goo blog サービス終了のお知らせ 

水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

深草の里

2011年09月28日 | 国語のお勉強(古文)

 古文の時間に「無名抄」の一節を読む。
  五条三位入道(藤原俊成)と俊恵との会話。
 俊成は、藤原定家のお父上であり、当代一の歌詠みである。

 俊恵が問う。
「三位殿、ご自身では一番よく出来た歌はなんだと思われてますか?」
 俊成はこたえる。
「 夕されば 野辺の秋風 身にしみて うづら鳴くなり 深草の里 」かな。
 ただし、と続ける。
 よくできた歌なんだけど、一つ残念な点があるのだ。
 どこですか? すばらしい歌じゃないですか、と俊恵が言う。
 だってさ、「身にしみて」って言っちゃってんじゃん。
 だめなんですか?
 だめなんだよ。だって「身にしみる」ていう歌なんだもの。
 はい?
 だから、「身にしみて」って言わずに、「身にしみる」歌だなあって感じさせないといけないってことさ。
 なるほど、そういうことですか。直接言ったらだめなんですね。
 そう。歌の詮とすべきふしを、さはと言ひ表したれば、むげにこと浅くなりぬる。
 急に古文にならないでくださいよ。でも、わかりました。哀しいのを哀しいって詠んじゃだめなんだ。
 そう。そこがプロとアマの差なんだよ。鈴木京香さんが「シミできる」とか言っちゃだめだし、櫻井くんが「どうしていいか、わかんないよ」って口に出したらいけないんだよ。
 俊成さま、今日はありがとうございました。勉強になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする