joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

勉強と学校

2007年05月03日 | ちょっと言ってみました
先日、勝間和代さんが書かれた『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』の感想をエントリーしましたが、個々のページ毎の閲覧数としては(このブログの他のエントリーに比べて)かなり多い人に読んでもらいました。この書籍は今アマゾンでもずっと売り上げランキングで一桁台なので、とても大きな人が関心をもっているのでしょう。

勉強ブームが言われて久しいですが、それは衰える気配はありません。社会人向け大学院に通う人や、速読を学ぶ人や、専門学校などに通う人はとても多い。

多くの子供にとって勉強が苦痛なのにもかかわらず、なぜ大人がかくもこんなに勉強熱心なのか?

一つには、大人になって、ある程度の年数を生きていると、世の中の仕組み・動きを以前より知っているので、“勉強”という抽象度の高い活動でも、その抽象的概念を具体的な社会の動きと関連させることが容易になっているのだと思います。

英語にしても簿記にしても、働く上での活用のイメージを持ちやすいでしょう。また働くなどの実践的な場面から離れても、英語学習であれば、言葉(例え母国語でも)が実際に使われる仕方について大人のほうが経験が豊かな分だけ、イメージを持ちやすいでしょう。また簿記にしても法律にしても、大人になってから勉強すれば、それを具体的に自分がどう用いるかイメージしやすいし、また世の中の仕組みも大人のほうが身をもって実感しているので、専門的用語が現実では何を指すのかも容易に類推できるのだと思います。

また大学という、理論的な事柄を学ぶ場に大人が行きたがるのも、そのような抽象度の高い考えでも現実と関わりがあることを以前よりも容易にイメージでき、同時に理論的な考察が現実への理解をより深めることを実感しやすくなっているのでしょう。これは経済・法律系の学問に限らないと思います。

それに対して子供が勉強嫌いなのは、社会の仕組みや人間関係、あるいは自分自身への省察などをそれほどしたことがないため、抽象度の高い概念について具体的なイメージをもつことができないためです。要するに「なんのためにやるのかわからない」のですね。

「ゆとり教育の弊害」ということが言われますが、以前と同じように、子供に抽象的概念と現実との関わりをイメージさせる努力をせずに、ただ「学力」を上げさせるようにしても、多くの子供は受験勉強で疲れ果て、大学で自分から学ぶという気力を失うのではないでしょうか。結局同じことを繰返すだけになります。

例え学力があったとしても、昔から日本の大学では学生は勉強しないのが当たり前でした。卒業時には受験で覚えたことのほとんどを忘れていたのですから。「ゆとり教育」が本当に悪かったのか、まだまだ答えはわからないと思う。

どうすれば子供たちに、教科書の内容に具体的なイメージをもたせることができるのか?

例えば大前研一さんは、子供たちにより社会の現実を教えるために次のように提案されています。

「職業教師に任せるのではなく、社会全体が「面」として教育に参加し、各論としての教育を展開するべきだろう。

例えば、5人の子育てを経験した母親が、子育てについて話をしたり、消防士の人がたばこによる火事の実情を話すのだ。

このような社会の中の実体験に基づいた教育であれば、教育効果は期待できるだろう」(職業教師ではなく、社会全体で教育の担い手になるべき


他の例では、吉本隆明さんは、学問のその道の「大家」に学校で話をしてもらうべきと言っていました。

「学者」と言うと現実音痴の代表のように思われていますが、ある分野で最も優れている人ほどになると、その分野と現実との接点をよく知っており、また知っているからこそその道の「大家」になれたのだ、という趣旨で吉本さんはそう言われたのだと思います。


ただ、自分のことを振り返ると、こうした方法でどれほど子供たちが「社会」「現実」「学問」に目覚めるのか、よくわかりません。

一部の優秀な子供は目覚めるでしょう。「頭のいい」子というのは、教科書の抽象的概念をより具体的に豊かにイメージできるから勉強が楽しいのであり、そういう子は現実の社会で生きている人たちの話にも敏感に反応できるからです。

でも、大部分の子にとっては、他の多くの学校の行事と同じような意味しかもたないような気がする。

じゃあどうすればいいんだ?という最初の問いにもどるのですが、とりあえず思いつくのは、“学校”という場を、強制収容所のような秩序が支配する場からなるべく遠ざけることかな。そのためには、できるだけ教師の数を増やして、一人の教師の負担を減らすことが必要のように思う。

今、日本の学校では一クラス平均何人なのかネットで調べようとしても、なかなか分からない。そんな単純なことがなぜすぐに検索できないのか。どんな検索ワードなら分かるのか?

ともかく、教師一人当たり10人ぐらいにまでなれば、教師の人たちのストレスも相当に減るのじゃないだろうか。野獣のような思春期の子供たちを相手にするには、それぐらいの人数が限度だと思う。

たしかに人件費の問題があります。でも、最近の医療崩壊問題で医師の人が言うには、医師が本当に欲しているのはお金でも休みでもなく、自分の仕事への誇りだ、ということです( つきつめれば、誇りがもてなくなってきたのだと思う。 『女医の愚痴』)。すべてとは言わなくても、過酷な労働を強いられている勤務医の多くはそう思うでしょう。

教師の人たちの多くも、出世云々よりも、もっと余裕をもって生徒と接することが本当に望んでいることじゃないだろうか。



参考:「ゆとり教育で学力が向上した ~逆風を追い風に変えた京都の教育改革」 NBOnline