ウリパパの日記

自由気ままに・・・

影響が長期化するノロノロ台風10号 2024.8.30

2024-08-30 20:52:29 | 自然

ジョギング並みのスピードで迷走した台風10号は九州北部を横断して瀬戸内海をゆっくり東進中です。台風発生当初は紀伊半島周辺への上陸が予想されていました。ところが南海上の寒冷渦の影響が想定以上に大きく(背負い投げ現象?)台風は西へ向かい、九州の西を発達しながら北上。のろのろスピードで上陸して、まだ今後の進路の予想が難しい状況にあります。

今回の台風の特徴は、①寒冷渦の影響で西向きに進路が変わったこと(これはよくあるそうです)、②九州に近づいてから急発達を続けたこと、③上陸してもノロノロ迷走したこと(そのために急速に衰えました)、④広範囲に集中豪雨をもたらして交通機関に大きな影響を及ぼしたことが挙げられます。

 

③の迷走の理由について、日本気象協会の説明を引用します。太平洋高気圧と西側のチベット高気圧の狭間に入り、偏西風は日本の北を流れているため、台風を動かす原動力が弱く日本付近に停滞してしまったようです。7月の夏台風は太平洋高気圧に押されて西へ進み、8月末から9月に九州の西海上を北上する台風は偏西風に乗って日本海を北上するのが例年のコースなのです。

 

②の九州に近づいてから急発達した理由は、九州の西海上の海水温が30℃以上あることがその一因と考えます。一時は925hPaまで発達する予想となっていたため、史上最強クラスなどとマスコミで表現されていました。

 

平年と比べても2~3℃高い状況が続いているのです(個人的には三陸沖の異常高温のほうが気になりますが・・・)

 

50m深水温も高いため、海水が攪拌されても勢力が衰えません。実際、九州に接近してから980hPaから950hPaに急発達したのです。ただし九州西岸に上陸してからは陸地をノロノロ北上したため、急速に勢力が弱まってきました。また、台風のスピードが10km程度とジョギング並みだったため、台風の東側に入っても最大瞬間風速が60m/sを越えるような壊滅的な暴風にはなりませんでした。ただし強風が長時間吹き続けたことによる影響が心配です。

 

④広範囲に集中豪雨が今回の台風の大きな特徴です。太平洋高気圧の縁に沿って南から湿った空気が入り続け、そこに台風10号の外側の雲が重なったため、山地や半島の南東斜面を中心に線状降水帯が発生しやすく、九州だけでなく、四国、紀伊半島、静岡県から関東山地にかけて記録的な大雨が降りました。九州の大雨のピークが過ぎた昨日13時から今日の13時までの24時間降水量の分布を気象庁HPで調べてみました。静岡県から関東西部の雨量が際立っています(九州南部の記録的豪雨はこの時間帯より前に発生)。

実は、予定を早めて今朝、茨城県から高尾へ車で戻ってきました。昨夜の豪雨の影響で圏央道や中央道の八王子以西は通行止めとなっていたため、常磐道、首都高、中央高速(国立府中で降りました)を利用しました。圏央道や中央道の通行止めは、まだ継続中です。京王高尾線も今朝から運休となっていて、19時頃になってようやく運転再開となっています。

 

昨日13時から今日の13時までの24時間降水量を気象庁HPで調べてみました。八王子では345.5mmと記録的な降水を観測しています。奥さんの話では、昨夜の高尾付近で長く続いた豪雨は凄まじかったそうです。線状降水帯がちょうど八王子付近にかかり続けたようです。

八王子での記録的な豪雨といえば令和元年の東日本台風(台風19号)を思い出します。南浅川が氾濫して橋が流されたり、高尾駅北側の甲州街道が浸水したりして大きな被害が出ました。浅川、多摩川や荒川なども決壊の一歩手前の状況でした。今回、河川の増水はそこまで危機的な状況ではなかったようです。台風本体の雨ではなく南から流れ込む暖かく湿った空気で発生する線状降水帯による雨であることや、山間部の降水量がそこまで多くなかったことが幸いしていているのかもしれません。明日以降も雨が降り続く予想です。まだ油断できません。

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特急常盤高尾号のポスター 2024.8.29

2024-08-29 20:11:26 | 電車

久しぶりにアップする記事は茨城県のローカルな鉄ネタ(笑)。でも若干地元の高尾にも関係します。以前何かの折に紹介したかもしれませんが、友部駅ではかなり前からお目みえしていたポスターを最近勝田駅でも見かけるようになりました。来週末の9月7日に迫った特急常磐常盤号です。日立駅を朝6時26分に出発して高尾着は9時29分。帰りは高尾発17時3分で日立着20時2分。常磐高尾号の特急券とJR高尾駅北口のNewDays自動販売機で購入した商品を駅員に見せると、素敵な記念台紙がもらえるようです。

ポスターには、”涼を求めて旅に出よう" と記載されていますが、なぜ残暑の最中のこの時期なのでしょう。来週末には台風10号も東海上へ抜けて多少爽やかな大陸の空気が入ってくることが期待できますが、異常なこの夏はまだまだ真夏日が続きそうです。正直言って、高尾山よりも茨城県の太平洋岸のほうが日中ははるかに涼しいです。わざわざ涼を求めて高尾山へ?と疑問ですね。夏休みと紅葉シーズンに狭間のこの時期は閑散期なのでしょう。苦し紛れのイベントのように思われます。

この企画の目玉はE653系 水色カラー車ですね。この車両が高尾にやってくるのは珍しいです。

 

たまたま、今日の帰りに勝田駅西側の留置線で、このイベント列車を見かけました。9月7日には地元高尾駅にやってくるので、お迎えに行こうかと考えています(笑)

 

今日の勝田駅の様子。まだまだ夏ですね。コキアもまだライトグリーン色です。

 

 

ついでに友部駅の改札前。友部駅のイメージキャラクタである栗田友兵衛が並んでいました(笑)

 

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ミヤマウズラを探しに高尾山散策 2024.8.23

2024-08-24 15:22:49 | 高尾山・陣馬山

昨日は昼前に茨城県から自宅へ戻ってきました。笠間市での早朝散歩でミヤマウズラの花に出会い、高尾山に咲く姿も見たくなったので、さっそく高尾山へ向かいます。

 

ケーブルカー清滝駅前では竹筒からミストシャワーが出ています

 

向かって右側は英語表記。これらの竹筒は、夜にライトアップされるようです。

 

時間節約のため上りはケーブルカーを利用。改札口には、もみじまるがお目見えしていました。

 

ケーブルカーで高尾山駅まで登り、1号路を薬王院へ向かいます。途中横浜方面の眺望。1号路ではエゾゼミが鳴いていました。

 

浄心門手前、切り株のオブジェ

 

1号路で咲き残っていたヤマホトトギス

 

山門に到着。風鈴が飾られています。

 

何気なく手水舎を見ると、花で埋め尽くされていました

 

青色主体の花が涼しさを演出します

 

最近、花手水を見る機会が多くなりました。インスタ映えするのでブームなのかもしれません。

 

新たにお目見えした薬王院の案内図

 

太師堂先の階段脇に咲くレンゲショウマ

 

大師堂周辺でも咲いています

 

薬王院からは富士道経由で山頂へ。富士山は積雲の中です。

下りは稲荷山コースから6号路を下ります。沢沿いのこのルートは木陰の中を涼しい風が吹き抜け、真夏にはオススメです。

 

6号路に咲くフジカンゾウ

 

よく見かけた蕾はツルキキョウ?

