うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

映画 日本のいちばん長い日

2015年08月12日 | 映画

いま、タイトルを書こうと思って「日本のいちばん暑い日」とかいてしまいました・・

さて、昨日書きそびれた半藤氏の本、そして今日は映画も見てきました。

宮城事件(昭和20年8月14日深更に起きた、一部の陸軍士官たちによるクーデター未遂事件)を題材にしたものです。

先日話がそれたのは、半藤氏がこれを書いたのが50年前の昭和40年のことであり、当時の日本はまだ戦後20年で戦争の生々しい記憶が人々の間に残っており、関係者たちも多数存命だった、ということを書いたあたりでした。つまり、関係者たちに配慮した書き方をせざるを得なかったのだろうな、と。

歴史のパースペクティブというのは、多くの人が体験するところかも知れませんが、自分の年齢と共に変わっていくものです。子供の頃は、祖母たちの若い頃など、遙か昔のことであり、それこそ明治、大正の頃とそれほど区別がつかないような感覚でしたが、年と共に、あのアジア・太平洋戦争の時代がより身近に、自分の生きている現在の延長線上に捕らえられるようになってきている気がします。

人の世は短くても、街や自然はそのまま何世代も残り、かつてそこにいたであろう人々の記憶を思い起こさせてくれます。まあ、日本では街の寿命も短くなってはいますが。

そうはいっても、その時代の空気や、もっと具体的には、人々がどんな形で集い、話し合い、行動していたのか、本を読みながらそんなことを想像します。冷房の(ほとんど)ない時代、正装して御前会議をして、暑くなかったのかな、とかね。

映画を見ると、そんな想像が目の前に出てくるところがいいですね。特に今の映画はCGがすごいので、一気に引き込まれてしまいます。

この日、出先から都心に戻る途中で時間を作り、佐倉にある国立歴史博物館を訪れました。

京成佐倉の駅から徒歩15分、バスで5分なのですが、城跡にあるそうなので坂道がしんどかろうとバスに乗ったところ、あろうことかバスが反対方向に走っていきます。慌てて運転手さんに聞くと、方向が逆との由。親切にも運賃を免除してくれて、歩くときの行き先を教えてくれました。

ちょうど駅に向かう大きな通りのあたりでおりることができたのですが、炎天下1キロちょっと余計に歩くはめに

駅から、今度はあきらめて歩きました。やはり坂はきつい・・。

ついたのは入場終了直前で、大急ぎで回りました。かなりボリュームがありますね。丁寧に見るなら2時間ぐらい必要かも。

佐倉には歩兵連隊があったそうで、その展示も充実していました。

戦意高揚を訴えるポスター

日本の無条件降伏を伝えるカリフォルニアの新聞。'Emperor to Give Homeland First Account Tonight' 、天皇が自国民に対し始めてお言葉をのべられたという 記事があり、その抜粋が記載されています。新聞の見出しとはいえ、to give homeland first accout というきわめて簡単な単語の羅列からこうした意味を伝えるんだから、英語って・・一生勉強してもマスターできそうにないな。

映画は昭和20年4月、鈴木貫太郎枢密院議長が首相に任命されるところから始まる。任命を巡る鈴木と昭和天皇とのやりとり、有名なルーズベルト大統領死去に対する弔辞などをへて、8月10日の最高戦争指導会議まではとんとんと話が進んでいく。

この辺り、人物の紹介などがあまりないので、この頃の史実に詳しくない人はちょっとついていくのが辛いんじゃないかな、という気がする。以後、陸軍青年将校たちなどもたくさん出てくるが、なにしろ同じ制服、坊主頭なものだから、誰が誰だか僕にもよくわからなかった。

大西瀧治郎軍令部次長、安井藤治国務大臣は、原書(日本のいちばん長い日)には出てこなかった(映画は他にも2つの原書を元にしており、そこにでているのでしょうね(訂正:安井大臣は記載がありました。大西中将も触れられているのですが、映画のような会話があったかどうか、確認中))ので、映画を見たときは誰だかわからなかった。もっとも、史実をもとにした映画作品というのはそういうもので、この映画に限ったことではない。それに誰だかわからなくても作品は楽しめる。

