Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

コンゴの占い師

2011-06-05 14:04:27 | 日記


★ 占い師はラリーから貝殻と札を受け取った。札を丁寧にわきに置き、貝殻を自分の貝殻に混ぜた。スナップをきかせた柔らかな手首の一捻り。マット上に転がる貝殻のパターンをじっと見つめながら、置き去りにされた子供のように体を前後に揺すりはじめた。

★ 「あなたは考えることが多すぎ」そう言う占い師の声は尻上りに高くなり、やがて耳障りなほどの甲高さになった。「心配事が多すぎて、一人では担いきれない」あっちの奥さんに、こっちの奥さん。問題だね。大きな問題だ。あんたの人生は挫折の連続だけど、そのたびに立ち直り、また歩いてきた」

★ ラリーが目を大きく見開いた。「そのとおりだ」と言った。「まず母が死んで、次に父。自分が病気になって、夫婦関係が崩壊。妻は出ていき、いま、カリフォルニアでアフリカ系の男と暮らしている。(・・・・・・)電話の声が、ハロー、パパと言った。娘です。今日は21歳の誕生日で、やっとパパへの電話を許されました・・・・・・。娘がいるなんて知らなかったよ。一度も会ったことがない。おれのただ一人の子。なのに、一度も遊んだことがない。育つところも見ていない。21年前、ガールフレンドと喧嘩した。酷いことを言い合って分かれた。おれはオックスフォードに行って、それきりだ。腹に子供がいるなんて、一言も聞いていなかった」

★ 三人は黙って床を見つめていた。タカラガイが一個、カメの甲羅に似た背を下にして私のブーツの横に転がり、腹側の細長い開口部をあっけらかんと見せていた。(・・・・・・)それにしても、この貝はどうやってコンゴくんだりまで来たのだろう。(・・・・・)たぶん13世紀、ダウ船でエジプトに運ばれ、アラブ商人の手から手へ渡りながらアフリカ北海岸を移動し、ラクダの背の鞍嚢に入ってサハラ砂漠を南下した。小さな王国をいくつも経て、ようやく中央アフリカにたどり着いた。いや、それともヨーロッパの奴隷船だったろうか。頭の中で数字が蚊のように飛び回りはじめた。1520年、ポルトガル人は奴隷一人につき6370個のタカラガイを払った。「ロクセンサンビャクナナジュウ」と蚊が羽音を立てた。「ロクセンサンビャクナナジュウ、ロクセンサンビャクナナジュウ・・・・・」

★ ラリーが激しく両手を突き上げ、その手で頭を抱えた。頭皮を剥ごうとしているように見えた。驚いたヤモリが横の壁を素早く走り、また止まった。足の指がツタの巻きひげのように細かった。ラリーは顔をしかめ、苦く笑った。「なのに、いま、おれはこのくそいまいましいコンゴなんかにいる」

★ 占い師は貝殻と二枚の札を拾い、袋に戻すと立ち上がった。私たちも立ち上がった。「あんたは勇気があるよ」占い師はラリーにそう言って、プラスチックの短冊でできたカーテンを左右に分けた。外の部屋とはこのカーテンで仕切られている。「あんたは自力で強くなった。勇気があるね。立派な男だ」そして、ラリーの腕に触れ、微笑みかけた。一瞬、疲れた目がぱっと輝き、占い師が若い娘に変身した。

<レイモンド・オハンロン『コンゴ・ジャニー』(新潮社2008)>





さらに、

マーク君が、ゴリラについて語る;
★ 「(・・・・・・)ここに来るのは、普段はゴリラばかりなんですよ。ゴリラの赤ん坊。森で狩をする連中が母ゴリラを殺すんです。肉にして、燻製にして、赤ん坊は村に連れて帰って、おもちゃ代わりに子供にくれてやる。だから、蹴られたり投げられたり、結局、殺されてしまいます。ごくまれに助かる運のいいのがいて、水・森林資源省の武装監視隊の手でここに送られてきます。(略)でも、だいたいだめですね。鉈で切りつけられていたり、背中に鉛の弾を受けていたり。下痢で脱水症状を起こしているのもいるし、餓えて土を掬っちゃ腹いっぱい詰め込んでるのもいます。十二指腸虫に、カビに、ありとあらゆる寄生虫・・・・・・。心理的にも繊細です。ゴリラって感受性が強くて、感情豊かなんですよ。目の前で母親が殺されるのを見たんじゃ、心理的ショックが大きくて、病気で死ななくても悲しみで死んでしまいます。生きる意志が萎えたら、餌も食べません。この2年間で27頭の赤ちゃんゴリラを預かりましたけど、まだ生きているのはほんの4頭ですよ」


