Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

読むこと、書くこと

2011-06-10 15:16:54 | 日記


★ 私は、なぜ、何のために、誰のために書いてきたのか。「ために」書いたとして、ほんとうにそれは「ために」なったのか。この本自体がいま私に厳しい問いをつきつける。

★ 考え続けること、書き続けることで、私たちは、壁の亀裂をさがし、そこから外に、できるなら誰かとともに、読む人びとともに、外に出ようとしている。たとえ壁は、牢獄の見える壁ではなく、空気のようにやわらかく私たちを包囲しているにすぎないとしても、空気のようであればあるほど、それは私たちの存在の毛穴にいたるまで浸透し、思考と身体を包囲している。

★ 私はジュネとともに多くの夢を見ることができたが、そのようにして私はジュネをただ裏切っているにすぎないのではないか。もちろんジュネへの忠実などありえないし、ジュネ自身の足跡が、私たちのあり方を許したことなどない。

★ ただ私たちは、狂信は問題外としても、あいまいな信をぶらさげてさえ生きているわけには行かない。何を、なぜ信じるのかはっきりさせるべきだし、はっきりしないなら信ずるのをやめるべきだ。これが続く限り、私たちはついに生にも、自由にもたどりつかないうちに、ただ惨憺たる状態を保存し、そしてある日確実に地上から消えていくだけだ。

★ ジュネが示したのは、これとはまったく逆の生き方なのだ。

<宇野邦一『ジャン・ジュネ 身振りと内在平面』後記(似文社2004)>



★ ジュネにとってパレスチナ(そしてブラック・パンサー)のあり方は、次々中断し、交代し、また反復されるエピソードや思索の不連続性そのものによって表現するしかないような何かである。一つ一つの挿話の切れめには、確かに意味の空白が生じるが、その空白こそが物語の対象なのだ。その空白で、不連続に見えるさまざまな断片が出会い、屈折した曲線を描く。

★ ジュネがパレスチナに発見したのは、西欧的な支配とはまったく異なる性的原理であり、異なる自己の形成なのだ。

★ もちろんこの闘いにさえも潜んでいた国家や支配の兆候から、ジュネは決して目を背けない。この本は一つの闘いの讃歌であると同時に葬送曲でもあるのだ。<革命>が決して生き延びないことをジュネは知っていた。

★ 現実の闘いと書くことの実践が、こんなふうに結合したのはおそらく前代未聞のことだ。

<宇野邦一“最後の本”=ジュネ『恋する虜』書評 ―『ジャン・ジュネ 身振りと内在平面』>





★ ・・・・・・現実とはとりわけ、私が決して定かに把握できないことの中にあり・・・・・・

<ジャン・ジュネ『恋する虜』>







“言い続ける”ことの貴重さ

2011-06-10 10:33:22 | 日記


村上春樹の発言が出ている。
ぼくが見たのは、時事通信と共同通信による。

いずれも短いコメントであるが、《日本人は核にノーと言い続けるべきだった》というメッセージは適切だと思えた。

ぼくは、ある時期、村上春樹の愛読者であり、近年、まったく逆の立場である。
そのことはDoblog以来何度も書いた。<注>

今度のこの発言についても“賛否両論”がでるのかもしれない。

そもそもこの<発言>自体が、ここで報道されている通りの“短い”ものであるかどうかも、わからない。

でもぼくにとっても、“この問題”に対する発言は、これで充分であると思える。

この<問題>は、こう言えばいいだけの問題である。



引用する;

<「核にノーと言い続けるべきだった」=カタルーニャ国際賞受賞の村上春樹氏>

 【パリ時事】スペイン北東部カタルーニャ自治州が文化や人文科学の分野で活躍した人に贈る第23回カタルーニャ国際賞が9日、作家の村上春樹氏に授与された。現地からの報道によると、村上氏はバルセロナで行われた授賞式のスピーチで福島第1原発の事故に触れ、「日本人は核にノーと言い続けるべきだった」と述べた。
 エウロパ通信によれば、村上氏はこの中で、福島の事故について「日本にとって2回目の核の悲劇だが、今回は誰かが原爆を落としたのではない」と指摘。「われわれは自分の手で間違いを犯し、国を破壊したのだ」と語った。(2011/06/10-09:16)