ここから青年将校たちの叛乱が始まる。以後は映画を見ていただきたい。

昭和天皇は本木雅弘が演じている。この人は徳川慶喜を演じたとき(大河ドラマ)が印象深い。本人にとっても演技は難しかったかも知れないですね。玉音放送は、本物の録音ではなく、本木氏自らが語っている。阿南惟幾陸軍大臣は役所広司。苦悩する軍人をよく演じている。

歴史上の人物、信長や秀吉などは、いろいろな役者がそれなりの個性で演じている。写真のない遠い時代、それほど違和感を感じることはない(でもないか・・。とくにさいきんの大河ドラマとかはねえ・・)。しかし、昭和の時代、フィルム映像が残っている時代の人物となると、その役者の個性が出てしまうと非常にイメージするのが難しくなってくる。ただ、それにしては山崎努の鈴木貫太郎はよかった。似てる、似てないを通り越して、演技の旨い人というのは人を納得させてしまうものだな、と感心した。

米内光政海相は、映画では見ればわかるのだが(海軍の制服を着ているのだから)、う~ん、あの人は誰がやっても難しそうだな。海相はこの映画ではあまり好意的に書かれていません。大西中将も、イメージがわかないですね。映画ではずいぶんと若く見えるんですよね。

東郷外相は、眼鏡が特徴だからすぐわかる。ただ、この映画では影が薄く、ほとんど台詞もありません。これは作品の視点がそうなのでしょうね。もうすこししゃべらせても良かった気もしますが。下村国務大臣は、僕はアニメンタリー「決断」の描かれ方が好きです。この方ももう少し花を持たせても良かった気がします。

横浜守備隊の佐々木大尉は松山ケンイチです。なんか、らしいというか。ただし、ほとんど出てきません。

 

映画の話はおわりにして、終戦時のこうした動きそのものについての感想ですが、僕には青年将校たちの心情や行動、それをめぐる年長者たちの対応、このあたり、正直言ってわかりかねる部分があります。もっとも、若手将校がクーデターを起こす、は古今東西しばしば見られることではありますが。

彼らの心の底には、80年ほど前の幕末の志士たちの活躍があったのかな、ともおもいますが・。もう少し時間をかけて考えてみたいところです。

同じように敗戦直前の様子を描いた映画として、「ヒトラー 最後の12日間」があります。ここでのドイツ軍将校や政権側の人たちの動きとの対照も興味深いですね。

こんな時に良く思うのは、遠くから鳥瞰して愚かしい行為だと思えたとしても、それをどんどん微細に分析していくと、当事者たちの苦悩や決断の過程が見えてきて、言葉を失ってしまう、ということです。それを、みんな必死だったのだから、と言いたくなる気持ちもわかりますね。しかし、歴史の評価というのはそれで終わってはいけないのだとも思います。

有楽町マリオンで見たので、帰りにちょっと寄り道して、東部第2軍が置かれていた第一生命ビルの前を通った。

畑中少佐らが自決した、二重橋と坂下門のあたりは先日歩いてみた・・。夜歩くのはちょっと怖そう。

 

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日本の一番長い日(書籍)の感想のはずが、ちょっと話がずれて世代論。

2015年08月11日 | 本と雑誌

映画も始まったようで、この夏改めて注目されているようです。

半藤一利氏が、大宅壮一氏名義で本書を出版したのが50年前の今頃。先日ちらりと書いたが、50年前の日本は、オリンピック後の不景気で多少困ることもあったかも知れないが、新幹線も開業し、高速道路や地下鉄も次々とできて、テレビも賑やかにアニメなどを放映し始めた頃だ。しかし、終戦からまだ20年しか経過しておらず、当時の軍関係者は現役世代として、社会の第一線で活躍していたはずだ。

たぶん、社会全体としても先の大戦についての印象は今とは大きく違っていたのでしょうね。軍の関係者だけではないはずで、一般の人も子供も皆、ある方向に向かって日々何らかの活動をしていたはずですから。それが一気に崩れてしまえば、心理的な傷が残らないはずはない。そういう感覚は、繰り返し語られているのは知っていても、僕等にはたぶん生涯わからないかも知れない。

わずかにわかるのは、’バブル入行組’である僕等と、若い世代(といってももう30代か・・)の間の世代差を、何かのきっかけで実感するときだ。人は、育った時代の価値観や環境の影響から逃れることはできないのだろう。僕等はユルい世代だ。ただ、父母や祖父母、更に若い頃の上司たちは、厳しい時代を生き抜いてきて、その経験を僕等に直接伝えてくれた。そうやって僕等は、厳しかった時代を体で感じ取ることができた。

