夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

生命には個性がある・・・・・(純情な夫婦)

2016年06月02日 20時18分46秒 | 真理の言葉
生命には個性がある・・・・・(純情な夫婦)

仲間の一人が、しばらく連絡が取れないでいました。
十日後の部会に出席しましたがその時にも、もう少しで捜索願いが出るところだったと冗談を言いましたが、はっきりとは答えませんでした。
昨日の身近な座談会の時に、実は夫婦で六日間北米のカナダに行っていたと報告がありました。
近所に住んでいる妹さんにも親戚の人にも、誰にも知らせずに旅行に行っていたとの事です。
現地から連絡しようと思ったが、電話代が相手側にも掛かる等、とうとう機会を失ったそうです。
平、謝りでした。
友人を始め皆さんはヤキモキして心配していました。
以前から行って見たかった所だったそうです。
心に秘めた夢は誰にも知られたくない純粋な心情なのでしょう。
夫婦でその純情な夢を分かち合えたのでしょう。
心がお若い友人夫婦であります。




あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果を結ぶ種となる。




生命には個性がある

霊妙精緻な構造を、人間に宿る『神の叡智』は創造し、地上七十億の人間が同じ生理的構造の人体を備えていながら、そこから発する精神にはすべて異なる個性をもっており、個性が異なる表現であるかの如く、悉くその指紋が異なることの神秘には驚かされるのである。
何故、すべての人間が同一の生理的構造をもちながら、その人体から出てくる精神のはたらき及び内容がそれぞれ異なるということが起こるのであろうか。
それはその人体に宿っている霊魂(自由意志をもつエネルギー)がそれぞれ異なる個性を備えているからなのである。
人体の生理的構造はピアノの如きものであり、その人体に宿って人体を動かして自己の目的を達しようとしている
『霊魂』はピアノの演奏者みたいなものである。
同じ楽曲で同じ曲譜を演奏しても弾き手が異なるごとに、個性の異なる楽音がひびき出るのとおなじである。