学年だより「根っこ(3)」
25通目の手紙を送ったあと、ついにホテルオークラのロビーで五木寛之氏と対面した。
~ 「君、あれだけの手紙大変だったね」
「いいえ。ただ僕は、なんとしても五木先生と仕事がしたいんです」
「うん、やろう」
返事は短かった。もうそれまでの手紙で、何百という言葉を費やしてきて、それだけのものが胸に届いているから、言葉を弄する必要がなかったのだ。「やろう。僕は角川と初めてちゃんと仕事をする。新作を書くよ」と言ってもらえて、「燃える秋」という小説の連載が始まった。 ~
もう一人、どうしても本を手がけたい作家がいた。
『太陽の季節』で鮮烈にデビューし、当時衆議院議員にもなっていた石原慎太郎だ。面会がかない、石原氏の年齢にあわせて持って行った44本の薔薇の花束には、苦笑いされただけだった。
~ 次に僕は、自分がいかに石原さんの小説を好きかを話し始めた。この機会を逃したら、もう二度と会えないかもしれない。ここが勝負だ。こんなときはいろいろなことを言っても駄目だと思い、僕は最終兵器を用意していた。『太陽の季節』と『処刑の部屋』を一言一句、最後の1行に至るまで暗唱できるようにしていたのだ。
「僕は全文暗唱できます」 「え?」
本当に『太陽の季節』を暗唱し始めたら、3、4分で、「わかった、わかった。お前と仕事するよ」と言ってくれて、僕と石原さんの関係が始まった。 ~
こうして石原氏とのつきあいが始まった。十数年後、角川書店を辞し、幻冬舎を立ち上げた見城氏のもとを石原氏が尋ねてくる。四ッ谷の雑居ビルの一室だった。当時いた5人の社員を前にして、こう語る。「みなさん、まだ拙い社長だろうけれども、見城をよろしくお願いします」
そしてふりかえり、「役に立つんだったら、何でもやるぞ」と言って口元からこぼれた石原氏の真っ白な歯を、見城氏は生涯忘れないという。
~ よく僕は「圧倒的努力をしろ」と言う。「圧倒的努力ってどういうことですか」と聞かれるけれど、圧倒的努力とはそういうことだ。人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない、手がつけられないくらい膨大な仕事を一つひとつ片付けて全部やりきること。それが圧倒的努力だ。 (見城徹『読書という荒野』幻冬舎) ~
仕事も勉強も根っこは同じで、「やる」か「やらされる」の二択だ。
どうせやるしかないなら、自分から「圧倒的」にしかけていった方がいいではないか。