夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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富の本質と真実の平等。

2016年06月12日 15時54分23秒 | 日記・エッセイ
富の本質と真実の平等。

平等でなければならないという不自由さ
豊かさ、幸せ感、価値感は一人一人おのずから違う筈なのですが、全ての人間が所得、衣食住、家庭的、社会的、地理的な環境が同じであり、平等であるということは有り得ないことであります。
このような平等は一年毎に藤の木に梅が咲き、梅の木に藤の花が咲くことであります。
平等にあまりにも執着しますと平等という怨念が付きまとい、心が狭くなり自由を奪われてしまい、
結果的に不平等が現われます。
眞の平等は神の善の世界にあります。
人間智で考える平等は搾取と争いを生むことになります。
一個のバナナと一個のリンゴと一個のキュウイを百人に平等に分けるには
それぞれを百個に切り分ける方法と、全てをミキサーに入れて混砕したものを分ける方法がありますが。
合理的にはミキサーの方法が平等に分けることが出来ます。
三次元の世界に住んでいる地球上の七十億の現象人間の総所得を一ヶ所に集め、それを七十億人に再分配することと同じであります。
例えば日本に流通している貨幣をすべて集めて総人口の一億2千万人程の人々に再分配すると平等になることと同じことであります。
頭脳で思考する限りは論理的には可能であります。
実際には地球上の全ての経済的価値を二次元の世界の平面上に並べてそれを横に移動させて再分配することは不可能であります。
このように富を横に移動させ再分配すると利害が絡んで争いとなります。
これは『富を横取り』するからであります。
横取りをされた方は憎しみを持ち奪い返すことになります。
経済的な価値さえこのような状態であります。
すべての項目を平等に再分配する事は至難の業であります。
しかし神から賜わる富は『真実なる平等の富』であります。
無次元の神から賜わる富を『立て取りの富』と云います。
富、豊かさ等すべての善きことは神から来たるのであります。





真に正しき富は、富めば富ほど人類全体を豊富にして人類の幸福を増進するものであって、
それは決して搾取してはならないのであります。
それが搾取となってあらわれるのは、それが正しき富でないからであります。
正しき富でないということは、縦に神から頂いた富でなく、横からの他の人類のとるべきものを自分が取っていると云うことであります。
続く・・・


















6月11日(土)のつぶやき

2016年06月12日 04時44分01秒 | 日記・エッセイ