 

さて、目的のミヤマウズラは一株だけ咲き残っていました。

 

場所は非開示です。

 

小さな花を接写

今年は花が咲いた状態で出会えたので大満足です

 

高尾山口からの帰りは、7000系 40周年記念のヘッドマークを掲出した各駅停車でした

 

ヘッドマークをズーム

 

狭間駅で下車して自宅に戻りました

 

 

 

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早朝にビオトープ天神の里まで散策 2024.8.23

2024-08-23 15:03:51 | 茨城県

今日は会社の休日でした。今週の出勤は3日間のみです。いずれも勝田の事務所に出社する必要があり、今週から茨城県での生活再開となっています。今朝は、朝食後にビオトープ天神の里まで散策に出かけてきました。目的はミヤマウズラの花です。ひっそりと咲く可憐な姿を毎年楽しみにしているのです。年々株数が減ってきて、少し心配な状況です。今年は咲いていてくれるでしょうか・・・

 

アパートから北へ約2km。20分ほど歩いてミソハギの里に到着。

 

お盆の頃になると、ミソハギの花が湿地をピンク色に染めます。

 

反対側からの眺め。木道が補修されて歩きやすくなっていました。

 

天神の里の入り口です。この付近に咲くキツネノカミソリやコバギボウシはすっかり姿を消していました。

目的のミヤマウズラの花を探しにいきます。

 

期待通り咲いていました。以前はこの周辺にポツポツと姿を見かけたのですが、今年は1株だけです。

 

花をズーム。左右に広げた側萼片は空を飛ぶ鳥のようにも見えます。ミヤマウズラはラン科シュスラン属の花です。葉に白い斑点があり、ウズラの卵を思い起こさせるところから名前が付いたようです。

 

近くでツルリンドウが咲き始めていました

 

この白い花は菊でしょうか? シラヤマギク? 菊には全く疎いので、名前は分かりません。

 

目的を達成したのでアパートに戻り、高尾へ戻る準備をします。高尾山でも8月下旬にミヤマウズラの花が咲いていたように記憶しているので、自宅に戻ったら高尾山へ散策に出かけてみようかと考え始めました。

 

笠間周辺では、栗のイガが大きく成長してきました

 

来月から栗の収穫が始まり、焼き栗が店頭で販売されるのが楽しみです

 

 

 

 

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今年の夏山登山は磐梯山へ 2024.8.19

2024-08-20 19:28:36 | 山登り

昨日月曜日は夏休み最終日でした。日曜日夜に茨城県のアパートに戻り、夏山登山を計画しました。当初、男体山や奥白根山、あるいは那須方面の関東北部の山を予定。しかし関東地方は朝から天気が悪そうです。なるべく北のほうが天気が安定しそうなので、福島県に変更としました。しかし、先週東日本に接近した台風7号の影響で福島県地方はかなりの降水がありました。安達太良山や西吾妻山は泥濘が残っていそうなので、降水量が少なかったと思われる西側の磐梯山へ行くことに決めました。灼熱の太陽を避けて涼しい樹林帯をなるべく歩きたかったので、いつものように八方台から磐梯山頂を往復するコースを選択。このルートは5月にサンカヨウの花を見るために歩いたコースでもあります。

この時期の磐梯山は初めてです。中ノ湯へ向かう途中にシュスランが咲いていたり、お花畑から上では沢山の高山植物が見られましたあ。磐梯山頂は晴れていますが、周囲には積雲が湧いて近くの安達太良山や飯豊山は見えません。しかし山頂直下では、雲の合間から朝日連峰や月山を遠望することができて大満足の登山でした。

 

友部のアパートを5時10分に出発。常磐自動車道と磐越自動車道を利用し、途中1回トイレ休憩をはさんで8時過ぎに八方台駐車場に到着。駐車場には先客が10台程度。お盆休み明けの平日ということもあり、天気が良い割には少な目の印象です。

 

気温は20℃前後。中ノ湯へ向けては快適な樹林帯歩きが続きます。想定通り、水たまりや泥濘は、いつもの場所を除けば全くありません。花のシーズンが終わってしまいましたが、珍しい花を見つけました。シュスランのようです。

 

中ノ湯近くにも群生していました。6月末から7月にかけてショウキランが咲くポイントの近くです。

 

ちょうど咲き始めのようです。ネットで調べてみたところアケボノシュスランのようです。初めて見る花に遭遇すると嬉しいですね。

 

約20分で中ノ湯跡に到着。正面に目指す磐梯山。このまま青空が広がっていてほしい。。。

ここから樹林帯の登りが続きます。日陰なので快適です。稜線からの眺望は雲が多く今一つなのでスルーします。

 

お花畑に到着。磐梯山が迫ってきました。磐梯山周辺でも少し雲が湧き始めたようです。

 

北側の眺望。桧原湖の先に積雲が湧き、眺望を遮ります。飯豊山方面も雲の中でした。

 

眼下の銅沼をズーム。黄緑色に濁っているようです。雨の影響でしょうか。いつもは深い青緑色(+茶褐色)に見えるのです。

 

桧原湖上空の雲の切れ目の先に、朝日連峰と月山が見えています

 

 

月山をズーム。東北地方北部は高気圧が北から南下して乾いた空気に包まれているので、9時を過ぎても遠望を楽しめます

 

振り返ると、お花畑の先に磐梯山

 

トモエシオガマ。地味な花です。

 

色とりどりの高山植物。黄色い花はキオン。 ピンクと白色の花はウラジロタデです。 

 

草原の中に咲くウラジロタデは那須の岩場に群生する姿とは違った美しさがあります

 

ウメバチソウ

 

黄色やピンク色に染まるお花畑

 

ナナカマドの実

 

天狗岩。白い積雲が湧く夏の空です。

 

ピンク色のタカネナデシコは目立ちます。ウメバチソウと咲き競っています。

 

ヤマハハコの群生

 

弘法清水小屋に到着。山頂までもう一息です。

 

お花畑から上は日光が容赦なく照り付けます。吹く風は涼しいものの、汗が噴き出ます。いつもは素通りする弘法清水の湧き水。冷たい水で顔を洗うと生き返ります。この湧き水は飲むこともできます。

 

山頂へ向かう途中に振り返ります。眼下に櫛ヶ峰、その先には吾妻連山。

 

桧原湖の先の雲が切れて、朝日連峰と月山が姿を現しました。お花畑からよりも鮮明に見えます。

 

朝日連峰

 

月山をズーム

 

八方台から1時間50分で磐梯山頂に到着。山頂の祠(磐梯明神)。

 

三等三角点。標高は1816m。

 

猪苗代湖を見下ろします。那須連山は積雲の中です。山頂を吹きぬける風はとても涼しく、周囲には数多くの赤とんぼが飛び交います。少し秋を感じる山頂でのひと時でした。

 

猫魔ヶ岳に積雲の影が映ります。左側は会津盆地。

 

北側の眺望。次々と湧きあがる積雲が眺望を遮ります。東側の安達太良山は雲の中でした。

 

山頂の岩陰に咲くイブキジャコウソウ

 

ウメバチソウ

 

赤トンボに近寄りパチリ。とまっている花はツリガネニンジン? ヒメシャジン? 

