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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

天声新語

2008年03月08日 | 日々のあれこれ
「現役高校生の天声新語コンクール」の記事。
 高校生が、一定の時間に「天声人語」風の文章を書いて、優劣を競うコンクールのようだ。
 全国で2000人をこえる高校生が参加したとある。そういえば、ずいぶん前にチラシが届いていたような気もする。
 今年の課題は、次の文章に続けて「音」というテーマで書くものだった。制限時間は90分間。
「その音を聞くと、ふと過去に誘われる。そんな懐かしい音がある。夏だったら夕暮れのセミの声、冬だったら降り積もる雪の音だろうか」
 すばらしい文章だなあ。いかにも天声人語という感じがする。
 人が何人も死ぬような事故があっても、国際的な事件があっても、日本を代表する新聞の第一面の下の方には、こうした文章が載っている。
 国語の力をつけるためには、「天声人語」を書き写したり要約させたりするのがいい、と以前はけっこう耳にした。
 実際、昔の川東生で、自分で要約してきて「先生みてください」と何回かもってきた子がいた。何回か添削した記憶があるが、そのときにもたぶん「要約して何かためになることがあるのだろうか」という疑問をもったと思う。
 最近は、時間のむだだから読みもしないが、いまだに、こんなコンクールが行われるほどに、一つの文章のお手本とされているのだろうか。
 実際に参加した高校生の優秀作品が載っている。たしかにみんな上手だ。天声人語っぽい。でも「なんのために書いたの?」と言いたくなる気持ちはおさえられない。
 「思い出を胸にしまうようにそっと窓をしめた。」などと美しくまとめた文章に何があるの?
 まさに天声人語ではないか。どんな社会不正義が行われていても、1000字ほどのゆるい文章を書かれていて、「われわれ庶民には」みたいな言い方をしていながら、とんでもない年収をもらっていらっしゃる方の文章。大事件があっても、どう考えても現場には出向いてないなと思われる文章。
 ま、よまなければいいのだけど、天下の公器だからなあ。
 日垣隆『エースを出せ!』には、この百倍くらい辛辣な批判が書かれているので興味あるかたはどうぞ。
 参加した高校生の保護者の談話が載っていた。
「10代ならではの瑞々(みずみず)しい感覚を書き残しておくという意味でも、有意義だと思う」だって。
 だいたい、この言葉自体が、「つくりもの」くさくないですか。 
 
 
 
コメント
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