今の若い世代(といってももう30代か・・・)は、社会人となったはじめから、かつての輝きと行き先を失い、苦しむ日本社会に身をさらさざるを得なかった。著しく低下した大学生の就職内定率や、非正規雇用の増加、重くのしかかる社会保障費など・。しかし一方というか、それでも日本社会全体としては、言われるほど悲壮な状態でもなかったはずだ(まだ、などとは決して言いたくはないけど)。彼らの両親たちを含めて、全体としては昔よりは生活の水準は上がっていることは議論の余地はないだろう。

ただ、もしかしたら彼らの親達や、彼らの上司たる僕たちが、ユルさを伝承させてしまっているのかな、という疑念もないではない・。いや、5年くらい前に、そんな話をしたことがある。

そのときは、中堅層から上の世代(僕等のこと、以下いずれも世代は5年前時点)は日本が元気なときに若い世代として活躍して、豊富な経験を積んできて能力はあるが、バブル気分が抜けず社会に適応できなくなりつつある。その下の、30代くらいは就職氷河期に社会人になり、あるいはなりたくてもなれずに20代のうちにあまりしっかりした社会経験を積めずに年齢を重ねてしまった。そして更にその下の20代は、はじめから社会が厳しいことを自覚しているから、勉強熱心だし浪費などしないし、よほどしっかりしている、と。

しかし、どうかな。たしかに起業できるような気概を持った人はしっかりしているけど、それは世代とは関係ない。組織の中では、やはりなにか大切なものの伝承が大事で、たぶん僕等はそれを十分に果たしきれず、または下の世代が採用抑制とかで途切れてしまい、世代間のつながりがかけてしまったのかも知れない。

そして、今の若い世代(といってももう30代か・・・)もまた、そうした何らかの伝承を受け取れないまま、下の世代に接していくことになるのだろう。繰り返すが、しっかりしている人はいる。ただ、社会が方向性を失うのは、1世代単位ではなく、もうすこし長い世代交代を経て、だんだんになっていくのかな、という気がする。

なんだか全然本の感想になっていないが、無理矢理風呂敷を畳むとすると、日露戦争から、昭和20年の講話受諾まで約40年でしょう。社会というのは、そう急には方向を失うことはないが、一つの世代がずっと進路を見守ることができなくなった頃が、本当に危ない時期なのではないか。

ちょっとタイトルと話がずれちゃいましたね。昨日、ちょっとがっかりしたことがあったので、つい話が変わってしまいました。

映画も見る予定ですので、そのときにまた。

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もおか号 SL列車

2015年08月09日 | 鉄道、車、のりもの

よくのんびり汽車の旅、などというが、実は汽車(蒸気機関車のひく列車)には乗ったことがないのだ。 保存列車などは、子供の頃はなかったし、大人になってからも・・なんとなくお祭り騒ぎが好きじゃないし。

戦後70年の記録映像などを見ていると、当時の汽車旅が大変だったという証言も出てくる。それに、夏など、釜を焚く機関車などは相当に暑かった(熱かった)のではないか。そんなことを体感したくて(ほかにも理由があるけど)、真岡鉄道を訪ねてみた。

 

真岡鉄道は下館から茂木までを結ぶ、40キロあまりの鉄道。下館は水戸線、関東鉄道が集まる交通の要衛。

真岡の駅はかなり立派なもので、市の施設も併設されているようだ。建物はごらんのとおり、SLを模したもの。整備予定の保存車両もたくさん置いてある。

もおか号(SL列車)には2両の機関車が使われている。今回はC11 325。昭和21年生まれの69歳。

ミニ鉄道博物館のような施設があり(無料)、機関車と客車が展示されている。機関車は施設内の線路(100mくらいかな)を移動でき、お客を乗せた貨車を引っ張るといったアトラクションもある。

沿線の風景はとても美しく、カメラマンがおおぜい訪れる。このときも、この前後数百mに10人くらいはいたかな。いい撮影場所はたくさんあり、奥が深そうだ。

真岡から、終点茂木まで移動。ここも集会所のような施設があり、親子で体験する機関車見学会、らしきイベントをやっていた。

焼き魚とか、軽食も売っていたけど・・。間食禁止なのでまたかき氷を・・。

ちょっと、てんこ盛り過ぎてたべるのにくろうした・。

ようやく列車が来た。

ホームでもそうだったが、沿線でたくさんの人がカメラを構え、手を振ってくれるのには驚いた。

わかりにくいけど、窓を開けていると機関車のすすがたくさん入り込んでくる。

時々石炭の焼ける、香ばしいにおいがしてくる。 

 

