そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月16日(土)最終講義と退職記念パーティ

2013年03月16日 | 公開

 隣の研究室のK教授の最終講義と退職記念パーティの日がやってきた。パーティは15:30からなので、昼食は軽く「maruharu」で摂る。

 K教授らしいご講義だった。文学を読み込むとはどういうことか、ひとつの完成されたスタイルと言ってよいかもしれない。講義の最後に、亡くなった私の指導教授F先生のエピソードを紹介され、感動した。F先生は昭和18年に学徒出陣、高射砲の幹部候補生として教育を受けていた時の日誌が残っている。K教授は軍記がご専門なので、その日誌がまわり回って手元に託され、最終的には大学史の資料センターに寄贈された。その日誌を私はK教授から見せられ、読ませていただいた。その中で最も印象的なのは、空に浮かぶ阻塞気球を見て牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふ」の歌を想ったという一節である。その話で講義を結ばれた。

 『昭和萬葉集』に載る、F先生のお歌

    書きさしの論文用紙 白紙と残れる多し 今は忘れむ

 パーティは昨日の会場の隣で、ずっとこじんまりしたものだったが、等身大で暖かく、K教授を敬愛する門弟たちの手作り感満載の、好もしい集いだった。なにしろ日本酒が十二分に用意され、それがまたK教授のオリジナルブランドというのだから堪らない。さすが新潟県人である!

 しかも、用意された焼酎は「俊寛」であった。いやはや、なんと素晴らしい趣向であろうか!

 今日はやめておこうと心に決めていたのだが、やはりウルトラマンには登場していただいた。この前は哲学のT教授に怒られたけれど、今日は「背景が分かった」と認めてくださった。そのあと、T教授に少しからまれたような…。私はもう、出家遁世いたしますのぢゃ! さて、記念品贈呈の段となり、進呈役のTちゃんに、昨日のようなこととにならぬよう、両手でちゃんとお渡ししなさいよと耳打ちした。お渡しした後、Tちゃん、感極まって落涙。よかった、よかったと褒めた。二次会まで付き合って、帰宅する。

 栄転するW君にお祝の品を渡すこともできた。フランス帰りのS君には何十年かぶりに逢ったが、いまK高校の先生をしているよしで、本年度卒論指導を担当して出版社への就職が決まったH君を教えたのだそうである。25日の卒業式の日にH君をビックリさせてやろうと、一緒に写真を撮った。それから、K教授が卒論を見た女性のお子さんが、私が校長を務める高校へ4月に入学なさるよし、しかも米子のご出身とは奇遇である。また入学式でお目にかかりましょうとご挨拶した。なお入学式の式辞は既に作成して、暗記してあるんだよ。しかしかかし、狭い世界だまったく。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