学年だより「容れ物」
合格体験談を語ってくれたどの先輩にも言えることだが、自分のやってきた受験勉強を「客観化」できていると感じる。「対象化」といってもいい。
自分のやってきた受験勉強とはどういうものだったのか、どういう意味があるものだったのかを、客観的に語ることができているのだ。
受験の渦中にあった時期においても、自分を客観的にとらえることができたからこそ、必要な対策をとることができ、その結果として目標達成という事実を手に入れることができたのだ。
~ 「学校の授業を大事にしよう。たしかに参考書を読んでも同じ内容は書いてある。でも授業には、文字情報だけではなく、空気感がある。先生の話の方がわかりやすいとかではなく、内容が五感にうったえくるから、自分で文字を読むよりはるかに効率がいい。」
「受験勉強をしていると辛いことはある。自分もそういう時期があった。ただ辛い時期というのは、理想を追いすぎて、その理想像とかけ離れた自分が辛かったんだと思う。理想を追ってもしょうがない。自分のできる範囲での最大限を目指そう。」by長倉和也先輩 ~
受験勉強で学んだ内容そのものを、将来の仕事内容に直接反映できる人はほとんどいない。
今やっている勉強、たとえば数学や古典が、日常生活に直接関係ないから意味がないという意見を、たまに見かける。なるほどと思うときもある。
しかし受験を通して成長していく高校生を目の当たりにし、しかも上記のような先輩の言葉をきくと、やはり受験の有用性を感じざるを得ない。
~ 「仕事ができる人」というのは「たっぷりと手持ちの知識や技能がある人」のことではなく、「自分が知らないことを学び、自分に出来ないことが出来るようになる能力がある人」のことなのである。 (Web「内田樹の研究室」より) ~
「仕事ができる力」を「学力」におきかえても同じことが言えるだろう。
学ぶことができる力を「学力」という。
自分に何が足りないかを把握し、貪欲にそれを補っていこうとする力。
自分には何かが足りない、それを埋めていかねばならない、という強い思いだ。
そう考えると、今やるべきことが見えてくるのではないか。
今の手持ちの能力や容量に基づいて、将来やりたいことを考えるのではなく、自分という容れ物を先に大きくすべきなのだ。
容れ物自体が大きくなっていれば、新しいことに取り組もうとしたときに、そのために必要な知識や技術を短時間で身につけることができる。
何かをやろうとするとき、それを最後までやりきる力を生むのも、その人の容れ物の大きさだ。