 

ウスユキソウ

 

岩場に咲く花はヒメシャジン?

 

ウスユキソウ

紹介しきれないほどたくさんの花が山頂付近に咲いていました。山頂で20分ほど休憩してから下山します。

 

下山途中に見かけたダイモンジソウ

 

シラネセンキュウかな?

 

カラマツソウ

 

再びエゾシオガマ

 

1輪だけ咲き残っていたタマガワホトトギス

 

お花畑分岐付近で見かけた笹の花?  真夏に見かけるのは珍しいです。

 

下山途中の稜線から見下ろす桧原湖。11時を過ぎると空が霞み、朝日連峰や月山は見えませんでした。

12時過ぎに八方台の駐車場に戻ってきました。山頂での休憩30分を含み往復4時間の夏山登山でした。車で1200m地点まで登ってしまうので、登山ではなくハイキングですね。夏休み中ということもあり、子供を連れた家族登山者を多く見かけました。そのせいか、今日は熊を気にすることなく山登りを楽しめました(クマ鈴は鳴らしっぱなしです)。

 

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54年ぶりの滋賀旅行(4) 2024.8.14-15 比叡山延暦寺をめぐり、米原、東京へ

2024-08-19 18:09:03 | 旅行

先週の古新聞になってしまいました。滋賀旅行2日目の続きです。早朝散策と朝食後に近江八幡のホテルを9時前に出発。琵琶湖東岸に沿って南下して琵琶湖大橋有料道路を渡り、仰木ゲートから奥比叡ドライブウエイを上ります。

 

琵琶湖展望台から琵琶湖を見下ろします。正面は渡ってきた琵琶湖大橋。逆光のため霞んでいます。

 

続いて、比叡山延暦寺の横川に到着。ここに車を停めて、横川中堂に参拝します。比叡山延暦寺の山内は3つの地域に分かれていており、東を「東塔」、西を「西塔」、北を「横川」と区分されています。これを三塔と言い、東塔・西塔・横川にそれぞれ中心となる仏堂「本堂」があります。

 

まずは比叡山延暦寺の説明から。延暦7年(788年)に伝教大師最澄上人が開創した1,200年以上の歴史を持つ天台宗の総本山です。国宝的人材育成の学問と修行の道場として、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・栄西(臨済宗)・道元(曹洞宗)・日蓮(日蓮宗)などの日本仏教各宗各派の名僧を多数輩出。日本仏教の母山と呼ばれています。さらにその歴史と伝統が高い評価を受け、ユネスコ世界文化遺産に認定。滋賀・京都を代表する地です。

ここ横川には親鸞、道元、日蓮が修行に入ったと言われています。

 

横川中堂に到着

 

嘉祥元年(848年)横川をひらかれた慈覚大師(円仁)が創建。昭和17年に雷火で焼失しましたが、本尊の聖観音は災火を免れ、昭和46年に現在の姿に復元されています。御本尊として慈覚大師円仁作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。

横川地区は横川中堂のみ見学して、先を急ぎます。

 

比叡山峰道レストラン駐車場に居られる伝教大師最澄上人様のご尊像。高さ約12mのご尊像は、比叡山を開かれて1200年目の1987年に建立されました。毎年3月13日には天台座主猊下を大導師に仰ぎ比叡の大護摩法要が執り行われるそうです。

 

比叡山峰道レストラン駐車場から見下ろす琵琶湖の眺望

 

 

続いて西塔を参拝します

 

まずは、にない堂へ。常行堂と法華堂という同じ形の二堂が渡り廊下でつながれているため、俗に「弁慶のにない堂」と呼ばれています。常行堂は阿弥陀経を、法華堂は法華経をそれぞれ読経し、修行する道場です。これは、法華と念仏が一体であるという比叡山の教えを表しており、お堂が渡り廊下でつながっている理由もそこにあるそうです。常行堂と法華堂ともに、中で修行中でした。

 

 

渡り廊下の東に繋がる重要文化財の法華堂

 

渡り廊下の西に繋がる重要文化財の常行堂

 

階段の先には荘厳な釈迦堂

 

手前の手水舎。ここの水は飲めるそうです。

 

正面の天法輪堂は西塔の中心をなすお堂で、老杉に囲まれて風格があります。ご本尊に釈迦如来を祀ることから釈迦堂の名で親しまれています。本堂に入り、釈迦如来を見学してきました。

 

信長の焼討ち後、豊臣秀吉が大津の園城寺(三井寺)の金堂を山上に移築したものです。延暦寺の現存する最古のお堂で、天台建築様式の代表とされる南北朝時代の建物です。

 

釈迦堂左の階段を登った先にある鐘堂。寛政3年 (1791年)、84世三誉愍海上人時代の建築。梵鐘は江戸時代のものです。

 

続いて、延暦寺山内では最も清浄荘厳な聖域へ向かいます

 

5分ほど歩いて浄土院に到着。ここは比叡山を開かれた伝教大師最澄上人の御廟です。

 

まずは拝殿へ向かいます

 

浄土院を記された軒下の扁額

 

浄土院の説明です

 

拝殿の裏には唐門と伝教大師御廟。とても荘厳な雰囲気に包まれます。ここは聖域中の聖域です。御廟玉垣の辺りには沙羅双樹と菩提樹が植えられているそうです。

 

伝教大師御廟の左手にも歴史のありそうなった建物

 

屋根の上には鳳凰の装飾?

