学年だより「根っこ(2)」
名編集者として数々のベストセラーを世に送り出してきた見城徹氏が、念願の角川書店に入社して文芸編集者として働き始めたころの話だ。学生時代から愛読し、あこがれていた五木寛之氏の本を手がけることは自分の夢だった。しかし、当時大ベストセラー作家の五木氏が、どこの馬の骨ともわからない若造と、ふつう会ってももらえない。角川書店から新作を出してもいなかったのだ。だからこそ、自分がやってやろうと見城氏は考える。
~ 当時は手紙がほぼ唯一の連絡手段だった。住所はわかるから手紙を出すことはできる。問題はどんなことを書くかだ。「うちで書いてください」だけでは通用しない。
そこで僕は、五木さんのすべての作品を読み、感想を手紙にしたためて送ることにした。書き下ろし長編小説が出ても、小説雑誌に短編が載っても、週刊誌に対談が載っても、どこかにエッセイが出ても、そのすべてを精読し、それが発売されてから5日以内に感想を書いて出す。5日という期限は五木さんの「五」にちなんで決めた。
僕は常々言っているのだが、感想こそ人間関係の最初の一歩である。結局、相手と関係を切り結ぼうと思ったら、その人のやっている仕事に対して、感想を言わなければ駄目なのだ。しかも「よかったですよ」「面白かった」程度では感想とは言えない。その感想が、仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり、次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。 (見城徹『読書という荒野』幻冬舎) ~
自分の言葉を届けること、言葉こそ武器だと若き日の見城徹は考える。もちろん、そのためには真剣に読まなければならない。ざっと内容をつかみ、褒め言葉を費やしたところで、五木氏の心には届かない。しかし、通常の業務をこなしながら、五木氏のすべての文章を真剣に読み、感想を手紙に書き綴るのは、並大抵のことではなかった。
~ 徹夜してフラフラになりながら手紙を書いた。何度も何度も書き直しながらやっとの思いで感想を書く。もう夜中になっているが、ポストに投函しに行く。しかし意識が朦(もう)朧(ろう)としているので、たった今自分が封書をポストに入れたかどうか、急に自信がなくなってくる。
「あれ、今これ出したよな? ポストに入れたよな? もしかしたら途中で落としてしまって、入れていないかもしれない」
わけのわからない不安が襲ってくる。僕は入れたと思ったが、それは錯覚かもしれない。頭がおかしくなっているから、明け方、その日1回目の集配の方が来るのをポストの前で待っている。
「すみません、このなかに僕の書いた封書、入ってますよね」と聞き、怪訝そうな顔をされたこともあった。 ~
17通目の手紙を送ったあと、ハガキが届く。「いつも、よく読んでいただいてありがとうございます」差出人には「五木寛之内」とある。おそらく、奥様の代筆であろう。見城氏は、うれしさのあまりそのハガキを手にして、編集部内をグルグル歩き回った。