ゴリラの“マニェ”に会う;
★ ゴリラの体の重さと固さ、胸の剛毛の強烈な臭いにどうしていいかわからず、私はとりあえず「いい子だね」と言ってみた。そして、両手を持ち上げ、眼前に盛り上がる筋肉を力いっぱい押した。だが、そんな抵抗は役に立たない。マニェは苦もなく体を寄せてくると、黒光りする皺だらけの顔を私の顔に近づけ、口を開けた。上顎の二本の犬歯が厭でも見えた。マーリンスパイクほども大きい。さらに、ピンクの洞窟と舌、臼歯に、唾に、牛の息にも負けない甘い臭い。マニェはそのまま私の耳を噛んだ。右の耳を噛み、律儀に左の耳を噛んだ。噛みながら唸りつづけ、その唸りは高さとテンポが微妙に変化して、まるで非常な早口で悲しい独り言を言っているように聞こえた。

<レイモンド・オハンロン『コンゴ・ジャニー』>






2011-06-05 12:13:45 | 日記


昨日の茂木健一郎連続ツィートです、下から上へ読んでね;

kenichiromogi 茂木健一郎
以上、「パターナリズム」(「父権主義」)についての連続ツイートでした。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(9)親が小さく見えた時、人はきっと大きく成長している。国が小さな、頼りなく、情けない存在に見えた時初めて、私たちは精神的に一人立ちできるんじゃないかな。国なんて、所詮そんなもんだよ。だって、不完全で弱い人間が集まってできている幻想に過ぎないんだから。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(8)子どもは、最初は親に頼るが、そのうち大きくなって、自分で生きるようになる。それから、親の面倒を見るようになる。日本人はいい加減に、パターナリズムの幻想から覚めて、自分の足で立つようになったらどうだろう。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(7)国がだらしないとか、政治家がダメだとか、そういう言説を信用しない。「しっかりと保護してくれるはずだ」というパターナリズムに対する期待の裏返しに過ぎないからである。国だって政治家だって、しょせんは人間。あなたや私と同じように、不完全なのだ。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(6)情報を隠蔽していた、というのもパターナリズムの裏返しである。隠蔽していたも何も、最初からたとえば英語圏にはその情報があったりする。言葉の壁を考慮しても、自分で情報を集めようとすれば、それはとっくに存在しているものだったりするのだ。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(5)「パターナリズム」が、日本で飛び交う言葉の背後に見え隠れする。大新聞が社説で「国はもっとしっかり」などと書くのも、その一例である。国はどうせ大したことをやってくれないんだから、自分たちでさっさとやるよ、という気持ちが、そこには感じられない。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(4)どうも、日本人は、国というものを何でもやってくれる親だと思っているところがある。だから、裏切られると怒る。わめく。なんでやってくれないんだ、と追及する。しかし、それは裏返すと、国が面倒を見てくれるはずだ、という期待があるということである。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(3)子どもは、親が何でもやってくれるものと思っている。その期待が裏切られると、地団駄踏んで泣いたりする。どうして買ってくれないんだよ〜! そのうち、親もまた人間であり、完璧ではなく、いろいろ欠点もあるのだということが見えてくる。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(2)TEDでは、組織や、肩書きがあればいい、などとは誰も思っていない。大切なのは、「広げるに値するアイデア」だけ。政府に期待だとか、補助金がどうのとか、そんなことを一人も言っていないのは、きわめて爽快であった。
6月4日

kenichiromogi 茂木健一郎
パタ(1)「広げるに値するアイデア」を議論する場として注目されているTED (http://www.ted.com/)に参加した時のこと。3日目くらいに気付いた。誰も、連邦政府に言及しないし、大組織の話もしない。みんな勝手にやっている。
6月4日

(以上引用)



これに対する内田樹の反応(下から上へ);

levinassien 内田樹
ですから、日本を冒しているのは「パターナリズム」ではなくて、実はinfantilism なんです。
6月4日

levinassien 内田樹
日本の「父」はアメリカです。安全保障も、領土問題も、国際条約も、隣国との外交も、すべて「父」の許諾なしには決定できないという事実を「そのまま」受け容れた人たちが政治家になり官僚になり文化人になりメディアの発信者になっている。
6月4日

levinassien 内田樹
それは「日本は主権国家ではない」という事実を「屈辱」として感じていた世代が社会の第一線から消えて、その事実を「自然」だと感じる世代がエスタブリッシュメントの中枢を占めるようになってから、意識の前景から消えたのだと思います。
6月4日

levinassien 内田樹
おはようございます。今日は神戸は洗濯日和です。シーツ洗っちゃお。昼から合気道のお稽古、明日の支度をしてから、夜は元町でフレンチなのであります。茂木さんがパターナリズムについて書いてますね。でも、日本人のパターナリズムが強化されたのは、やはりこの30年くらいじゃないかと思います。
6月4日