釈迦堂と浄土院を見学後、駐車場に戻ります。続いて東塔へ向かいます。

 

延暦寺の案内図。横川、西塔、東塔と巡ってきました。

東塔は延暦寺発祥の地であり、根本中堂を中心とする区域です。

まずは大講堂。昭和39年(1964年)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。

 

続いて鐘楼。一般観光客も鐘をつくことができます。

 

続いて根本中堂へ向かいます。ここは延暦寺の総本堂。本尊は薬師如来です。延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788年)に創建した一乗止観院が元であり、現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642年)に竣工したものです。

 

建物は国宝に指定されています。廻廊は国重要文化財に指定されています。残念ながら、根本中堂では2016年から約10年に及ぶ改修工事が行われています。

 

工事期間中も参拝可能なので、中を見学します。ご本尊の薬師如来の前には千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されていました。

 

改修工事の様子を工事用の階段の上から見ることができます。

 

 

根本中堂前の高い石段を登った場所にある文珠楼。延暦寺の山門にあたり、比叡山の総門の役目を果たす楼門です。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建。寛文8年(1668年)に焼けてしまい、その後再建されたものです。

 

文珠楼の前から、改修工事中の根本中堂を見下ろします。

 

続いて東塔と阿弥陀塔を訪れます

 

最後に戒壇院を見学。ここは天台宗の僧侶が受戒する重要なお堂で、天長5年(828年)に創建され、現在見られる建築は延宝6年(1678年)に再建されたものです。 

 

東塔の見学を終えてから近くの国宝殿を見学します。

 

展示内容一覧です。延暦寺に伝来する数多くの仏像・仏画・書跡等の文化財が保管されています。重要文化財に指定されているものも展示されていました。

 

帰りに山頂付近からの景色を眺めるため、ガーデンミュージアム比叡の展望台に寄り道。一瞬京都府に足を踏み入れます。大津市と近江大橋を見下ろします。

 

西側は京都方面

 

うっすら見える川は鴨川でしょうか。自信ありません・・・

山頂からの下りは比叡山ドライブウエイを下り、西大津バイバスで名神高速道路の京都東ICへ。高速道路で米原ICまで北上し、14時20分に米原駅に戻ってきました。

 

米原駅東口に米原湊跡の記念碑と船のモニュメントがありました。米原湊はここ米原駅付近にあり、1603年(慶長8年)、北村源十郎が琵琶湖と入江内湖を結び、堀を開削して湊を開いたそうです。美濃方面と大津湊の中継や、大阪と北陸を結ぶ湖上交通の中継の湊で、宿場として栄えたのです、と説明に書かれていました。米原は湖上交通の要所だったのですね。

 

米原駅50周年は10年前のこと。初代新幹線のデザイン(0系)が懐かしい。54年前に米原を訪れた時は、この0系新幹線に乗った記憶があります。そして、ここにも「とびだしとび太」

 

木彫でみる米原風土記。見事な木彫り彫刻です。

帰りの新幹線は15時33分発のこだま736号。一週間前にはこれしか指定が取れませんでした。しかも初めての新幹線グリーン車です。

 

駅の売店で見かけました! ずっと気になっていた「とびだしとび太」の説明です。クレヨンしんちゃんに似ているのですよね。全く関係が無さそうで、1973年の6月に地元の看板製作会社で製作されて当時の八日町市に設置されたのが始まりとされています。

15時頃から雷雲が通過して雨が降り出しましたが、雨に濡れることも無く、すっきりした気分でグリーン車に乗り込みます。初めて乗る新幹線のグリーン車は快適です。途中駅で合計20本近い「のぞみ」「ひかり」に抜かされます。

 

富士川駅から三島駅にかけて、一瞬雲が切れて富士山の山頂が姿を現しました。

 

宝永山が姿を見せました

 

手前は東名高速道路かな?

ほぼ定刻に東京駅に到着。東京駅で軽く夕食を食べて、帰りは中央線で高尾駅へ。無事に戻ってきました。翌日は台風接近の影響で東海道新幹線は終日、東京-名古屋間で運休が決まっていました。一日違いで危ういところでした。

 

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54年ぶりの滋賀旅行(3) 2024.8.14-15 彦根と近江八幡の街めぐり

2024-08-18 09:07:35 | 旅行

54年ぶりの滋賀県旅行初日は長浜から彦根に移動して彦根城を見学。その後、近江八幡のホテルへ南下して、翌朝は近江八幡の街を散策しました。

彦根城の帰りに寄りたい場所があるので、京橋口から夢京橋キャッスルロードを歩きます。

 

 

彦根城の京橋からすぐ先は、白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みが続きます

 

江戸時代の城下町をイメージした古き時代と新しい時代の薫り漂う「OLD NEW TOWN」 

 

和菓子、洋菓子、地元の商品を扱うお店が軒を並べます

 

茶房源三郎で休憩。濃厚な抹茶を使用した「もこもこ源三郎ソフト」を味わいました。そして、お茶のお土産を大量に購入・・・

 

夢京橋キャッスルロードの幟にも「ひこにゃん」が登場

 

「とびだしとび太」も負けてはいません(笑)

 

目的地の宗安寺に到着

 

御手水

 

まずは参拝します

 

参拝の目的は永代供養等

 

ここにもお参りします

 

名前がありました。母方の祖父母と一番上の伯母です。祖父は海軍少将だったようですが、子供の時に亡くなっているので記憶には残っていないのです。かなり前に、先祖代々のお墓から永代供養塔に遺骨を移したそうです。なお父方の先祖は福島県からお墓を八王子の上川霊園に移して、地元で面倒を見ています。

宗安寺のお参りを終わり、駅の駐車場へ戻ります。

 

近江牛の店頭では「おにくじ」。運勢占いだけでなく、おすすめの肉の部位も紹介してくれるみたいです。

 

ひこにゃんのお店

 

彦根見学を終わり、近江八幡へ車で移動です。近江八幡までは彦根から車で40分程度の距離です。

 

ホテルの部屋に到着したのは19時近くになっていました。琵琶湖の向こうの比良山に夕日が沈み、赤く空が染まっていました。

 

夕食はホテルのレストラン(中華)。最後に近江牛が出てきました。

 

翌朝、朝食バイキングまで時間があるので、近江八幡の街まで歩いて散策に出かけます。昨夜は暗くて気づかなかったオシャレな街灯。

 

北へ向かうぶーめらん通りの街灯

 

開業150年周年を迎えた八幡小学校

 

ここにも「とびだしとび太」が・・・

 

街中を散策中に見つけた近江八幡教会。美しい洋風建築です。1907年にウイリアム・メレル・ヴォーリズによって建てられた教会が元になっているが、現在のものは火災の後の再建です。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズについて簡単に紹介しておきます(近江八幡観光物産協会のHPより引用します)

ヴォーリズは明治38年に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、昭和39年に83歳の生涯を終えるまで彼は近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けました。そしてこれらの事業を経済的に支えるべく多くの人々と力を合わせ、建築設計会社やメンソレータム(現メンターム)で知られる製薬会社などの企業活動を展開していきました。(引用終わり)

 

アンドリュース記念館が隣接しています。ヴォーリズの大学時代の親友であったハーバート・アンドリュース氏を記念して、1907年(明治40年)に建てられたヴォーリズ建築最初の建物。当初建物があった位置から12m東方向のこの地に古い資材を再利用して移築されました。

