もし基礎的な声の開発術があれば、クリントン元大統領の声は本来の声であったはずだ。
そのような基礎的な声を磨くトレーナーがいないために、クリントン女史は大統領予備選で負けた。
端的にいうと私の声のトレーニングは「基礎的」であり、全ての職業に通じる。
むかし義太夫を国立の養成所で学ぶ若者が、私に泣きついてきた。国立義太夫養成所で学べば、学ぶほど声が壊れると言うわけだ。
浪花節のように「壊れた・壊した声が」よしとなるらしいのだが、のどが痛くて語れない・うなれないと嘆く。
当時、朝日新聞に私のことが大きく、しばしば形を変えて掲載されたので、その記事をみて泣付いてきた。
数回のトレーニングで、義太夫を語っても喉が痛くならなくなったと喜んでいた。
因みの民謡では総理大臣賞を2回とった女性、詩吟で同じく総理大臣賞をもらつた女性も私の生徒であった。
ところでアメリカに声の基礎的な部分を開発するトレーナーがいないのは、人種性骨格の違いと思われる。
昨年の12月24日に「歌うま外国人の」コンクールが行われたが、見事に日本語で日本人の歌をうたった。
「しびれた、鳥肌が立った」と日本人の多くが絶賛した。登場した外国人は「素人」で特別な声の訓練は受けていない。
それでも日本人のプロの歌手がだせない声を簡単に出していた。
それは民族が声に恵まれた、共鳴腔を生まれながらに持っているからだ。
しかし色々なケースがあり、クリントン元大統領夫妻のようなケースもまれにある。
しかし絶対数が少ないので、その人たちを「救う」ための研究をするボイストレーナーがいないわけだ。
そのアメリカに日本人の歌手のかなりは、ボイストレーニングを受けに、高いお金を払って出かける。
結果は哀れだ。
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