<核への「ノー」貫くべきだった 村上春樹氏がスピーチ>

 【バルセロナ共同】スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、バルセロナの自治州政府庁舎で、今年のカタルーニャ国際賞を作家の村上春樹さんに授与した。村上さんはスピーチで、東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
 「非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは福島第1原発事故を「(日本にとり)2度目の大きな核の被害」と表現。戦後日本の核に対する拒否感をゆがめたのは「効率」を優先する考えだとした
カタルーニャ国際賞は、人文科学分野で活躍した人物に送られる。




<注>

1992年に中上健次が死んだあと、いったいどの日本作家が、それ以上に“新しい”小説を書いたのか。

村上春樹も1980年代で終わっていた。

阿部和重?冗談ではない(笑)、青山真治のほうがましだ。

保坂和志?堀江敏幸? 読んだが、いやになった(笑)

むしろ『ロビンソン漂流記』や『ハックルベリィ・フィンの冒険』や『ツバメ号とアマゾン号』を読みたい。








<追記>

現在のぼくに関心があるのは、この“現在の日本”で、突出して多くの読者を持つ作家の発言が、その“多くの読者”に共有されるかどうかである。

過去に『ノルウェイの森』を大ベストセラーにし、現在『1Q84』を大ベストセラーにした作家の、この発言が、その本を読んだ“多数”によって支持されるか否か?

それは、作家の<責任>であると同時に、読者の<責任>である。

また、ある作家の発言を、支持するか否かは、その発言自体への理解であると同時に、その人が書いたものへの理解(読み)にかかわる。
その作家の存在(生き方)への理解にかかわり、それを読む“私”の生き方にかかわる。

ぼくはなにも“大層な”ことを言っていない。
しかしすくなくとも、“小説”は、たんなる暇つぶしの慰安ではなく、役に立たない“癒し”でもないはずである。


小説とか文学とかというジャンルではない。
ぼくは、文学や哲学や社会科学や自然科学とよばれ区画されるすべての言葉が、無効になることを恐れている。

そのとき、“すべて”は、宗教になる。

もし本に書かれた言葉が無効であり、生身で話された言葉が(言葉だけが)有効なら、ぼくはそれでも、よい。

ぼくは確信があって、本を読んでいるのではない。

ただ、ぼくの人生では、生身の言葉以上に本の言葉が重要だったのは、たんなる偶然である(それがぼくの資質=偏向=病気なら、それはそうでしかない)

だからむしろ、ぼくは、生身の言葉に、本という場所以外で出会うことを、ほんとうは望んできた。

しかし、たとえば、“原発に反対する”とか“核にノーを言う”という<言葉>は、本の中の言葉、テレビの中の言葉、新聞の中の言葉、ソーシャルネットの中の言葉であって、いつ生身の言葉になるのだろうか?

ぼくはツイッターで“つぶやく”有名人が、それらの自らの言葉を、新聞・雑誌にも書き、マイナーなテレビで発信し、講演・講義でも発言し、それらを結局<本>にするという、“あたりまえのこと”自体に大いなる不信を募らせている。

彼らの<生身の言葉>は、どこにあるのか?

どこにあるのか?


たとえば、<公共性>というような、難解な概念を持ち出すのか?

結局、<社会(関係-システム>)なのか?

古臭い<国家>が、またまたこの空虚=無意味をごまかすために称揚されるだけなのか(国旗国歌法)

ぼくらの生身が、生きる場所とは、この“旗や歌”で象徴される(象徴するものは他にもいるが;笑)、リアルを徹底的に排除するヴァーチャル空間でしかないのだろうか?

言葉は、この空虚(ヴァーチャル)を、補填(穴埋め)・強化するために存在するのだろうか?

それとも、それは、外の空気を吹き込ませることができるのだろうか。

傷口を満たすことができるのだろうか?

希望や自由も、言葉であった。
(希望や自由も、言葉である)