 

 

ここまで来ると八幡山はすぐそこです。麓まで歩いてみることにします。

 

仲屋町を歩きます。八幡城形成時に仲買商人の町として栄え、仲買を意味する「すあい(仲屋)」に因んで名づけられました。

 

これは酒屋でしょうか

 

近江牛専門店のようです

 

日牟禮八幡宮の鳥居に到着。この先が八幡山城跡となります。

振り返ると、立派な建物。白雲館と呼ばれています。

 

白雲館の説明です。明治10年に八幡東小学校として建築され、平成6年に建築当時の姿に復元されました。朝早い時間なので、中に入場できません。

 

ヴォーリスと少女の像

 

八幡堀を見学します

 

八幡堀は戦国時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際に、市街地と琵琶湖を連結するために造られた人工水路で全長6kmに及びます。軍事的な役割と物流の商業的役割を兼ねています。

 

時代劇や映画のロケ地としても知られています。とても風情あります。

 

新町通りを歩きます。古い町並みが広がっています。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が保存されています。

 

重要文化財に指定されている旧西川家住宅。西川利右衛門家は約300年にわたり活躍した、近江八幡を代表する豪商の一人です。

 

森五郎兵衛邸。縦格子が印象的です。

 

ここ近江八幡は、近江商人のふるさとです

 

旧伴家住宅。江戸に出た八幡商人伴荘右衛門家の本宅で、現在の建物は7代目伴荘右衛門が文政10年 (1827) から天保11年 (1840) の13年をかけて建築したもの。明治時代になって当時の八幡町に譲渡されてから小学校・役場・女学校と変遷しました。

朝早い時間なので、歴史ある建物の中に入って見学することはできませんでした。でも風情と情緒漂う近江商人の町並みやヴォーリズ建築などを十分に楽しむことができました。また2km歩いてホテルに戻ると朝食が慌ただしくなるので、帰りはバスで近江八幡駅まで直行。

 

近江八幡駅北口ロータリーで下車

 

ホテルに戻り、見晴らしの良い9階のレストランで朝食(バイキング)としました。レストランからの眺望がデザインされたランチョンマット紙が嬉しいですね。正面の八幡山麓の城下町まで片道2km以上歩いて散策してきたので、お腹が空いてしまいました。

滋賀旅行の2日目は、近江八幡の城下町散策に続いて比叡山延暦寺の参拝です。現在根本中堂は改装工事中で全貌を見ることができませんが、せっかくレンタカーを借りているので、比叡山の三か所をまわることにします(続く)

 

 

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54年ぶりの滋賀旅行(2) 2024.8.14-15 彦根城見学

2024-08-17 08:36:29 | 旅行

長浜城歴史博物館で特別展を見学していたらお昼を過ぎてしまいました。黒壁スクエアなどの長浜市旧市街を散策する時間が無くなってしまったので、1日目の目的地である彦根城へ向かいます。長浜から彦根までは12km程度、30分で彦根駅前に到着。駅前の駐車場に車を停めて、まずは近くのお食事処「しる万」で昼食としました。

 

肉うどんと、近江牛のミニ丼のセットを注文。関西風の白だしで食べるうどんは久しぶり。

 

おしぼりには彦根城とひこにゃんのデザイン(笑)

 

彦根駅前ロータリーには井伊直政公の銅像。直政は徳川家康の重臣で彦根藩の初代藩主でもありました。

 

彦根駅から、駅前お城通りを西へ500mほど歩いて彦根城へ向かいます。

 

ひこにゃんのバス発見!

ひこにゃんは2006年の4月13日生まれ。国宝・彦根城築城400年祭を盛り上げるために、彦根藩主・井伊直孝公を雷雨から救ったと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルである赤備えの兜がモチーフのキャラクターです。

 

石材店にも。。。すっかり定着しています

 

ちょうど旧盆で「みたままつり」を開催中の滋賀縣護國神社にお参りします。夜には提灯が点灯されることでしょう。

 

佐和口多聞櫓へと向かう通りの松並木通り右側に井伊直弼の歌碑が建っていました

 

彦根城の入口の一つである佐和口にやってきました。南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに彦根城の4つの門のひとつで、表門に通じる入口として、大手門がある京橋口とともに彦根城の重要な城門のひとつでした。佐和口多聞櫓は、その佐和口を守るための防御の要でした。

 

彦根城博物館入口には、ひこにゃんの案内。その横には滋賀のご当地キャラクタでもある「とびだしとび太」

 

彦根城めざして階段を登ります

 

橋の下をくぐり階段をさらに登り天秤櫓にやってきました。この天秤櫓が築かれたのは、築城開始から数年後のことで、長浜城の大手門を移築したものであると言われています。嘉永7年(1854年)に中央部から西側の石垣を足元から積み替える大修理があり。東半分と西半分で石の積み方が異なっています。

 

西半分は牛蒡積み。自然石をそのまま用い、細長い石を奥に伸びるように並べていく工法で造られています。

 

東半分は落し積み。石と石の接合面を加工して積み上げる造り方で、下方に落とし込むように積んでいくことから落とし積みと呼ばれています。

 

天秤櫓の中も見学できます。これは、井伊家の旗印である井桁。

 

彦根城の天守を目前にした本丸の表口を固める櫓門である太鼓門櫓。築城時の他の城から移築されてきたそうです。

 

ようやく彦根城の天守に到着。現存天守のひとつであり、国宝にも指定されています。1604年(慶長9年)に徳川家康の命令によって築城が決まり、豊臣方の動きを見張る重要拠点として工事は幕府主導で急ピッチで進められます。佐和山城をはじめとする近隣の城や寺院から使える建物や石垣を運び再利用し、天守を含む主要な部分は、1607年(慶長12年)には完成します。その後「大坂の陣」で中断され、結局、約20年を費やして 1622年(元和8年)に完成を迎えました。

 

天守は3階3重と規模としては小ぶりですが、屋根には「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」といったさまざまな破風を配しています。
また、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど、非常に優雅な外観をしています。

以下に彦根城の装飾の説明を、「彦根の観光ガイド ときどき滋賀 」より引用しておきます。

 

 

引用終わります。

 

ひこにゃんと彦根城

 

天守入場待ちの列に並びます。35℃に迫る猛暑の中、暑さ対策としてミストが設置されていました。

 

令和5年12月から来年の1月にかけて彦根城は耐震工事が行われています。夏休みの期間中は工事を中断して天守への入場が可能となっているのです。

さっそく中へ入場します。1層から2層にかけては62度、2層から3層間は60度もある急な階段を上ります。見学者向けに手摺が付いていて、上り下りとルートが分かれているためそれほど危険ではありませんが、中は大渋滞でした。

 

鉄砲狭間と矢狭間の形状の違いを図示した隠狭間の説明。三角窓は鉄砲狭間です。

 