実は「窓の開く車両」マニアなので、これはとてもうれしい。

田んぼから吹く風は時にかなり強く、森の中を抜けると涼しい風が入ってくる。駅に止まっているときだけ、ちょっと暑いけど、それ以外は快適だ。

それに、五感を通じて汽車の旅を楽しめる。冷房付きでは蒸機でも何でも同じにしか思えないものね。

 

下館に到着。1時間半ほどの旅でした。

行きはJR(宇都宮線、水戸線)を利用したが、帰りは常総線とつくばエクスプレスを使ってみた。

常総線は田園風景の中を延々と走り続ける。それはいいが、運賃が高いなあ・・。

最後はつくばエクスプレス。今までとは打って変わって、怖く思えるくらい早い・・。

そんなわけでした・。

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阿佐ヶ谷七夕祭り

2015年08月07日 | まち歩き

この時期、旧暦の7月7日を中心に、各地で七夕祭りが開催されている。

阿佐ヶ谷は仕事帰りに寄れるので、行ってみた。

長く続く商店街に、飾り付けと縁日のような出店が並んでいる。

べつに踊ったりするわけではないので、昼間訪れても楽しいと思うが、夜はやはり人出が多いようです。

 

金魚すくいはあちこちでやっていて、子供たちに人気だった。

あと、見物はこうした巨大張り子人形でしょうか。

人混みの中を、上を向いて歩きながらシャッターを押していったので、結構ぶれた写真を量産してしまいました・・。

かなりおおきなブースカですね。

そらジローは、実物大くらいかな?

お店ではソーセージや焼きそば、鯛焼き、綿飴など。おいしそうなのだが、当方ダイエット中につき、食べるのは自粛。まあ、今日ぐらいいいかな、とも思ったのですが・・。一応初心貫徹で。

でもまあ、このくらいはいいかと思い、かき氷を。これまたピントが抜けてしまった。

というわけで下手な写真、お粗末様でした。9日(日)までやっています。

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井伏鱒二「黒い雨」

2015年08月06日 | 本と雑誌

新潮文庫。

ネットを見ているとこの作品は、井伏氏の完全な創作ではなく、氏の友人が実体験を元にして書いた手記が土台となっているのだという。井伏氏はそれをとりまとめて書いた、ということで、その作品性を問うような指摘もある。が、実際読んでみると、そこにはしっかりと井伏氏の体臭がしみこんだ記述になっているし、単なる実体験の手記にとどまったものでもない。

 

教科書に載ったり、夏休みの推薦図書として子供たちに読まれることも多いだろうと思う。

ただ、この作品の興味深いところは、主人公がやや年配の男性(たぶん僕くらいの年代)であることだ。中年を過ぎた男でないと経験しないこと-上司や取引先との関係、近所の人たちとのつきあい、など-が、克明に描かれている。

小説の主人公は多くの場合、若者か、青年であることがおおい。その意味でこの小説は貴重な中年小説、という見方もできる。

主人公閑間が体験するのは、被爆直後の悲惨な世界、ではあるが、そうした中でも閑間は取引先の人、妻、近所の人たち、上司、姪と、身の回りの人たちと交流しながら状況を見極め、行動の判断をし、いろいろなことを感じている。戦争によってすべてが別世界となるわけではなく、そこにはしっかりとした日常が、依然として刻まれ続けているのだ。

たとえば、閑間と女性との関わり、として、つぎのような描写がある。

爆撃の時居合わせた、取引先の女主人とは、最初の衝撃を分かち合うことになる。お互い気が動転して、普段言わないようなおかしなことを言ってしまったり、傷口に触ろうとする閑間を止めるため、女主人が閑間の腕をつかんで、そのまま離さなかったり、というやりとりを見せる。

救護所に指定された民家の奥さんが挨拶に見えたとき、その顔をちらっと見て、「その顔にふさわしい後ろ姿」をゆっくりと眺めた、とある。美人だな、と思うがじろじろ見ては失礼なので、後ろ姿だけでもゆっくり眺めたかったようだ。

