Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ツイッター的世界から1950年代へ

2011-06-25 07:36:16 | 日記


ぼくのこのブログには、“難解(むずかしい)”という感想があるらしいが、今回ここに書こうとしているのは、とくに“難解”になりそう(笑)

まず最初にふたつのツィートを読んでいただく;

☆ takagengen 高橋源一郎
宮崎駿の「菅直人支持」メッセージに引き続き、「原発と愛と菅直人」に関するもう一つの黙示的文章。書いたのは矢作俊彦。 http://t.co/mgM0xPq
18時間前

☆ orverstrand やの字枕流
1)博多へゴダールを見に行った。打ち上げ花火のように散っていく20代のジャン=ポールと30代のジャン=ポールを見送り、思い出した。20代の私も30代の私も結局は散ることなく、こうして『少しずつ』死んでいる。放射能よりよほど、退屈に怯えながら。しかし、その夜は少々違った。
22時間前

(以上引用)



まず、“高橋源一郎”と“矢作俊彦”というひとに、これまでなんらかの“関心”がないひとには、上記の“発言”は、おもしろくない(ついでに“宮崎駿”というひとにも)


“ぼくはドーか”と言えば、現在のぼくは、高橋源一郎が嫌いで、矢作俊彦がわりと好きで、宮崎駿もむかしはわりと好きだった。

そういう人たちが、“管直人を支持している”ということには、“ちょっと”関心を持った。

どうやら“orverstrand やの字枕流”というひとが、“矢作俊彦”らしい。

それで上記引用につづく“連続ツィート“を読んだんだが、矢作が”管直人を支持している“とは単純に言えないが、やっぱ、支持していることにはなるだろう(笑)

宮崎駿の発言は知らない(見つけていない→知ってる人は教えてほしい)

ところで、ぼくは、“管直人を支持するか?”と聞かれたら(だれも聞かないが)、支持しない。
けれども、菅直人以外の政治家も、だれひとり支持しない。
つまり、こんどの震災-原発事故であきらかになったことは、現在の日本で“支持できる”ひとは、ほとんど皆無だということである。

もちろんこのことは、“こんどの震災-原発事故”以前から予感されていたことである。
“それ”が明瞭になった。

このことは、ぼくにとっても、“危機”である。

つまり具体的には、“だれの文章も(発言も)アホらしくて読めない”状態におちいる。


ここに書こうという気になったのは、“やの字枕流”というひとのツイートにある、“ゴダール”のことである。

なぜなら、“本が読めない”ぼくが、ここ数日、“ゴダールの伝記”を読もうとしていた。

そして、その本も、放棄したばかりだった。

上記引用に書かれている;
《打ち上げ花火のように散っていく20代のジャン=ポールと30代のジャン=ポールを見送り》
というのは、ゴダールの「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」のことである。

そもそも“やの字枕流”というひとは、ジャン=ポール・ベルモントや“エースの錠”が好きらしい。
ぼくは、そうではない。

“そもそも”、ゴダールが好きかどうかも、不確かになってきた。
まちがいなく言えるのは、「女と男のいる舗道」は好きだということ。

しかし「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」が“好きでない”のか、“好きでなくなった”のかは、考えるにあたいすることである。

ああ、しかし、“こんなこと”をいくら書いたって、ゴダールを見たことがない人々には、まったくどーでもいいことである。

つまり、“そのこと”が、問題である。

ぼくが読んでいたマッケイブというひとが書いた『ゴダール伝』(みすず書房)でも、印象に残るのは、アンナ・カリーナとかアンヌ・ヴィアゼムスキーとかとの(ゴダールの)“女との関係”である。

“それでいいじゃないか”とも言える(笑)

いや、“それでいい”のだが、この伝記でも、その関係は、芸能ゴシップとさほど変わらない。
たぶん、それが、まずい。

たしかに、“ヌーベル・ヴァーグ”とか、“五月革命”とかが、“もはや”しんどい。

なにしろ、“ぼくら”は、<世界のフクシマ>にいるのである。

結局、ゴダールの“ようなひと”が、やったことも、“児戯にひとしい”のだろうか?

まだ<?>はつくのである。

たしかに、“作家”とか“映画監督”とかは、不思議な人々である。

その“作品”が、(その一部であろうと)、“信じられない”表出を持ったひとが、くだらないことを言ったり、くだらない振舞いを重ねる。

そのとき、(これも最近読んだ)ジャン・ジュネの、
《どんな人も他の一人と等価であるという啓示》
という言葉が、電撃のように襲う。

この<言葉>自体が、難解であり、“謎”である。

(まさにこういう<言葉>こそが、考えるに“あたいする”)

ジュネもゴダールも、“1950年代”に活動を(その生産を)開始した。

どうもぼくには、“その時代”が、魅惑的である。
サルトルがいた。
“構造主義”と“ポスト構造主義(ポストモダン)”によって<乗り越えられた>サルトルが(もちろん、サルトルのかたわらには、メルロ=ポンティがいた)
マルグリット・デュラス、ミッシェル・ビュトールもいた。
そしてジャン・ジュネがいた。

そして1960年代、ぼくは大江健三郎を読み、“ロックンロール”を聴いた。


『ゴダール伝』に面白いエピソードがあった。
ゴダールが、ジョン・レノンを主役にトロツキーの映画を撮ろうとしたとき、レノンは“ゴダールを信用せず”断ったというのだ。
ローリング・ストーンズがゴダールのオファーを受け、くだらない映画に“出た”ことは、歴史的事実である。

ここにおいても、ジョン・レノンの感性は、まちがわなかった。




このブログのタイトルは、

”ピエロから丘の上のバカへ”

としてもよかった。