天守閣最上部の梁。複雑に入り組んでいます。天守を支える1層目の梁は補強工事中のため見ることができませんでした。

 

 

国宝指定書が展示されていました

 

3階からの見晴らし。鳥避けの金網が邪魔ですね。

 

2か所で、金網が取り除かれたフォトスポットがありました。眼下に広がる彦根市街。その先には荒神山。

 

反対側の眼下には玄宮園、その先に平和堂HATOスタジアムと競技場。正面に伊吹山を遠望します。平和堂HATOスタジアムは来年滋賀県で開催される国スポ(旧国体)の会場になるそうです。

 

伊吹山をズーム

 

天守の見学を終わりました

 

近くの着見台(着見櫓跡)からの眺望。天守からとほぼ同じアングルです。

 

現存12天守の一覧が掲示されていました。その中で国宝に指定されているのは、彦根城の他には姫路城、犬山城、松本城、松江城の計5つです。

 

最後に天守の鯱をズームして戻ります

 

途中、上りには気づかなった鐘楼がありました。「お山の鐘」として市民に親しまれている彦根城の時報鐘です。朝から3時間おきに、6時、9時、12時、15時および18時の1日に5回、城下に鳴り響く鐘の音は環境庁の「日本の音風景百選」にも選定されているそうです。ちょうど15時の鐘の音を遠くで聞きました。

 

彦根城博物館を見学してから玄宮園へ向かう途中の公園内に井伊直弼大老像が建てられていました

 

 

玄宮園を見学します。江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。正面に彦根城を見上げます。

 

国宝、彦根城をズーム

 

隣接する楽々園。江戸時代には「槻御殿」などの名前で呼ばれていました。大老井伊直弼は1815年10月29日にここで生まれました。

彦根城の見学を終えたので、もう一か所訪れておきたい場所があります。夢京橋キャッスルロードへ向かいます(続く)

 

 

 

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54年ぶりの滋賀旅行(1) 2024.8.14-15 米原から長浜へ

2024-08-16 10:58:32 | 旅行

夏休みを利用して8月14日から15日にかけて滋賀県まで旅行に出かけてきました。滋賀県を旅行で訪れるのは実に54年ぶりのことです。前回は大阪万博の前にお墓参りを兼ねて立ち寄ったのです。今回は墓参ではなくて、彦根城と琵琶湖を見たいという奥さんのリクエストに応えて1週間前に企画したミニ旅行です。とはいっても旅行代理店経由で全てスマホで予約完了。楽になったものです。

 

出発当日の8月14日の朝も八王子では熱帯夜に明けました。久しぶりに自宅から見る日の出です。

 

眩しくないのでコンデジでズーム。大きな黒点がはっきりと見えています。太陽フレアによる磁気嵐が発生して、中緯度帯でもオーロラとペルセウス座流星群を同時に観察できた地域もあったようです。

 

8時33分発のひかり635号で東京駅から米原へ向かいます。車窓から見る富士山は雲の中でしたが、関ヶ原付近から伊吹山を間近に見ることができました。

 

ほぼ定刻通りに米原駅西口に到着

 

いきなり目に飛びこんできたのは新幹線格安チケットの自動販売機。滋賀県で見かけたJRのどの駅にもありました。

 

レンタカーを借りて最初に向かったのは長浜城跡。今は本丸跡だけが残っています。

 

長浜城跡の説明。ボロボロでほとんど読めません(笑)

長浜城は戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごしました。江戸時代前期に廃城になってしまい、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。その跡には、僅かな石垣と井戸だけが残されています。

 

昭和58年に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」として復元された歴史博物館です。見晴らしが良さそうなので内部を見学することにしました。

 

 

館内では特別展「北政所と秀吉 高台寺の美と文化」を開催中でした。

 

歴史好きにはオススメの特別展です。本展覧会についてHPから引用しておきます。

令和6年(2024)は、北政所が寛永元年(1624)に没してから400年を迎えます。現在、北政所と秀吉ゆかりの地として知られる京都・高台寺では、「北政所ねね様四百年遠忌記念事業」を展開していることから、本展では、高台寺の特別協力を得て、湖北・長浜の地で同寺の至宝の数々を紹介します。あわせて湖北・長浜に伝来する北政所や秀吉、彼女をとりまく人々ゆかりの資料にも注目します。
 この展覧会を通して、豊臣の世から徳川の世へと移り変わる、激動の時代を感じとっていただくとともに、強くしなやかに生きた北政所の半生から今を生きるヒントを見つける機会としていただければ幸いです。(引用終わり)

 

特別展と常設展を見学してから最上階の展望台へ向かいます。戦国合戦のパノラマの世界が広がります。

 

正面には標高1377mの伊吹山。その右奥が関ヶ原となります。

 

伊吹山をズーム

 

南南東には霊仙山

 

琵琶湖の南には佐和山城、彦根城方面

 

肉眼でも微かに見えた彦根城をズーム。午後からこちらへ向かいます。

 

その西には安土城址と沖島。安土城址の向こう側の近江八幡が宿泊場所となります。

 

琵琶湖の西岸の先にはうっすらと比良山の山並み

 

琵琶湖の北岸方面の眺望。正面に竹生島が見えます。

 

煙突の右奥に見える円錐状の山は山本山。その奥が賎ケ岳合戦場です。

 

北側には虎御前山と小谷城址方面。右奥は金糞岳方面となります。

 

分かりにくいので、案内版を付けて撮影してみました

 

ぐるっと一回りして、長浜の街と伊吹山

予想以上に長浜城跡で時間を費やしてしまいました。目的の琵琶湖の眺めを楽しんだので、町の散策はあきらめて次の目的地である彦根へ向かいます(続きます)

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レンゲショウマとバアソブ探しに和田峠から陣馬山を散策 2024.8.13

2024-08-14 09:06:48 | 高尾山・陣馬山

昨日も日中35℃を越える猛暑日となりました。午前中に近場で涼しさを求め、和田峠から陣馬山を散策してきました。陣馬街道の工事に伴う通行止めは現在解除されているようなので、恩方から和田峠へ向かい、和田峠の先の駐車場に車を停めて散策開始です。目的は咲き始めたレンゲショウマと山頂近くのバアソブの花です。

 

今年も数輪の花を間近に見ることができました。

陣馬山のレンゲショウマは鹿の食害で壊滅的な状況になり、現在は鹿よけの柵で覆われた区域で保護されています。一部登山道沿いにも花が見られるので、それを目当てにほぼ毎年この時期に訪れています。

 

山の斜面の上のほうにもチラホラ姿を見かけます。

 

保護区域内では数多くの花が咲いています。柵の外からコンデジでズーム。

 

暗くてなかなか焦点が合いません。まだ蕾が多く、来週初めが見頃になりそうです。

 

レンゲショウマの群生地から陣馬山頂までは10分ほど。1年ぶりの白馬像です。

 

積雲が多く、富士山や奥多摩方面の山々は霞んで見えません。

 

北側正面は醍醐丸方面。手前の木は枯れてしまいました。

 

醍醐丸方面の斜面もナラ枯れのため山肌が赤茶色に染まっています。カシノナガキクイムシの被害が標高の高いところにも忍び寄っています。

 

山頂のコオニユリは終盤

 

シシウド

 

目的のバアソブが咲いていました

 

 

昔の山小屋の周辺で保護されています

草原の中にも自生していたのですが、年々姿を消しているような印象です。

 

クルマバナが咲き始めていました

 

スズサイコの蕾。早朝は花が開いていたかもしれません。

 

近くにもう一株

 

こちらは咲き終わったスズサイコ

 

帰りは木道を通って駐車場へ下ります。今年初めてのキンミズヒキの花。

 

これはノコンギクかな?

