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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

自由なコミュニケーション 『ハッピーになれる算数』新井紀子(著)

2006年09月04日 | Book
『ハッピーになれる算数』という本を読みました。著者は数学者の新井紀子さんという方です。

対象は小学校高学年から中学校低学年ぐらいだと思います。「14回の授業」を通して算数・数学の大切さを学びます。私は一ヶ月ぐらい通して一通り読みました。

僕は学校時代に「算数」も「数学」もホントにできませんでした。だから、一般の人が数学について知っている基本的なことを自分は知らないのではというコンプレックスがあります。

この本は『算数』を扱っているので、そういうコンプレックスまで解消してくれるわけではありませんが、なぜ『算数』『数学』を学ぶことが大切なのか、とても丁寧に著者の新井さんが説明してくれます。

著者が強調することの一つは、算数の問題を解くときは、まず答えの単位をハッキリさせ、自分で答えの欄を作りましょう、ということ。

例えば、

たけしくんは300円で、30円の鉛筆何本かと50円の消しゴムを1つ買おうと思います。なるべくおつりが少ないように買うにはどうすればいいでしょう。また、そのときおつりはいくらでしょう。(20頁)

という問題を解くときに重要なのは、

「答え 鉛筆の数 本、おつり 円」というように、何を求めるのかをハッキリさせること。そしてその目的に合わせて、上の文章題から分かることを一つ一つ確かめていきます。

あまり書くと著作権を侵害しそうなので詳しいことは書きませんが、著者が強調するのは、問題を解く手がかりは、つねに問題の文章の中にあるということです。その文章の中に示された数字から、

 それらで組み立てることのできる式、
 何と何がイコールすなわち“釣り合う”関係にあるのかということ、
 計算を解く際の最低限のルール(例えば、「÷(○×△)は、÷○÷△に直すことができる」など)

などを同時に使い、とにかくわかることを一つ一つ解いていけば答えを導くことができるのあって、「数学の問題を解くには数学のセンスが必要と言うのは迷信だ!」と著者は言います。

ちなみに、この小学生と中学生低学年向けの問題でも、私はかなり多く間違えました。ただ、この本のいいところは、なぜ私たちは数学の問題を間違えるのかを、納得させてくれるところだと思います。

著者が何度も何度も注意を促すのは、文章題から導ける式(何と何が釣り合うかという“関係”)を作る際に、自分はその文章のどういう“関係”を式にしているのかを、つねに確認しなさいということです。

それは例えば、x,y,zといった記号を使うとき、それらの記号は何を表すのかを確認したり、最終的に求められている答えの単位は長さなのか時間なのかをハッキリさせておいたり、といったことです。

一つ一つの式が文章題の何を表しているのかと言うこと、それを確認しながら問題を解くことが数学で大事なことだということです。著者は言います。数学は、哲学や経済学や国語とちがって、だれが見ても、「ああ、これは、あたりまえだ・・・・・・」と思うことだけをつなぎ合わせて作文を作ることだと(198頁)。

この本を読んで私が感じたのは、数学で求められることは、自分の中で性急に判断を下したり、独断で論理を作らず、客観的な論理のみを発見していくということ。それは要するに、感情的にならず、客観的で冷静な心構えをもって、物事を分析していくということです。

書いてみるとあたりまえのようですが、その当たり前のことが普段の自分はできていないので、数学を学ぶことは大事なのだな、と痛感させられます。

わたし(たち)はついつい物事を自分の都合のいいように解釈してしまうのですが、数学とは多くの人に見られるそのような態度を是正して、つまり“自分”というものを抑えて、客観的なものに身を委ねることを学ぶ学問なんだな、とこの本は言っているように見えます。

たしかに数学の問題を解く際には、“ひらめき”みたいなものを使って、文章題の中にある“関係”すなわち式を見つける能力が必要でしょうし、基本的な問題を解くときでは十分だったように文章題の中の数字をただ使うだけではレベルアップしないでしょう。

ただ、そのような式を発見するのも、あくまで“自分”というものを消して、“ひらめき”みたいなものが降って来ることを信頼する能力にかかっているように思います。

その意味では、数学と言うのは、論理的であると同時に、とてもスピリチュアルな学問なんだなと感じました。

そして、物事を分析する際に、そのように“自分”というものを消して、「はっ」というひらめきで得られる答えを使うことは、個々人の人生を歩む上でも、また社会について考える上でも、わたし(たち)に求められていることなのではないかと思います。

論理的に考えることというのは、すなわちスピリチュアルなものを信頼すること。この逆説は面白いですね。そんなふうに、難しい問題を解く際にも、論理を積み重ねながら、一見しては得られないよう解法を発見する快感を味わってみたいです。

またそのように“自分”というものを消して論理的に考えるとき、わたしたちは公平で建設的な“話し合い”というものができるんでしょうね。

“自分”を抑制すること。独断や性急さを抑えること。論理に身を任せること。それらの大事さ。また、数学の問題を解けなかったときというのは、そうしたことの大切さを忘れて、独断や恣意に走ってしまったかもしれないこと。

この本を読むと、どうすれば数学を解けるようになるかと同時に、なぜ数学を解けないのかも示唆してくれているようです。

数学を学ぶことは、お互いに建設的に議論するマナーを身につける訓練になること。そうすれば、わたしたちはよりより社会を作れるかもしれないこと。

そうなれば、本当に『ハッピーになれる算数』です。

この本は、もちろん小学生や中学生に読んでもらいたくなる本です。また同時に、子供に、「どうして算数・数学、あるいは勉強をしなくちゃならないの?」と質問される親御さんたちにとっても、“勉強”ということから人は何を学ぶことができるのだろうかという問いについて答えるきっかけを与えてくれる本だと思います。

たしかに著者が言うように、算数以外の事柄では、例えば社会のあり方などの問題では、すべての人が納得するような答えを導くことは不可能かもしれません。しかし私たちは、算数や他の教科を学ぶ過程で、“他の人に論理的に説明すること”の大切さを学ぶことができるかもしれません。


最後に著者は、谷川俊太郎さんの「何が一番大切ですか?」という質問に、

「フェアプレー。社会がフェアであること。楽しく仕事を続けること。」

と述べています。

気分

2006年09月04日 | reflexion


幸せな気分を得ようとすると、不幸になると言われます。

幸せな気分とは、たとえば急に眼前で青い空が晴れ渡るような感じ。穏やかで希望に満ち、この世界がわくわくしたものに感じられる感じ。

そのようないい気分を必死にわたし(たち)は追い求めます。

でも、そういう“いい気分”は続かないことを、わたし(たち)はどこかで知っているように思う。

“いい気分”を維持しようとしているうちに、今度は“わるい気分”にはまり込みます。

“いい気分”も“わるい気分”も、気分は気分でしかないのですが。


涼風