夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

6月15日(水)のつぶやき

2016年06月16日 04時27分20秒 | 日記・エッセイ

愛はすべてを癒す。

2016年06月15日 20時20分20秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛はすべてを癒す。

一切の怨念は無いのである。
一切の憎しみは無いのである。
一切の悪感情は無いのである。
愛は苦難を浄化して法悦にかえる。
愛を滅ぼすものは自己の憎しみだけである。
どんな小さな贈物も愛念の象徴として立つとき、
それは華麗な光彩をを放つのである。
天国の扉をひらくものは科学ではない、
愛なき科学は地獄の火の中につき落すのである。
愛があるとき科学がなくとも、常に其処に天国の扉がひらかれる。
愛は赦しである。
今まで人を愛しないで、従って未だかつて愛を失わない人よりも
失っても失っても愛せずにはいられない人の方が深い経験を得て、
魂が向上する。




病を癒す心

白隠禅師や、黒住教祖が精神的混乱の結果、肺結核にかかり度々喀血したり、血痰を排泄していたのが、
心機一転、雨上がりに澄みきった爽やかな風と明るい光が放つが如き心境になったとき
ビタミン等何ら栄養素を取らないでいながら、たちまちその肺結核が快癒してしまった実例は、
いかに精神上の調和と不調和とが胸部疾患に如何に影響を与えているかをものがたっているのである。









負の心と歓び・・・・・・無限の富

2016年06月14日 20時46分18秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
負の心と歓び

人格の二面性は誰にも存在するものですが、多重人格はあまり聞くことはありませんが
人間の内なる世界は魔可不思議な世界であります。
二面性の人格と二重人格とまたある条件が整うと完全に二つの人格が置き換わる人格があります。
例えばAの人格とBの人格が存在する場合、普段の生活はAの人格が存在している時に
ある条件が整うと突然Bの人格に変わることがあります。
このある条件と云うのは、心に負可がかかると内向していた性格が表面化します。
変わったBの人格はAの人格をある程度理解しているためにAからBへの流れを理解しています。
しかしBの人格からAの人格に変わった時にはBの人格の起こった事を薄々は理解していますが、殆ど忘れ去っています。
心に負可がかかる状態とは殆どが生活の中で失敗、色々な障害等で心が追い詰められた時
その劣等感(過去の心のコンプレックス等)を撥ね飛ばすために攻撃的な心理状態になります。
それ故にAの人格はBの負なる人格の状態を殆ど覚えていません。
普通の人間にもこのような人格の置き換わりは多少存在します。
頻繁にこのような状態が起きますと心の煩悶が激しくなります。
軽い状態を単なる悩みとして処理してしまいます。
心の悩み、障害は人間の心の非難場所でもあります。
悩みがある為に、歓びの世界へと到ることが出来ます。






無限の富

先ず富を実現しようと思ったならば、有限の富の形を念ずるよりも、神が無限の富の本源であり、その本源に既に無限の富が成就していることを念ずべきであります。現在あるどんな小さな『富』でもそれを神の恵みとして感謝して祝福することが必要なのであります。
現在与えられているものに感謝しなければ、次のものは与えられません。
すべての貴方を取り巻いている多くの物に感謝するのです。
そこから驚きべき祝福があなたの生活に反響して戻って来、無限の供給が流れ入って来るようになるのであります。






