 

咲き始めのタマアジサイ

 

和田峠で咲き始めたクズの花

約1時間かけて和田峠から陣馬山を往復しました。日当たりの良い場所では汗が噴き出す暑さです。でも標高が高いため日陰は涼しく気温は25℃くらいでしょうか。虫はかなり多かったです。山頂では赤とんぼが飛び交う時期なのですが、あまりの暑さのためか姿を見かけませんでした。

 

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久しぶりに千葉県鴨川まで日帰り旅行 2024.8.11

2024-08-13 17:23:24 | 千葉県

一昨日は、娘が住む千葉県鴨川まで日帰りで旅行に出かけてきました。娘は薬剤師の仕事があるため全く自宅には戻ってきません(年に1~2回)。今回は日曜、月曜(祝日)と連休になったため、そのタイミングでこちらから出向いて会うことにしました。息子も埼玉県からバイクでかけつけ、家族全員が揃うのは正月以来です。

東京湾アクアラインは朝から大渋滞のため、久里浜からフェリーで金谷へ向かうことにしました。

 

自宅を7時30分に出発、渋滞もなく8時50分にフェリー乗り場に到着。登場するのは黒船しらはま丸。2~3年前に乗った時は白い船体だったように記憶しています。どうやら黒い船体にラッピングされたようです。

 

船内ではラッピング工事の様子がビデオで紹介されていました

 

昨年は、日本開国のきっかけとなった米国ペリー提督の乗船した黒船が久里浜沖に現れてからちょうど170年でした。東京湾フェリーでは、ペリー提督の日本初上陸から170年の節目を記念して、しらはま丸の船体の黒船ラッピング事業を実施したのです。

 

船内の売店は黒船グッズであふれていました

 

甲板に出て潮風に当たることにします

 

久里浜港を出港

 

空は霞み、東京スカイツリーや富士山の姿は見えません。微かに見える白い橋脚は横浜ベイブリッジかな?

数年前の正月に東京湾フェリーに乗った時は、東京スカイツリーや富士山、伊豆大島を遠望できました。東京湾フェリーに乗るのは冬がおすすめですね。

 

金谷が近づくと富津市の東京湾観音が見えてきました。

 

金谷から鴨川までは約40分。少し時間に余裕があるので、ロープウエイで鋸山へ登ってみることにしました。鋸山ロープウエイは2022年に開業60年を迎えたそうです

 

標高329mの鋸山山頂に到着

 

少し欲を出して日本寺へ行ってみることにしました。拝観料700円を払い、百尺観音へ

 

人気の地獄のぞきは長蛇の列。待ち合わせ時間に間に合わなくなるので、少し先の展望台から地獄のぞきを見て戻ることにしました。

 

待ち合わせ場所は、鴨川のお寿司屋さんです。娘が予約を入れてくれました。地元では人気のお寿司屋さんで、娘は職場の皆さんとよく食べに行くそうです。

 

旬の地魚のお任せコースを注文。地魚すしと料理3 品がセットとなっています。2階の個室に握りたてのお寿司を4人分まとめて運んできてくれます。鴨川の銘柄米である長狭米のシャリと、磯の香が残る新鮮な地魚の相性が最高です。

 

ウニ、いくら、トロはお好きなものを選べます

 

巻物も絶品です。初めて芽ネギを味わいました。

 

最後の炙り寿司は太刀魚と黒むつ。絶品でした。

 

最後は追加注文した、かずさ和牛炙りの握り。大満足の昼食でした。

 

続いて、奥さんのリクエストにより大山千枚田へ向かいます。その途中、亀田酒造の蔵元に立ち寄ります。

 

お店の入口

 

亀田酒造ブランドの「寿萬亀」ブランドで知られています。ここでお土産を買い込み、大山千枚田へ向かいます。

 

亀田酒造から10分ほどで大山千枚田に到着

 

早くも稲穂が色づいています

 

32000m2の斜面に大小375枚の田んぼが階段状に並びます。「日本の棚田百選」にも選ばれています。東京からは最も近い棚田です。

 

房総半島ではゴールデンウイーク前に田植えが始まるため生育が早く、今月中には稲刈りが行われるようです

 

最後にスマホで1枚

 

近くに古民家レストラン「棚田カフェ」がありました

 

大山千枚田の帰り、近くの農産物直売所に立ち寄ります。房総では長狭米と呼ばれる新米の季節を迎えています。

 

続いて勝浦へ足を延ばします。勝浦海中公園は16時30分で受付終了のため、近くの鵜原理想郷を散策。パノラマが広がる黄昏の丘からの夕日。

 

複雑に入り込んだリアス式海岸が連なります

 

潮風や波に浸食された地層を見下ろします

 

最後に立ち寄った駐車場近くの漁港から、浸食された崖を見上げます。

日没近くなったので、赤く焼けた房総の夕焼けを見ながら勝浦から鴨川へ戻ってきました。鴨川からの帰りは房総スカイラインで君津へ出て、東京湾アクアライン経由で自宅へ。20時を過ぎても木更津からアクアライン入口まで断続的に渋滞が続き、鴨川から高尾の自宅まで2時間30分を要してしまいました。

 

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ペルセウス座流星群見えています 2024.8.12

2024-08-12 22:50:37 | 流星群

今夜はペルセウス座流星群がピークを迎えます。夕方広がった雲は解消して月も西の空に沈み、夏の星空が広がっています。夏の大三角形や白鳥座はしっかり見えています。しかし自宅の前は駅、そしてエスフォルタアリーナの照明もまだ点燈しているため、空が明るく流星観察には今一つの状態です。

22時10分から20分ほど自宅前で空を見上げてきました。首が痛くなったので20分が限界ですね(笑)。22時21分、白鳥座のデネブの北東側から南へ走るとても明るい流星が確認できました。今のところ、20分間で1個のみです。(続く)

( 23:30追記 )

再び30分ほど空を見上げました。22時51分、白鳥座付近から西へ長い軌跡を描きました。その後は一つも見えていません。南の空から薄い雲が広がってきて星空を遮ります。今回は2個観察できたので、これで終了とします。普段は21~22時に寝ているので、深夜まで星空を見続ける体力はありません(笑)

.

