古文の時間に「無名抄」の一節を読む。
五条三位入道(藤原俊成)と俊恵との会話。
俊成は、藤原定家のお父上であり、当代一の歌詠みである。
俊恵が問う。
「三位殿、ご自身では一番よく出来た歌はなんだと思われてますか?」
俊成はこたえる。
「 夕されば 野辺の秋風 身にしみて うづら鳴くなり 深草の里 」かな。
ただし、と続ける。
よくできた歌なんだけど、一つ残念な点があるのだ。
どこですか? すばらしい歌じゃないですか、と俊恵が言う。
だってさ、「身にしみて」って言っちゃってんじゃん。
だめなんですか?
だめなんだよ。だって「身にしみる」ていう歌なんだもの。
はい?
だから、「身にしみて」って言わずに、「身にしみる」歌だなあって感じさせないといけないってことさ。
なるほど、そういうことですか。直接言ったらだめなんですね。
そう。歌の詮とすべきふしを、さはと言ひ表したれば、むげにこと浅くなりぬる。
急に古文にならないでくださいよ。でも、わかりました。哀しいのを哀しいって詠んじゃだめなんだ。
そう。そこがプロとアマの差なんだよ。鈴木京香さんが「シミできる」とか言っちゃだめだし、櫻井くんが「どうしていいか、わかんないよ」って口に出したらいけないんだよ。
俊成さま、今日はありがとうございました。勉強になりました。