に入れることができる。
 もちろん勉強し放題だ。
 自分の力では手に入らない本や資料が置いてあり、わからないことを教えてくれる専門家がいる。
 同じ話題について語り合える仲間もいるし、その場所もある。
 コロナ禍の今、多くの大学がその設備を十分には活用できていないが、それでも学ぶ場所としてこれほど恵まれた空間はない。
 学費を払っているからだと思うかもしれないが、同じような空間を自力で用意するのは不可能だ。
 たしかに学費は「高い」と感じるだろう。それでも純粋に学費だけで運営できず、私立大学にも多額の公費が投入されている。
 なぜ、大学生は優遇されるのか。
 学生は将来世の中を支える存在になると想定されているからだ。
 健康な身体と勉強できる能力をもち、そのうえ社会的な恩恵まで受けるのだから、その分お返ししようとするのが人としての筋だ。


~ 「杏寿郎、よく考えるのです、母が今から聞くことを。
 なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか」
「……うっ、わかりません」
「弱き人を助けるためです。
 生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は
 その力を、世のため人のために使わねばなりません。
 天から賜りし力で、人を傷つけること、私腹を肥やすことは、許されません。
 弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。
 責任を持って果たさなければならない使命なのです。
 決して忘れることなきように」  (吾峠呼世晴『鬼滅の刃』8巻) ~


 どんなふうにお返しするのがよいのか、その形は人それぞれだろう。
 大学で学問的教養を身に付けるということは、足下にビールケース(伝わるかな?)を置くようなものではないかと感じる。
 ビールケースの30㎝高い台に登るだけで、世界は違って見える。
 世の中は、目の前の仕事に懸命に取り組む人々の総体で成り立っている。
 そういう人達が、よりよく力を発揮できるように、もしくは効率よくはたらけるように、もっと言えば「楽」ができるようにと、一段高い視点から考えられる力の基礎となるのが、学問的教養ではないだろうか。
 どういうやり方でそれをするのか、どういう分野でそれをするのか、それができるようになるのかは、大学で見つけられればいい。さあ、勉強しよう。
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