昨日、新聞各紙の社説が、一斉に、”震災と終戦“というテーマで書かれているので、”今日は8月15日ではないのに?“といぶかしんだ。
今日になって、今日が新聞休刊日であることを知った、すなわち終戦(敗戦)記念日に、新聞はお休みである。
やや大袈裟に言えば、日本の歴史も世界の歴史も、新聞社の“自己都合”でどうにもなるのであった。
しかも(実は)昨日、ぼくはこの各紙(朝日、読売、日経、産経、東京)社説の比較検討ブログを書いたのである。
そして、それをエントリーしなかった。
震災後、“時事的ニュース”に対して書いた(自分の)ブログを、“ボツにする”ことが多くなった。
というか、ぼくはDoblogの時から長い間、書いたブログはほぼ“すべて”出してきた。
それが変わった。
自分の“意見”に自信がないというより、そこで扱っている対象が、ブログに書くほどの対象であるか、に疑問が生じる。
たとえば、現在の民主党代表選である。
とにかく“今年の終戦記念日の記念”として昨日掲載の各紙社説のタイトル(だけ)を記録しておく;
◆ 朝日新聞:《終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す》
◆ 読売新聞:《戦後66年 政治の「脱貧困」をめざせ》
◆ 毎日新聞:《大震災と終戦記念日 「ふるさと復興」総力で》
◆ 日本経済新聞:《8.15を思い、3.11後の日本を考える》
◆ 産経新聞:《あす終戦の日 非常時克服できる国家を 「戦後の悪弊」今こそ正そう》
◆ 東京新聞:《終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死》
今日書きたいのは、上記社説(ぜんぶ)のように徹底的に空疎“でない”言葉とはなにか、ということだ。
たとえば、こうある;
(かつて)《おのれを市民という者はいなかった》
ある本を読んでいて、ある言葉とかあるセンテンスに“撃たれる”ということは、ある。
どんなすぐれた本でも、その日の体調が悪く、集中力に欠け、クーラーをつけていても、頭がボーっとしてくる時に、目を覚まさせる言葉や文章がある。
《おのれを市民という者はいなかった》
という文は、辺見庸“緋ぢりめんと不動明王”という文章にある。
ここで<かつて>とカッコ付けでかいた時期は、辺見庸の子供時代である。
★ 眼もあやな緋ぢりめんの長じゅばんをばさりとはおり、大股であるいてくる男を見てどぎもを抜かれたことがある。(……)ふりかえると、緋ぢりめんが肩口からはだかり、牙をむきだした不動明王の顔が背に半分のぞいた。港町に育った子どものころ、うだるような夏の宵であった。
そしてこの文章が書かれた2010年の夏の夕、《ひとり公園のベンチにすわり、あの男を思った》のである。
さてぼくは、辺見庸より二歳年下であるが、ここに書かれている通りの“異形の者”とすれちがったことはない。
つまり、“ありのままの同形の、反復されるイメージ”はない。
しかし、“わからない”ということではない。
★ においは手に負えない不逞ななにかであった。下卑ていて、無法で、どこかわが身とまったく無縁でない、かすかに哀切な空気であり、消えてゆく記憶の粒子であった。
★ 金持ちは表面うらやましがられたが、金の亡者は心底軽蔑された。不当労働行為はいくらでもあったけれど、からだを張った抵抗もそれなりにあった。おのれを市民という者はいなかった。監視カメラなんぞなかった。口達者は尊敬されなかった。歌手や俳優もまともなスターはCMになんかでなかった。人びともマスコミもいま同様に無責任で、むなしく愚かしかった。たったひとりの持久的不逞には、だが、一目おいたりした。
どうも最近の“若者”は、たいした歳でもないのに、“自分の人生の思い出話”が好きなようだ(茂木健一郎のような“若者”もいる)
すぐ、“ぼくの子供の頃、あそこでザリガニをとってね…”とかはじめる(笑)
しかし、“おもいでばなし”は、それが正確であろうと、不正確であろうと、60歳を過ぎてからにしてほしい(爆)
つまり“かつて”(Once upon a time)ということには、ある程度の時間が(歴史が)必要である。
現在新聞社(=テレビ)で“論説委員”(最近は編集委員というの?)とかしているひとは、定年前なんだから、当然、60歳前なのである(笑)
<注記>
言うまでもないので、言わなければいいのに、言うが、
ぼくは<市民>より<ヤクザ>がいい、と言いたいのではない(たぶん辺見庸も)
ただこのブログを書いていて、ぼくは自分がずっと(学生の頃から)“べ平連”という名前に違和感を(はっきりいえば嫌悪を)感じてきたかの理由がわかった。
べ平連の活動も思想も(たぶん)そんなに悪くなかった。
しかし“一般常識”(そんなものがあるとして)に反して、大江健三郎は、“平和と民主主義と市民“的なひとでは、まったくないので、好きである(小田実とは、ちがう)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます