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我が故郷の新潟は、微妙な立ち位置です

2025-05-25 00:00:00 | エッセイ
新潟出身で、上京41年になるので、新潟時代の割合が減ってってます。
個人的には、まあ嬉しいのですが、それはともかくとして進めます。

当時から私も含め、新潟は何地方と言うのかが、良くわかりませんでした。
東日本、中部地方まではいいとして、甲信越で括られてもピンとこない。
電気は東北電力でして、県民のほとんどは、何か腑に落ちないでいる。
気象庁は北陸地方として、まとめて扱っている。日本海側で気候が似てる。
日本第二の大河の信濃川は、その信濃とは長野県のことである。
律令時代からは越後、その前は越の国。越前、加賀、越中と同じ国。
その越と言う字は、高志とも書いた。コシのコが朝鮮半島と結びつくとか。
朝鮮の古代国家の、高句麗、高麗との繋がりを指摘する説もある。

思うに、昔の越後の人々は、ごく普通に北陸として生活していたのでは。
鎌倉時代になって、鎌倉道を作り坂東への南北の道が出来るまでは特に。
京から日本海側を東へと、越の国を通り、そして出羽へと繋がる東西の道。
昔の越後へは、この東西道で人、文物、宗教、文化が入って来た。

北陸。新潟県人は、郷愁めいたのを実は感じているのではないでしょうか。
でも、親不知の先の富山とは何か違う。西日本ではないか、アクセントが違う。
越後と越中、元々は越の国。だけど、やっぱり違う。これが大きいと思う。
たとえて言うと、越の国の末っ子が里子へ出て毛色が変わったとでも言うか。
私は思う、越の四人兄弟の先三つ、越前、加賀、越中が懐かしかろうて。
だけど、そんなこと言えない、坂東に一番近くなっているではないか。

そんな訳で、坂東の江戸、そして東京へと目は向くばかり。




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