~ 現行の大学入試センター試験に代えて2020年度に始める新テストについて、文部科学省はセンター試験と同じ1月に実施し、新たに導入する記述式問題の採点を受験生が出願した各大学に依頼する方針を固めた。マークシート式の採点は従来通り大学入試センターが担う。文科省は11月4日にある国立大学協会の総会で説明する方向で調整している。(「毎日新聞」10月18日)~
「男祭り」関係者の飲み会の場には、高度な音楽的研鑽を積んだ方々ばかりいらっしゃって、ときどき話題についていけなくなりそうになる。でも随分人間的に成長した自分は「それって、どういうものですか?」と素直に訊けるようになり、そういう場で仕入れるものの大きさと言ったら、ちょっと比較対象がみつからない。
習いにいったり、本を読んだりして得られるものとは別種のものだ。そうか、吹奏楽部顧問になっている本校OBも今度誘ってあげよう。あのメンツの濃さに耐えうるメンタルで来てもらわないといけないが。
「吹奏楽部顧問基礎」という科目が仮にあって、センター試験が実施されたなら、今だったら少しは点数とれるだろう。楽典ばかりだときびしいけど、演奏会のMCの技や保護者懇親会を盛り上げる方法とかも出題されたら、そこそこいけるはずだ。
国語だったら、満点の自信はないけど、まあまあとれるかな。なんなら選択肢のダメだししてあげたい。
どんな分野でも、センター試験一科目分に匹敵するくらいの勉強を積んだなら、基礎的なことは大体理解できたというレベルになるのではないだろうか。
逆にいうと、その程度の知識はインプットしないと、何事も脳内でひとつのイメージにならない。
センター試験にかわる共通試験が模索されている理由の一つに、今の試験に対する「知識偏重の一点刻み」という批判がある。
でも、どうだろう。「偏重」というほどの膨大な情報量はあるだろうか。
英語が一番わかりやすいけもしれないけど、「グローバル化社会に対応する人間づくり」とか言うんだったら、高校生全員がもっと点数をとれるようにした方がいい。センターレベルの読み書きがほどほどのまま、「話す・聴く」力をつけさせようと言ったところで限界がある。
かりにも大学で専門的な学問に触れようという思いをもつ高校生に、センター試験程度の基礎知識を課すことがなぜだめなのだろう。
部分的に記述にして、それに伴う採点業務やら、自己採点ができなくなることを思えば、今のままの方がベストとは言わないが、十分役割は果たすのでないか。
大学の先生方がいやいや行う記述答案の採点が、機械で行うそれよりも公平で正確な結果になることは、現場の一教員としてはなかなか想定しにくい。
また、いま記述問題の例としてあげられている問題をみるかぎり、こんなのマーク式でつくれんじゃん、とも思う。
… という一高校教員の懸念が世の中に影響を及ぼすことはないとは思うが、この先きっと大学側の異論がいくつか出ることになると思うので、それを待ってみたい。