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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

才能(2)

2019年08月02日 | 学年だよりなど
学年だより「才能(2)」


 足の速さをいかしてスイッチバッターに転向し、一時期は1番バッターとしてスタメンに定着しかけた頃もあった。治療を続け、入院した年もあったが、復帰後ゴールデングラブ賞も受賞した。 その後再び症状が重くなり、29歳で引退を決意する。


 ~ この病気に苦しんだことによって野球ができることのありがたさや喜び、好きなことができることへの感謝の心が自分の中に芽生え、それがいまに繋がったことも確かなんですね。
 僕には監督として「野球ができるって、こんなに嬉しいことはない」という思いを伝えたい気持ちがいっぱいで、それが自分でも気づかないうちに学校の先生っぽい方向に走らせているわけですが(笑)、その意味では病気が指導者としての僕を育ててくれたのかもしれません。
… 人生の大変な時期にどういう生き方をするか、それがすべてだということでしょうね。僕は現役の選手時代、一人前になりたいという思いがとても強かったのですが、成功できないまま29歳で引退しました。選手として才能が発揮できなかった分、その後は野球解説などマスコミの仕事にがむしゃらに打ち込むようになったんです。 ~


 引退後、自分で北海道に野球場をつくった。とにかく野球に関わっていたい、野球が好きだという思いに突き動かされ、子ども達のために天然芝の球場を作りたかったのだ。
 なぜそこまでしなければならないのかと言う人もいた。見返りを求めない努力を神様がみていたからこそ、監督の話がきたにちがいないと栗山氏は言う。

 ~ 隈さんは、いま「大切なのは粘り」とおっしゃいましたが、僕も野球が大好きという思いが人一倍強かったからこそ、この道で粘り強く生きてこられたように思います。才能がないことが才能、才能がないからこそ頑張れる、努力するという感覚が僕の中には常にあって、いまでは才能がなかったことが連によかったとすら思っているんです。 ~


 「才能がないことが才能」。ありがたい言葉だ。
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才能

2019年08月02日 | 学年だよりなど
学年だより「才能」


 大谷翔平選手、清宮幸太郎選手、昨年は金足農業旋風の立役者となった吉田輝星投手……。
 ドラフトのくじ運はもちろんあるのだが、高校野球で話題になった選手が、あたかも神様のおぼしめしであるかのように、日本ハムファイターズに入団している。
 2012年から指揮を執る栗山英樹監督は、そういうスター選手たちが実力を発揮するのはもちろんのこと、人間として次の世代のお手本になるように成長していくことを第一に考えているという。


 ~ そういう願いから僕は致知出版社から出版された『小さな人生論』を昨年の入団発表の時に新人全員に配りました。人間学の根本が書かれたこの本をしっかり読んだ上で、両親と高校時代の監督に一生の約束事を本に書いてもらうよう指示しました。その後、今度は僕が自主トレの時に一人ひとりとの約束事を書きました。ささやかながら、このような形で僕が学ばせてもらった人間学の教えを選手たちにも現してあげたいと思ったんです。
 プロ生活に慣れた頃に、選手たちがこの本を読み返して自分の原点を見つめてくれたら嬉しいですね。僕は野球以外のところに選手が育つヒントがあると思っていて、特に我われが先人から授かったものを若者に橋渡ししていきたいという思いがとても強いんです。
… 僕は選手たちに野球選手として成功してほしいという願いを持っていますが、仮に野球選手として成功できなくても人として成功してほしいと強く願っているんです。やはり最後にはその人の人柄なんですね。人柄がいい選手は野球も勝手に伸びていく。人生も拓(ひら)けてくる。最近、とみにそう感じることが多くなりました。(隈研吾・栗山英樹「磨(ま)すれど磷(うすろ)がず」「致知」4月号) ~


 東京学芸大学出身の栗山監督は、日本プロ野球界初の国立大学出身監督だ。
もちろん教員免許も取得している。大学卒業後は教員になるつもりだったが、幼いころから慣れ親しんだ野球への思いが捨てられなかった。なにより野球が好きだった。
 思い切ってプロテストを受けてみたら合格し、ヤクルトスワローズにドラフト外選手として入団する。しかし入団した栗山選手が最初に感じたのは、ここは自分が居る場所ではないかもしれないということだった。周りで普通に練習している選手達のあまりのレベルの高さに驚いたからだ。
 まがりなりにも、大学野球でそれなりに活躍し、テストにも受かった自分だが、もてる才能に違いがありすぎた。
 入団して二年目からは、めまいに悩まされるようになる。ストレスや疲労などさまざまな要因で発症するとされるメニエール病だった。それでも栗山選手は努力した。
 才能の足りない自分がハンデを覆すには、猛練習しかないと考えた。
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