NHKの大河ドラマ「義経」もいよいよ佳境を迎え、兄である源頼朝との仲が険悪になり、これまでの源平合戦からちょっとばかり趣きが変わってきた。
僕はこのドラマ、いつもBSハイビジョンで日曜日の6時からのオンエアを観ている。
日曜日の夕暮れ時。
いつも明日からの仕事の日々を考え、憂鬱に苛まれる時間帯。
少し早めの夕食を済ませ、テレビの前に佇む。どろーんとした心。ああーっ、明日からまた仕事かよと考える。そこでおもむろに「義経」が始まるのだ・・・。
あと約二ヵ月でこの大河ドラマは終わる。なので、ドラマ自体も頼朝と義経の不仲が決定的になり、義経一行による悲劇の逃避行が始まるその直前辺りまで差し掛かっている。
自分も暗いのに、観るドラマも暗いという二重苦現象。
だから近頃は観るのがとても億劫だ。
鈴木輝一郎という作家が、新潮新書から出した「もしも義経にケータイがあったなら」。
これが中々面白い。
頼朝と義経の間に生まれたその溝の主たる原因は、義経の「報告・連絡・相談」、つまり「ホウレンソウ」がなかったからというのである。
確かに、源義経という人間、一の谷の合戦や壇ノ浦の戦い、それから木曽義仲を討ち取った合戦に至るまで、戦略的思考は天才的だった。
しかし、政治的な行動というか策略というか、その辺りはとても酷くて、能天気この上ない。
組織というものは、この本でも詳しく述べているように、ある意味非情で冷酷な面がある。良し悪しの問題ではなくて事実としてそうだと思う。
源頼朝は、後に鎌倉幕府を開くのだけど、そこでも身内登用を極力排除し、積極的に効率的な人事体制を敷いた。
源頼朝は戦下手だと言われる。そのこともあって、彼はほとんど鎌倉周辺に居を構え、平家との戦いに関しては源義経たちに全て委ねている。
彼は、それまでの院政を排し、新しい政治システムを創りたかったのだろう。
だから、弟である義経も単なる組織の一員として扱い、一人で独断した際にはキツイ罰則も与えたのである。
まあ、日本人の義経びいきは、彼の平家との戦いでの奇襲や、その後の悲劇が相俟って徐々に伝説化したのだとは思うけれど、独断専行することが多く、いつも頼朝を困らせたらしい。
ケータイなどなかった時代。
ましてや事後報告など、遠距離であればあるほど時間が掛かる。義経の頼朝に対する報告はいつも簡単で危機感がないものだったという。
不信が不信を呼び、温情も時には見せつつも、義経に対して反省を求めた兄としての頼朝。
しかし危機意識の薄い義経は、それらの意を汲み取ることもせず、ひたすら我が道を突き進んでしまった。そこに悲劇が生まれた。
怖い。
今だってあるよね。ちょっとした情報の行き違い。それから誤解。話し合いの無いままの思い込み。時代はいつだって変わらない。
僕はこのドラマ、いつもBSハイビジョンで日曜日の6時からのオンエアを観ている。
日曜日の夕暮れ時。
いつも明日からの仕事の日々を考え、憂鬱に苛まれる時間帯。
少し早めの夕食を済ませ、テレビの前に佇む。どろーんとした心。ああーっ、明日からまた仕事かよと考える。そこでおもむろに「義経」が始まるのだ・・・。
あと約二ヵ月でこの大河ドラマは終わる。なので、ドラマ自体も頼朝と義経の不仲が決定的になり、義経一行による悲劇の逃避行が始まるその直前辺りまで差し掛かっている。
自分も暗いのに、観るドラマも暗いという二重苦現象。
だから近頃は観るのがとても億劫だ。
鈴木輝一郎という作家が、新潮新書から出した「もしも義経にケータイがあったなら」。
これが中々面白い。
頼朝と義経の間に生まれたその溝の主たる原因は、義経の「報告・連絡・相談」、つまり「ホウレンソウ」がなかったからというのである。
確かに、源義経という人間、一の谷の合戦や壇ノ浦の戦い、それから木曽義仲を討ち取った合戦に至るまで、戦略的思考は天才的だった。
しかし、政治的な行動というか策略というか、その辺りはとても酷くて、能天気この上ない。
組織というものは、この本でも詳しく述べているように、ある意味非情で冷酷な面がある。良し悪しの問題ではなくて事実としてそうだと思う。
源頼朝は、後に鎌倉幕府を開くのだけど、そこでも身内登用を極力排除し、積極的に効率的な人事体制を敷いた。
源頼朝は戦下手だと言われる。そのこともあって、彼はほとんど鎌倉周辺に居を構え、平家との戦いに関しては源義経たちに全て委ねている。
彼は、それまでの院政を排し、新しい政治システムを創りたかったのだろう。
だから、弟である義経も単なる組織の一員として扱い、一人で独断した際にはキツイ罰則も与えたのである。
まあ、日本人の義経びいきは、彼の平家との戦いでの奇襲や、その後の悲劇が相俟って徐々に伝説化したのだとは思うけれど、独断専行することが多く、いつも頼朝を困らせたらしい。
ケータイなどなかった時代。
ましてや事後報告など、遠距離であればあるほど時間が掛かる。義経の頼朝に対する報告はいつも簡単で危機感がないものだったという。
不信が不信を呼び、温情も時には見せつつも、義経に対して反省を求めた兄としての頼朝。
しかし危機意識の薄い義経は、それらの意を汲み取ることもせず、ひたすら我が道を突き進んでしまった。そこに悲劇が生まれた。
怖い。
今だってあるよね。ちょっとした情報の行き違い。それから誤解。話し合いの無いままの思い込み。時代はいつだって変わらない。