6月12日(日)のつぶやき

2016年06月13日 04時48分24秒 | 日記・エッセイ

富の本質と真実の平等。

2016年06月12日 15時54分23秒 | 日記・エッセイ
富の本質と真実の平等。

平等でなければならないという不自由さ
豊かさ、幸せ感、価値感は一人一人おのずから違う筈なのですが、全ての人間が所得、衣食住、家庭的、社会的、地理的な環境が同じであり、平等であるということは有り得ないことであります。
このような平等は一年毎に藤の木に梅が咲き、梅の木に藤の花が咲くことであります。
平等にあまりにも執着しますと平等という怨念が付きまとい、心が狭くなり自由を奪われてしまい、
結果的に不平等が現われます。
眞の平等は神の善の世界にあります。
人間智で考える平等は搾取と争いを生むことになります。
一個のバナナと一個のリンゴと一個のキュウイを百人に平等に分けるには
それぞれを百個に切り分ける方法と、全てをミキサーに入れて混砕したものを分ける方法がありますが。
合理的にはミキサーの方法が平等に分けることが出来ます。
三次元の世界に住んでいる地球上の七十億の現象人間の総所得を一ヶ所に集め、それを七十億人に再分配することと同じであります。
例えば日本に流通している貨幣をすべて集めて総人口の一億2千万人程の人々に再分配すると平等になることと同じことであります。
頭脳で思考する限りは論理的には可能であります。
実際には地球上の全ての経済的価値を二次元の世界の平面上に並べてそれを横に移動させて再分配することは不可能であります。
このように富を横に移動させ再分配すると利害が絡んで争いとなります。
これは『富を横取り』するからであります。
横取りをされた方は憎しみを持ち奪い返すことになります。
経済的な価値さえこのような状態であります。
すべての項目を平等に再分配する事は至難の業であります。
しかし神から賜わる富は『真実なる平等の富』であります。
無次元の神から賜わる富を『立て取りの富』と云います。
富、豊かさ等すべての善きことは神から来たるのであります。





真に正しき富は、富めば富ほど人類全体を豊富にして人類の幸福を増進するものであって、
それは決して搾取してはならないのであります。
それが搾取となってあらわれるのは、それが正しき富でないからであります。
正しき富でないということは、縦に神から頂いた富でなく、横からの他の人類のとるべきものを自分が取っていると云うことであります。
続く・・・


















6月11日(土)のつぶやき

2016年06月12日 04時44分01秒 | 日記・エッセイ

一粒一粒の雨

2016年06月11日 20時38分18秒 | 誌編
一粒一粒の雨

一粒一粒の雨が斑な地表を穿つように

運命もそれぞれの場所に置かれている。

元は一つのものから生れたものなのに。

太陽と月が廻るにしたがい

夢と希望という種をはらみ

果てしない空間へと旅立ち、

時間という宝玉を得て

人生という物語を演じる。

まるで清らかな源流から

龍の如く曲りくねった渓谷を

生きる術のをすべて呑み込み

凄まじい濁流となってながれ

平穏なる大海原へと還帰する。



人はとかく人から受けた恩恵を忘れ勝ちである。
もしその人がいなかったら、どんなに淋しく、やるせない人生かと思う時、その人がいてくれるだけで幸せである。
その上、色々尽くしてくれ、便宜を計ってくれる。この恩恵を馴れすぎて忘れてはならない。
その恩恵に心から感謝することである。



6月10日(金)のつぶやき

2016年06月11日 04時47分51秒 | 日記・エッセイ

男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の? goo.gl/95UdVv


男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の③ fb.me/1sJvjnQvt



男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の③

2016年06月10日 23時15分53秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の③

思春期を迎える前頃から娘に男性と女性の違いと特質を説明しようとすると悉く娘達から非難されました。
女性を低く扱っていて蔑視していると言います。
これは男性である父親から娘に説明すると特有の女性劣等感が炸裂しました。
やはりこのような事は女性である母親からの説明が受け入れ易いと感じました。
五人の娘を育てるなかで、娘達一人一人から女性の特質である忍耐と優しさと熱烈さを教わりました。
また勤務先も三百人程の女性看護師のなかで働いていると、繊細で柔らかい心と大胆さを学びました。



男性の剛と女性の柔との優劣を比較することは薔薇の花と藤の花のどちらが美しいかと論争するようなものであります。
本当は、優劣などはないのであります。女性が男性の能力を発揮することによって男性との優劣を競うとすることは、
男性の能力に羨望の念を持つものであるから、女性は男性に劣っているから、男性の能力に追いつかなければならないと云う女性劣等感の変形にすぎないのである。
真に女性の本質において優秀の自覚に立つものは、男性の真似などする必要はないのである。
女性が男性化すると云うことは、男性が女性化すると同様に人生の損失であるのである。
『各々の人間は各々の自身の人間であれ』でなければならない。
このような自覚をすることによって各々の特長たる、ほかに類型なき美点を発揮することが出来、
人生に美しさと逞しさと調和とを実現することが出来るのである。






