初めて奥入瀬渓流を訪れたのは昭和59年のこと。開通したばかりの東北新幹線(当時は大宮始発だった)で盛岡まで行き、そこから在来線やバスを乗り継いで十和田湖にたどり着いた。
…と自分で行ったように書いたけど、旅行を計画・手配したのは親で、私はただ連れられていっただけ。
にもかかわらず奥入瀬渓流は長い間、私にとって「自分が初めて主体的に関わった旅行先」として認識されてきた。
親に連れられて行った旅行先はそれ以前にもいくつかあるし、自分で企画・手配して行った旅行はもっとずっと先のこと。
では何で奥入瀬渓流が自分の初めての旅行先として認識されているのは、
初めて主体的に旅行に関わった(というつもりになった)旅行先だった
自分がどこに行くのか・行ったのか、どのルートを辿ったのかを日本地図でなぞった。
そのときに「物ごころ」ならぬ「旅ごころ」がついたのだと思う。
ノスタルジーのかけらもなく渓流に昂揚したのだった。
移動し観光するその瞬間だけでなく、後で思い出して懐かしく語り合うこともまた旅行の醍醐味だということを、私はこの旅行で知ったのではないか。
(下書きここまで)
…と自分で行ったように書いたけど、旅行を計画・手配したのは親で、私はただ連れられていっただけ。
にもかかわらず奥入瀬渓流は長い間、私にとって「自分が初めて主体的に関わった旅行先」として認識されてきた。
親に連れられて行った旅行先はそれ以前にもいくつかあるし、自分で企画・手配して行った旅行はもっとずっと先のこと。
では何で奥入瀬渓流が自分の初めての旅行先として認識されているのは、
初めて主体的に旅行に関わった(というつもりになった)旅行先だった
自分がどこに行くのか・行ったのか、どのルートを辿ったのかを日本地図でなぞった。
そのときに「物ごころ」ならぬ「旅ごころ」がついたのだと思う。
ノスタルジーのかけらもなく渓流に昂揚したのだった。
移動し観光するその瞬間だけでなく、後で思い出して懐かしく語り合うこともまた旅行の醍醐味だということを、私はこの旅行で知ったのではないか。
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