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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

インナーマッスル

2016年03月01日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「インナーマッスル」


 その昔、トレーニングといえば、ひたすら腕立て伏せや腹筋を繰り返すことだったが、筋力アップの科学的トレーニングがどんどん開発され、近年は、インナーマッスルをいかに鍛えるかも重要な要素になっている。
 スポーツトレーニングでインナーマッスルを鍛えると、どういういいことがあるのか。
 アウターのマッスル、たとえば上腕二頭筋(力こぶ)や大胸筋(胸板)を鍛えると、パワーがうまれ見た目もムキムキになる。
 インナーマッスルが鍛えられたとしても、そのように見た目が大きく変化することはない。
 しかし、プレーの質はあがる。
 関節が安定することで、怪我もしにくくなるし、アウターマッスルの力をより強く、より効率的に発揮できるようになる。
 身体のバランスがよくなり、瞬間的なキレのある動きができるようになる。
 外見的な変化があるとしたら、なんとなく姿勢がよくなることだ。
 そういう選手は、歩いているだけで美しく見える。
 みなさんの年代であれば、骨自体のサイズの成長がかりにとまっていたとしても、身長を数㎝伸ばすことは可能だろう。
 勉強の「インナーマッスル」も存在する。
 勉強のインナーマッスルを鍛えると、どういう良いことがあるのか。
 物理的な見た目は変わらない。
 でも、よく見ると、なんとなく少し余裕があるように見える、顔がいきいきとして見える、というような変化となって現れる。
 1時間目から6時間目まで集中して授業が受けられ、放課後の部活でもいい練習ができる。
 わからないこと、できないことがあった時に、どうすれば解決できるかの手段を自分で発見し、その手段を実行にうつせる。
 それが多少困難であっても、粘り強く取り組むことができるようになる。
 勉強で鍛えられたインナーマッスルは、そのまま将来仕事をするときの力になっていく。


 ~ それは別に単純な体力だけの話じゃなくて、たとえば勉強には勉強のインナーマッスルがある、と。それは〝リアル『ドラゴン桜』″みたいな学校再建を請け負う先生が言ってたんだけど、「できない子には勉強のインナーマッスルをつけなきゃいけない」って。たとえば板谷くん(ゲッツ板谷氏)みたいな元ヤンがライターやってられるのも、中2までのガリ勉だった時代に机に向かうのが一応身についてたからだって。仕事だって同じですよね。インナーマッスルがついていれば何とかなるはず。 (西原理恵子『生きる悪知恵』文春新書) ~


 勉強のインナーマッスルの鍛え方は簡単だ。授業時間中にきちんとした姿勢を保ち、寝ないで、ノートをとり続ければいい。できれば先生の話にうなずきかえし、出された問題には、食いつくように解きに行く。毎日積み重ねていけば、いつのまにかワンアップしている。

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「富嶽百景」の授業(11) 三段落 第四場面

2016年03月01日 | 国語のお勉強(小説)

 

    三段落〈 第四場面 御坂峠 〉


 寝る前に、部屋のカーテンをそっと開けてガラス窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。〈 私はため息をつく 〉。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、かすかに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンを閉めて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、一人で布団の中で苦笑するのだ。〈 苦しいのである 〉。仕事が、――純粋に運筆することの、〈 その苦しさ 〉よりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、〈 そのこと 〉ではなく、私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、いまだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。
 【素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること】、それよりほかにはないと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味を持って目に映る。この姿は、この表現は、結局、私の考えている〈 「単一表現」 〉の美しさなのかもしれない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも〈 棒状の素朴 〉には閉口しているところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、〈 これ 〉は違う、と再び思い惑うのである。 


 場面  場所  御坂峠
      時   夜
     人物  私 


Q42「苦しいのである」とあるが、「私」は何について思い悩んでいて苦しいのか。該当する部分を40字以内で抜き出せ。
A42 私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの

Q43「そのこと」とは何か。10字以内で抜き出せ。
A43 純粋に運筆すること

Q44「単一表現」とはどのような意味か。具体的に言い換えている部分を抜き出せ。
A44 素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること(64)

Q45「棒状の素朴」とは、この場合どういうことを言っているのか。
A45 まるで棒のようにまっすぐで何の虚飾も作為もない美しさ

Q46「これ」とは何か。(30字以内)
A46 月の光に照らし出された眼前の富士のあまりにも美しい姿。


事件 月に照らされた富士を見る … 青白い・水の精みたいな姿
             ∥
    眼前の富士の姿 … 「単一表現」の美しさ
             ∥
    この富士 … あまりにも棒状の素朴(虚飾のない美しさ)
             ∥
     これ
          ↓
心情   違う
     苦しい・妥協・閉口・思い惑う
      ∥
     あまりの美しさに自分の信条が揺らぐ  ( ←→ 月見草)
          ↓
行動  ため息をつく


Q47「ため息をつく」とあるが、その理由を、この場面全体をふまえて説明せよ。(70字以内)
A47 何一つ虚飾のない圧倒的な富士の美しさを前にして、通俗を否定し新しい文学表現を生み出そうする自分の信条が揺るがせられる思いを抱いたから。

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