政治・経営学者のピーター・ドラッカーの“Management Challenges for the 21st Century”を久しぶりに聴いてみました。
久しぶりに聴いてみて、とくに新たな発見があったというわけではないのですが、あらためて感じたのが、彼の未来像は楽観的でも悲観的でもないけれど、しかしとても不確実な時代が来ると考えていたこと。少なくとも出版当時に彼に見えていたことは、これまでの経済先進国の前提が崩れることが明らかだということであって、それに代わる社会の安定した土台となる構造は発見できなかったということです。
今では誰にも浸透している「少子化」という問題ですが、おそらくドラッカーはそのことがヨーロッパと日本に与えるインパクトを早く認識した一人だったのでしょう。この少子化により
・どれほど政治家が選挙公約で年金制度の安定を約束しようと、もはやそれを維持することはできないこと
・同時に、リタイア後の「セカンド・ライフ」に向けての個人顧客向け金融商品が産業の主流になること
を繰り返し説きます。これが1999年の出版当時にどれだけ卓見した洞察だったかどうかは私には分かりませんが、少なくとも社会の大勢はその流れをまだ予測していなかったと思います。
この少子化により、年金制度を維持できないと同時に、大量生産方式の巨大製造業を維持することもできなくなるので、個人の寿命を上回る企業という存在は希少になり、逆に個人の寿命が企業の寿命を超え、個人は企業に依存することもできず、また年金・社会保障という国家制度に依存することも難しくなります。
このように組織に依存することができない中で、それでも経済が富を生み出すとすれば、それはやはりドラッカーの主張する知識労働に基づいた“差異”のある商品作りになります。
個人が組織に依存した人生を送ることができないとき、個人が自分自身の強みを発見し生かしていくこと、それをドラッカーは「知識労働」と呼ぶのでしょう(だから、知識労働=デスク・ワークという意味ではないと思います)。“knowledgeable worker”ですから、自分の頭脳・体内にある“知識”を活用して活動を行なう労働です。
この「知識労働」が主流になる社会とはどういう社会なのかは、でもドラッカーもはっきり分からなかったんじゃないでしょうか。
たとえば「医者」や「弁護士」というのが従来の「知識労働」の典型ですが、このような数が限定される資格業が主流になる社会が訪れるというわけでもないでしょう。
ドラッカーは、「知識労働」とは、自分の仕事は何なのかを自分で見つけることができること、また自分の“強み”を把握できること、と言います。
また同時に、これからは“組織”とは国籍などの制度に縛られず、ますます“operational”な関係だけがクローズアップされると言います。
つまり、個々人がその“強み”を発揮して、その“強み”が機能的に結びつく社会。“組織”は、その関係から事後的に観察されるようになるのかもしれません。
しかしこれはやはり、人口減少によって社会の経済的土台が崩れる中で、それでも人が生き残る場合を考えればどうなるかといように問いを立てた場合の答えであって、必ずそういう社会が訪れるのかどうかは私にはよく分かりません。
また、ドラッカーが経済的不平等の拡大になぜ触れなかったのかも、さしあたり私にとっては分かりません。このような、個々人が“強み”を発揮させる社会は、少なくとも当初においては、ビジネススキルをもつ「強者」たちの独占的勝利につながることは、アメリカとイギリスの現実を目の当たりにしていたドラッカーにとっては自明のことだったはずです。またそれにより、アメリカやイギリスには「先進国の中の第三世界」とも呼ぶべき貧困層が出現していたことも周知の事実です。
このような貧困層の出現は、新しい社会への移行期において生まれる一時的な悲劇なのか、彼は考察しなかったのでしょうか。それとも別のところで積極的に述べているのでしょうか。初期の著作において、失業問題の解決こそ資本主義の使命と考えていた彼の視点は、後期においてはどのように維持されていたのでしょうか?
久しぶりに聴いてみて、とくに新たな発見があったというわけではないのですが、あらためて感じたのが、彼の未来像は楽観的でも悲観的でもないけれど、しかしとても不確実な時代が来ると考えていたこと。少なくとも出版当時に彼に見えていたことは、これまでの経済先進国の前提が崩れることが明らかだということであって、それに代わる社会の安定した土台となる構造は発見できなかったということです。
今では誰にも浸透している「少子化」という問題ですが、おそらくドラッカーはそのことがヨーロッパと日本に与えるインパクトを早く認識した一人だったのでしょう。この少子化により
・どれほど政治家が選挙公約で年金制度の安定を約束しようと、もはやそれを維持することはできないこと
・同時に、リタイア後の「セカンド・ライフ」に向けての個人顧客向け金融商品が産業の主流になること
を繰り返し説きます。これが1999年の出版当時にどれだけ卓見した洞察だったかどうかは私には分かりませんが、少なくとも社会の大勢はその流れをまだ予測していなかったと思います。
この少子化により、年金制度を維持できないと同時に、大量生産方式の巨大製造業を維持することもできなくなるので、個人の寿命を上回る企業という存在は希少になり、逆に個人の寿命が企業の寿命を超え、個人は企業に依存することもできず、また年金・社会保障という国家制度に依存することも難しくなります。
このように組織に依存することができない中で、それでも経済が富を生み出すとすれば、それはやはりドラッカーの主張する知識労働に基づいた“差異”のある商品作りになります。
個人が組織に依存した人生を送ることができないとき、個人が自分自身の強みを発見し生かしていくこと、それをドラッカーは「知識労働」と呼ぶのでしょう(だから、知識労働=デスク・ワークという意味ではないと思います)。“knowledgeable worker”ですから、自分の頭脳・体内にある“知識”を活用して活動を行なう労働です。
この「知識労働」が主流になる社会とはどういう社会なのかは、でもドラッカーもはっきり分からなかったんじゃないでしょうか。
たとえば「医者」や「弁護士」というのが従来の「知識労働」の典型ですが、このような数が限定される資格業が主流になる社会が訪れるというわけでもないでしょう。
ドラッカーは、「知識労働」とは、自分の仕事は何なのかを自分で見つけることができること、また自分の“強み”を把握できること、と言います。
また同時に、これからは“組織”とは国籍などの制度に縛られず、ますます“operational”な関係だけがクローズアップされると言います。
つまり、個々人がその“強み”を発揮して、その“強み”が機能的に結びつく社会。“組織”は、その関係から事後的に観察されるようになるのかもしれません。
しかしこれはやはり、人口減少によって社会の経済的土台が崩れる中で、それでも人が生き残る場合を考えればどうなるかといように問いを立てた場合の答えであって、必ずそういう社会が訪れるのかどうかは私にはよく分かりません。
また、ドラッカーが経済的不平等の拡大になぜ触れなかったのかも、さしあたり私にとっては分かりません。このような、個々人が“強み”を発揮させる社会は、少なくとも当初においては、ビジネススキルをもつ「強者」たちの独占的勝利につながることは、アメリカとイギリスの現実を目の当たりにしていたドラッカーにとっては自明のことだったはずです。またそれにより、アメリカやイギリスには「先進国の中の第三世界」とも呼ぶべき貧困層が出現していたことも周知の事実です。
このような貧困層の出現は、新しい社会への移行期において生まれる一時的な悲劇なのか、彼は考察しなかったのでしょうか。それとも別のところで積極的に述べているのでしょうか。初期の著作において、失業問題の解決こそ資本主義の使命と考えていた彼の視点は、後期においてはどのように維持されていたのでしょうか?