6月9日(木)のつぶやき

2016年06月10日 04時45分23秒 | 日記・エッセイ

男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の? goo.gl/IMCS54


男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の② fb.me/84i6S8oE7



男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の②

2016年06月09日 19時47分11秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の②

女性の検査技師が最近は細やかな女子力が落ちていると呟いていました。
共稼ぎ以前は長い間、多くの男性と女性の働く場所が別々に置かれており、互いに棲み分けて生活していました。
戦場、官史、漁師、建築、開墾等、主に男性は外に向かって働くことが主でした。
女性は家の中での賄い、生命の育み等、内に向かって働くことでした。
互いに棲み分けた場所を共に侵すことはありませんでした。
女性は内なる生命の尊さを最も大切にしたが故に柔らかな心と細やかな、行き届く心と
大きな愛を持って尊い生命を守り育んで来ました。
幼い子供は母を絶対的存在として意識していて、母を通して父なる存在を知ることになります。
それ故母は心の中の大黒柱的存在でした。
女性は国家を支える内なる大黒柱的存在でもあります。
母なる女性はどんな社会的制度のなかでも重要な位置にありました。
母が父なる良人を如何に思うかによって子の将来の運命を握ることにもなります。



女性と弓と矢…其の②

婦人が男性に素直に従うと云うことは別に女性の敗北と云う訳ではないのである。
従うことによってむしろその天性を発揮するのであり、それによって却って勝利を得るのである。
水は柔らかくして下に流れよう下に流れようとしているけれども、それは決して硬く厳然たる岩に負けたと云う訳ではない。
それは柔らかきが故に岩をも穿って進むことを得るのである。
それは山津波となっては、十畳の部屋ほどの巨岩をも手玉にとって翻弄し、みずからは何ら傷つくことはないのである。
例えば、婦人は弓であり、良人は矢である。
矢は剛にして一直線に外に向かって進む。
外に向かって矢は花々しいかも知れないが、内に柔にして丸くたわむ弓にあってはじめて矢は外に進むことが出来るのである。
それは寧ろ矢の勝利に非ずにして、矢を駆ってかくの如く進ましめる弓の丸く柔らかくたわむ徳の勝利であるとも云うことが出来るのである。
『勝利』と云うような言葉を使うと、どちらかが一方敗北したような感を受けるけれども、
実はどちらも天分に従って勝利するのであって、敗北などはないのである。
続く・・・・・













6月8日(水)のつぶやき

2016年06月09日 04時40分54秒 | 日記・エッセイ

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男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。

2016年06月08日 20時45分33秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。 

娘の幸せを考える時、やはり結婚して、子供を産み育てながら、良人と家族共々仲良く人生を通りぬけて欲しいと願うのが親の偽わざる気持であります。
最近は適齢期を過ぎてしまった男性、女性が多くなりました。
男女七歳にして席を同じゅうせずと云う言葉がありますが、
最近は幼い時から男女共学であり、潜在意識では男性も女性も互いに異性を意識しながらも男女平等の精神を身に着け、現在意識では異性をあまり意識しないで男女同じ立場での競争の原理の渦中に身を置いて、
切磋琢磨して生長を遂げた故に、男性も女性も本来の異性の本質の違いをよく認識しないまま青年期を迎えることになりました。
表面では身体的にも男女は違いがありますからその違いを理解していますが、
本当の意味での男性の本質、女性の本質をハッキリと理解していないが故にお互いに心のなかで戸惑いがある為、
互いに意識して求めることに自信がないようであります。
それ故に男性は男性的傾向の嗜好を選び、また女性は女性的傾向の嗜好に興味を持ち
ある意味で深い潜在意識では互いにレスビンアン(同性愛)的傾向があるようです。
家庭のなかでもどちらが父性的なのか、また母性的であるのか子供自身も戸惑っているようです。
自然界の花にも雄しべ、雌しべとハッキリとメリハリがついていて役割が違います。
雌しべは雌しべの生命も全うした時、また雄しべは雄しべの生命を全うした時に
次の世代に美しい花を咲かせる事ができます。
男性の本質、女性の本質を共に知る智慧が必要であります。




女性と弓と矢

人間にはポーラリティ(両極性)があるのである。
左の手は陽性であり、右の手は陰性である。天の陽気を受けてそれを陰性の方へ流し込むのが、左の手であり、陰性はその集まったものを放散するのである。男性は陽性にして天の陽気を受けて、それを女性に流し込むのである。
素直に男性の陽気を受けた女性は栄えるのである。
続く・・・・・











6月7日(火)のつぶやき

2016年06月08日 04時38分38秒 | 日記・エッセイ

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