姪の病状が発覚したとき、妻のシゲ子が閑間に、姪に知られぬように話がしたいと言って、庭の隅に閑間を連れて行く。閑間はふと気がつくと、今まで自分が妻に手を引かれてここまで来たことに気がつき、こんなことを二人でするのは、若い頃にもなかったな、と思ったりする。 

派手な恋愛物語や、失楽園的な恍惚があるわけではない。

しかし、これらは年配の男の、それなりの日常的な異性との関わりとして、作品に潤いを与えている。

上司である工場長は、きまじめで責任感の強い人のようだ。僕は自分が以前仕えた上司-色白で背が高く、すこし女性的でまじめだが、ボスとしての職責を果たそうと頑張っている男-を、想像しながら読んでいた。後半で閑間が石炭確保のために奔走する姿など、勤め人なら誰でも共感できるところかも知れない。

こうした「日常」の克明な描写が、井伏の狙った視点なのだろう。そこには戦時下の一般庶民がどのような気持ちで日々を過ごしてきたかが、生き生きと描かれているように思う。

閑間が勤めているのは軍需工場だ。しかし、世間が軍国主義化していく風潮には違和感があったようで、三国同盟の頃、ヒトラーの演説を批判した評論家に、胸のすくような思いをしたことがあった。それが、工場で増産の仕事に専念していくうちに、ヒトラーに勝ってほしい、と思うようになる。

そして、この爆撃を受けたことで、自分は今まで矛盾だらけだった、と気がつく。

たぶん、一般の人たちは時勢に対して、閑間と似たような思いをしたことがあるのではないかと思う。最初はなにかが間違っていると思うが、やがてその勢いに自分も飲まれていき、気がつくと酷いことになっている。時代に棹さすことは、時機を逸してしまってからは難しい、ということか。

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白光

2015年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

相変わらずの猛暑日続きだが、また少し日が短くなったようだ。

夕日が、雲を射て、空に白い光が幾条にも飛び出している。

ドラマチックと言うより、不思議な光景だ。

なんとなく「白虹日を貫く」という言葉を思い出すが、これは虹とは言えないだろうし、単なる連想に過ぎない。

白虹貫日というのは戦乱の起こる前触れなのだそうだが・・。

話は飛ぶが、数日前にラジオを聞いていたら、戦争をどう伝えていくかというテーマについて、若い学者が語る、という番組を聞いた。

戦争に関係する博物館などを訪ね歩いた、という著書も書いている学者だ。

この人は世間的にはその発言がかなり物議をかもしている人らしくて、僕などが取り上げてあれこれ言わないほうがいいのかも知れない・。ただ、こういう思い切りのいい発言を聞きたいと思う人も(良きにつけ悪しきにつけ)いるだろうし、特にマスメディアなどには気に入られそうな気がする。

そういうマスコミの体質というのも、どうも困ったものだという気もするが。

僕が耳をそばだてたのは、ちょうど今、「日本の一番長い日」(半藤一利)を読んでいるところだからだ。

半藤氏は現在も盛んに活動されて、本もたくさん出されているが、この本が大宅壮一名義で出版されたのは昭和40年、いまから50年も前のことだ。

読み始めてすぐに思ったのは、ものすごくいろいろな人に気を遣いながら書いているな、ということだ。

昭和40年というと戦後20年、まだ終戦当時の戦争指導者や政権の関係者たちの多くが在世であった頃だ。

宮城事件などについても、全体としては叛乱兵たちを批判する姿勢を示しながらも、あたかも皆国のためを思って必死で行動した結果なのだ、とばかり、非常に回りくどい表現を幾重にも重ねている。

新幹線が開通し、テレビでは鉄腕アトムやサンダーバードが放映されていた時代であったとはいえ、「先の大戦」はまだつい先日の出来事であったのだろう。

そういうことを思いながら読み進めていただけに、この若い学者が、自由に言いたいことを言っている姿が余計印象深く感じられた。

 

それにしても、日本の戦争に関する教育が、岐路に立ちつつあるのは確かかも知れないな。

戦争経験を持つ人も少なくなり、体験話を聞くという形の伝承は難しくなってきている。

僕には、この学者はどうも茶化すことにこだわっているみたいでどうかな、と思うことも多いが、現代の人々が知恵を絞り、もうすこし世界全体を見通すような教育の体制が整えられるべきなのかな、とも思う。しっかりとした理論書みたいなものも必要だと思う。

名著とされ今でも書店で平積みされている、岡崎久彦大使の「戦略的思考とは何か」にしても、刊行から30年以上が経過している。僕等はその時代を生きてきたが、今の若い人は当時の時代背景を知らないのだから、読みにくいのではないかな。

 

 

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セッション

2015年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

コントラバスとギターですか・・。

暑さで楽器がやられないかな。

 

本当はもっと重い話題も用意したけど・・ネットの設定をしていたら遅くなってしまったので、この辺で失礼!