(以上引用)


“infantilism”を電子辞書ジーニアス英和でひいてみる;

“infantilism“ではのってない。

“infant”がある;
☆ 幼児、小児、乳児
☆ 児童、学童
☆ 未成年
☆ 動物の子
☆ 初心者、新米


だから“infant”の“ism”なんよ。



茂木健一郎=1962年生まれ
内田樹=1950年うまれ


ここで問題となっているのは、“パターナリズムpaternalism(父権主義)”らしい。

茂木が“父権主義”を言ったのに対して、内田が“幼児化”を対置した。

しかし、このような論議に、なにか<意味>があるんですか?


幼児は、<父>を批判して(否定して)大人になる。

ぼくにも、幼児たった頃は、ほぼ60年前にあった。

しかし、ぼくには、父はいなかった

父を前提として語るひとの論議は、ぼくには、無意味である。



世界が狭いひとたちの“気の利いたおしゃべり”には、うんざりだ。

結局、このひとたちも、<父権主義=権威主義=保守主義>にすぎない。


ぼくはもっとダイレクトに世界を読みたい。







日本国の“一定のメド”

2011-06-05 11:29:02 | 日記


“一定のメド”という表現は、ほんとうに日本語らしい日本語だと思った。

それなら、“日本国の一定のメド”とは、何時(いつ)なのか?

《苔のむすまで》

おそまつ。


でもそれなら、もうすでに“すべてに”苔はむしてしまった。






<参考:国歌>

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで





アサリの気持

2011-06-05 09:50:48 | 日記


ぼくが子供の頃、“メロンの気持”という歌があったと思う。


<震災、アサリにもストレス 東邦大調査、殻の模様に異変>アサヒコム2011年6月5日5時47分

 福島県の沿岸で、二枚貝のアサリの模様に東日本大震災の影響とみられる異変が起きていることが、東邦大学の大越健嗣教授らの調査で分かった。9割の個体で殻の途中に溝ができ、それを境に色や模様が変わっていた。津波で環境が激変したことによるストレスが主因とみられるという。






ところで、(話題変わるが)、‘あらたにす新聞案内人’で元朝日新聞編集委員の松本仁一というひとが“サファリスーツのすすめ”というのを書いている、引用します;

《イスラエルの政治家やビジネスマンは服装にこだわらない。初代首相の故ベングリオン氏はネクタイをしたことがなく、英エリザベス女王との会見も開襟シャツで押し通したそうだ。
 外相のペレス氏と会見したとき、開襟シャツのことを尋ねてみた。ペレス氏は答えた。「私たちはこの国の将来に責任を持っている。問われるべきは私たちがそのために何をしたかであり、私たちが何を着ているかではない」。
 周りを「敵」に囲まれ、ひとつ判断を間違えるとイスラエルという国がなくなってしまう。そんなときに国民が政治家に求めるものはスーツではないのである。》
(以上引用)


“元朝日新聞編集委員”というのは国際経験豊かなひとらしいのである。
ちょっと“経歴”を見てみる;

《まつもと・じんいち 1942年長野県生まれ。1968年東京大学法学部卒。朝日新聞社に入り、社会部員、外報部次長、ナイロビ支局長、中東アフリカ総局長、編集委員を歴任した後、2007年に退職。以後、フリーのジャーナリストとして活動中。
 ボーン・上田国際記者賞、日本記者クラブ賞、日本エッセイストクラブ賞等を受賞。著書に「アフリカ・レポート」(岩波書店)、「カラシニコフ」(朝日新聞社)など。》(引用)


すんばらしい、御経歴である。

こういう“人生経験ゆたか”なひとの言っていることは、“聞くべき”であろうか!
すなわち、“この夏は、みなさん、サファリスーツで行こう!”。

しかしぼくには、疑問がある。

《周りを「敵」に囲まれ、ひとつ判断を間違えるとイスラエルという国がなくなってしまう。そんなときに国民が政治家に求めるものはスーツではないのである。》


この“元朝日新聞編集委員”の国際感覚とは、

イスラエルを取り囲む“国”を、<敵>と見る価値観(世界観)を疑わないのである。

もちろん、問題は、“スーツ”の種類ではない。

数々の賞をもらっている“ジャーナリスト”の国際感覚は、この程度である。


バカ!