 

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京王5000系 高尾山ビアマウントHM車運行中 2024.8.12

2024-08-12 10:29:22 | 電車

今週は夏休み。高尾の自宅で過ごす予定です。昨日は娘が住んでいる千葉県の鴨川に出かけて、久しぶりに家族全員が顔を合わせてきました.。昨日の千葉旅行の様子は別途記事で取り上げる予定です。

今日は朝から庭仕事。Mt TAKAO1号にHM車が運用中という情報を入手したので、さっそくコンデジ片手に自宅近くの撮影スポットへ向かいます。定刻通り9時38分過ぎに5000系がやってきました。

 

こちらはトリミング画像です

 

 

 

 

狭間駅は通過するので、スピードを落とすことなく駆け抜けていきます

 

約20分後、回送列車となって上り線を通過します。自宅マンション前で待ち構えてパチリ

 

狭間駅を通過していきました。向こう側のホームにカメラマンが1名(笑)

 

(8/12 16:50追記)

夕方、少し暑さが和わらいできたので、老人ホームから戻った後に自宅近くを散策しました。もしやと思いコンデジ持参で狭間駅を通過するMt TAKAO6号を待つことに。

 

予想通り5734Fが運用されていました。日が陰り少し暗いため鮮明さには欠けますが、新宿行きHM車をパチリ。

 

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田んぼアートin行田 2024.8.9

2024-08-11 07:09:32 | 埼玉県

8月9日の続きになります。益子で満開のひまわり畑を見学してから埼玉県行田市へ向かいます。目的は古代蓮展望会館から見下ろす田んぼアートです。今年も何度か新聞記事に取り上げられて気になっていました。行田市を訪れる機会はなかなか無いので、友部のアパートから高尾の自宅へ戻る時が唯一の機会になっているのです。

真岡ICから北関東自動車道に乗り、東北自動車道を南下。利根川を渡ってすぐの羽生ICで降り、20分ほど西へ向かい古代蓮の里に到着しました。駐車料金500円を徴収されます。今までは無料で駐車できたと記憶しているので、今年から有料化されたのでしょうか。。。

日中の暑さで蓮の花は閉じてしまっているので、展望塔に直行します。

 

展望塔の前にはホースに蓮の葉を取り付けた蓮シャワー? 

 

入場料320円(駐車料金払うと20%引き)を払い、冷房が効いた古代蓮展望会館に入館します。館内では能登の復興を願う展示が行われています。今年の田んぼアートのデザインは能登の復興がテーマ。行田市のHPから引用しておきます。

令和6年1月1日に発生した能登半島地震では、能登地域を中心に多くの方が被害に遭われました。そこでギネス世界記録にも認定されている田んぼアートのデザインを能登復興応援にすることで、一日も早い復興を願い今年のテーマを決定しました。

能登地域を代表とする祭りであるキリコ祭りは、「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」として日本遺産に登録されており、同じく、本市も「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」として日本遺産に登録されていることから、日本遺産でのつながりも踏まえて、キリコ祭りのデザインとなりました。(引用終わり)

 

そして、まねき猫のお出迎え。前からあったかな・・・

 

続いて目に飛び込んできたこれは何? 上には通天閣の写真が掲げられています。

 

大阪の通天閣からお借りしてきた福之神ビリケンさんです。ビリケンさんはアメリカ生まれで大阪で育った神様のようです。知りませんでした。

 

ビリケンさんの先に和傘の展示

 

エレベータホールへ向かう廊下には能登復興祈願の幟が並びます

 

エレベータ待ちの間に目に入ってきた掲示。これから乗り込む行田タワーは全日本タワー協議会に入会したそうです。

 

 

エレベータを降ります。今年の田んぼアートのテーマは「がんばろう! 能登 ~日本遺産 キリコ祭り~」です。

 

これが実物です。見事な出来栄えですね。

 

右側には復興祈願の文字が浮かび上がります

 

真ん中にはがんばろう能登。左には日本遺産キリコ祭りの文字

 

よく見ると、花火の中央で白鷺が休憩中です

 

さらにズーム

 

しばらくすると、もう一羽飛んできました

 

田んぼアートの先に、うっすら筑波山が見えていました

 

筑波山をズーム。左は加波山かな?

 

南東方向にはうっすらと東京スカイツリーを遠望できました。

一方、南側の富士山や、北側の日光、赤城山、浅間山方面は霞の中でした。

 

これは今年の田んぼアートの設計図です。

 

最後に8月5日の日本経済新聞の記事を紹介しておきます。

 

 

 

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今年も栃木県益子町のひまわり畑へ 2024.8.9

2024-08-10 09:26:08 | 栃木県

昨日午前中は連休前の残務を片付けるため茨城県のアパートで在宅勤務としました。朝から青空が広がり気温が急上昇。笠間では最高気温34.6℃を観測しています。普段は冷房が効いた事務所にいるためアパートの暑さを体験してこなかったのですが、9時を過ぎるとさすがに2階のい部屋は耐えられません。布団と洗濯物を取り込み、早めに自宅に戻ることにしました。天気が良いので、帰りに寄り道して益子町のひまわり畑と、行田市の田んぼアートを見学します。

 

まずは笠間市上市原の国道50号沿いのひまわり畑を訪れます。8時頃から広がり始めた積雲の下に咲くヒマワリ。

 

ちょうど見頃を迎えていました

続いてお隣の益子町へ向かいます。道の駅ましこに車を置き、ひまわり畑へ。

 

5分ほど歩いてひまわり畑に到着

 

背の低いハイブリッドサンフラワーが満開です

 

今日から、ここでひまわり祭りが開催されています

 

今年のひまわり畑は、昨年までに比べて全体的に道の駅側に移動したように感じます。そして、道の駅に近いひまわり畑はちょうど見頃となっていました。

 

どの花も同じ方向を向いて咲きます

 

花の裏側から見ると、東側の雨巻山を向いて咲いています

 

一本だけ極端に背の高いヒマワリ。目立ちます(笑)

 

ヒマワリ畑の中央に赤い品種(ルビー)が植栽されています。こちらはほぼ終盤です。たくさんの蜜蜂が訪れていました。

 

こちらは背の高いハイブリッドサンフラワー。ピークを過ぎつつあります。

 

ここにも蜜蜂が訪れていました

 

変わり種の畑

 

ひまわり畑を見ながら駐車場に戻ります

 

一面に広がる黄色い絨毯

 

南側から全景を写します。毎年この上山地区には約5ヘクタール、約100万本のひまわり畑が出現します。

 

 

昨年のほうがボリューム感があった印象です

 

ここでおしまいとなります。ここから道の駅までは200m程度でしょうか。以前はもっと北側に離れていなような記憶があります。

 

(参考)昨年8月11日に訪れた益子町のひまわり畑

 

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