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バジルの花

2015年08月03日 | 植物、花

昨年カップ農園で種から育てていたバジルが花をつけた。

カップのまま、何もしていないのだが、ひょろひょろと伸びてきて30cm以上になり、その先に花がついた。根元に近い方の葉は次々と落ちてしまい、観葉植物としては非常に妙な形になっている。ただ、1年以上枯れずに生き続けているのには感心する。バジルは丈夫であるようだ。

8月に入り、ますます暑い・。

鳥たちの体重管理でやきもきしたり、

麦茶を作って、久し振りにボトルに詰めて冷蔵庫に入れたら、これが大きすぎてドアが開いたままになっていて、帰ったら中がえらいことになっていたり・、

書斎のエアコンがまたこわれたり、

先日家のネット回線契約を変えて、今日無線ルータを取り替えたら(変えなくても差し支えない)、逆に遅くなって往生したり、

いろいろしている。

暑さ寒さは、人の心のありようにも影響を与えるようだ。暑いときには暑いときなりのものの見え方があるみたいだ。

そんなことを思いつきながら、70年前の内外の人々は、この時期日々をどう過ごしていたのかな、と思ったりもする。

まあ、多くの(というかほぼすべての)人々は、この状態はいつまで続くのかわからない、と思いながら日々を過ごしていたのだろうな。

 

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バード&スモールアニマルフェア

2015年08月02日 | セキセイインコ

さいたまスーパーアリーナで開催された、バード&スモールアニマルフェアに行ってきました。

小鳥だけではなく、うさぎ、ハムスターから山羊、羊、豚に至るまでたくさんの動物たちとふれあえるフェアだ。(画像多いです)

ちかくでAKBかなにかのコンサート?があるらしくて、大変な賑わいだった。

ふくろうのブースは人気が高い。僕も初めて触ったが、不思議なほどおとなしい。

かわいいけど、ちょっと怖い。

目がガラス作りのように透明できれいなのが印象的だった。

これはちょっと触れないですね。

この子たちもおとなしいけど、人気が高くて、並ばないと触れなさそうだった。

小鳥たちはコンテストをやっていた。菊の品評会のように、首席、次席、参席などと札が掲げられていた。

ジャンボさん。

羽衣さん。

ノーマルの子ももちろんいる。セキセイはとても種類が多い。

仲の良いふたり。

キンカチョウでしたっけ?

極楽鳥ですか・。

カナリアは小さく、とても俊敏で写真が撮りにくかった。

とてもよく慣れている・。

まあ、鳥さんたちもちょっと人が多くて大変だったろうな。

休憩。鳥のアイスも初めて食べる。

2日目の、終了間際に来たせいか、もう文鳥アイスしか残っていなかった。

文鳥なのに、イン粉をかけて食べてしまいました。

さて、鳥さん以外ですが、なぜか豚さんとか羊さんがいました。

子供ですね。

うさぎもそうだが、鳥たちの販売も行っていた。

うさぎは神経質だから、触るようなコーナーは(子供向けを除いて)ない。

餌を求めてなのか、なんだかわけのわからないことになっているネズミたち。

以上、駆け足のしょうかいでした・。

 

 

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2015年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

一月に2度満月が含まれることをブルームーンというらしい。と、盛んにネット上で流れていたのは金曜日のこと。

こういうのはネットやSNSでは格好の話題ネタとなるのだが、賞味期限を過ぎると何をいまさら、ということになってしまう・・。

なにしろ週末は家のことやったりしていて、忙しくてタイムリーにアップできなかった・。

それにしても、昨日帰りがかなり遅かったのだけど、花火帰りの人たち、特に浴衣の女性がとても多かったな。

浴衣はすっかり復活、定着しましたね。

和服女性好きの僕にとっては、良い時代だと思います。

 

写真は通りがかりにQ10で撮ったけど、さすがに手持ちではこの辺が限界で、うさぎ模様はとんでしまいました・・。

 

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