木春菊の雑記帳

2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

一豊・千代博覧会①

2006-03-21 21:05:14 | 関西
 関西旅行レポートも大詰め。
第15回は長浜編・前編です。

最後に訪れたここが一番の目的地。
北近江は一豊最初の知行地ということで
北近江一豊・千代博覧会」開催中。
(1月8日~11月30日)
長浜はその中心であり
3つの施設で特別展が開かれています。

最初に訪れたのは
一豊・千代夫婦館(大通寺)。
大広間には長浜ゆかりの2組の夫婦、
秀吉とおね一豊と千代の肖像と
それぞれを象徴したガラス細工と書が
展示されていました。
建物を出ると広い敷地に
立派な本堂、大きな山門。
さすがは長浜の信仰の中心です

続いて訪れたのは
一豊・千代物語館(曳山博物館)。
北近江の俯瞰図などが展示され
大河ドラマの映像が上映されていました。
常設展では
長浜曳山祭りの様子が展示されており、
受け継がれてきた
四百年の歴史を感じました

次回最終回は長浜編後編です。

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千代紙 (雑学1)
2006-03-22 11:06:42
現在大河ドラマ放送中の山内一豊の妻・千代が着ていた着物の柄から千代紙が出来たという説を最近ネット上で見かけるようになったが、実は、一豊の妻の名前が「千代」だという確実な証拠は現時点では1つもない。



千代紙はもともと江戸にあった紙問屋「いせ辰」の商品名で、千代とは江戸城の別名『千代田城』からとられた。大奥でカラフルな柄が大評判になった事から、その名がついた。



※土佐藩の帳簿に書かれている千代は山内忠義の生母の名前。一豊の妻は忠義の義母なので勘違いされたらしい。

帳簿の千代さんが出家した後の法号は妙玖院となっているが、一豊の妻の法号は見性院なので確実に別人。

生前の記録の中では一豊の妻の名は晩年の見性院しか判明していない。



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