日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

性質の悪さ

2012年06月11日 | Weblog
サイキックな能力を売りにしているセラピストやーヒーラーに、どちらかと云えば勘違いや傲慢で性質の悪い人が多いと思います。
自分が人にはない特別な能力を持っていると思っているので、まずアホな人はそれだけで優越感で一杯。
何かと云えば「普通の人は」と云うような云い方をして、常に自分と比較しますね。
当然自分が上と云う大前提ありきです(何せ能力者ですから)。
サイキックな能力が開いているとは云え、それはその人がよい人だからでも人間的に優れているからでもありません。
性格悪くて嫌なセラピストやヒーラーはゴロゴロいます。
でもなぜか自分は立派な人間だからそうだと思い込んでる人が多くて閉口します。
ホントに慢心して傲慢になったら時点で終わりですね、こう云う事を生業にしている人は。
調子こいてると自分の状況が分からないと云うか、傲慢道爆走ですから、たまには自分を省みる時間があってもいいのではと思います。
幾ら自分は自分のままでいいのだとしても(これも、ザ・勘違いが多いけど・爆)。
能力は勿論ですが、人としての中身も含めての仕事だと思うのですが、ホントに都合のいい人が多い世界。
淘汰されてもいいと思うのですけどね。

こう云う気持ち

2012年06月07日 | Weblog
調子がよい時楽しい時、これでいいのかとあえて不安を煽るような事を考えてしまう悪い思い癖があります。
根底に、自分はいい思いをしてはいけないと云う謎の思い込みがあるからだと思います。
が、今日はそう云う事を一切感じませんでした。

午前中少し早目に出かけ、外が見渡せるお店でぼーっとしていたのですが、そこで、今日はいい天気だなあと思ったら、心の底から幸せな気持ちになりました。
空が青くて、そこに緑の繁った木があって、そのコントラストが綺麗で。
ただそれを眺めているだけで幸福感で一杯になった。
こう云う事ってまずないオバサンなので、そんな自分が不思議でもありましたが、ただ見えているものに幸せを感じるって、多少は邪気が取れたのかもしれません。
まあ、何時まで続くかは分かりませんが、滅多に起きない事が起きた事だけは確かです。

ここで、こう云う風景を見て幸せと感じるのも生きていればこそ、生きている事に感謝!とはならないところが如何にも私で天邪鬼なのですが、この幸福感を味わえなくても即消えていいなら断然そっちが優先されるので、この根本のところはちょっとやそっとじゃ変えられないでしょうね。
と云うか、多分変わらないでしょう。
そもそも全てを生きている・生かされている事に感謝と云う事に結びつける発想がない、と云うか持てないので。
これは私が生まれて来た理由の深いところにある問題なので、恐らく余程凄い人に読み解いて貰わなければ分からない事だと思います。
が、生まれちゃった以上、どうする事も出来ない話し、行けるとこまで行くしかないと云う事でしょうね、嫌々でも何でも。
でもその中に、今日のような幸福感がぽっと出て来ると、こう云う感じも悪くないなと思えて、もう少し頑張ろうと云う気も起きると云うものです。

今日のこの気分は、昨日の出来事に起因している可能性が大きいかもしれません。
多分、私たちは何かある間柄ですね(笑)。
機会を作ってくれたMさん、本当にあるがとうございましたm(__)m。
ここからガツンと仕切り直しで行けたらなと思っています。

結局のところ

2012年06月06日 | Weblog
その辺のセラピスト、と云うと御幣はありますが、どんな立派な事を云ったところで所詮生活の為、金儲けの為に仕事してるんですよね。
全くそれを悪いなんて思わないし誰だって生きて行かなくちゃいけないのですから、何に対しても代価が発生するのは当然、人助けは安価でやるのが人の道なんて事は更々思ってはいません。
が、時々自分はもうお金の流れが安定していてコントロール出来る、要はお金の心配ゼロと云うような人のセッションの料金が、はぁぁぁぁ!?と云うような額だったりするのです。
余程凄いセッションだし相当消耗もするのかもしれませんが、やっぱこれはこれで儲けるって事なんでしょうね。
自分に出来た流れを周囲に還元してみんな一緒にパラダイスへ(大笑)とか、手が出易い額でセッションを提供するとか、そう云う風にはならないみたいです。
これについて大意はないと云うか、ホントに素朴な疑問です。

ブログにあれこれ書かれている自慢も、余程人間的にも能力的にも優れた人でなければ、結局はクライアントを増やす為の宣伝だよなとしか思えないと云うか、どうもお金に直結して考えてしまいます(そう、私は貧乏だからね・笑)。
これだけ凄いです、こんなに安いお幾ら万円ですので是非来てねとガツガツ宣伝を書かれると、ホントに凄いのかもしれないけど煽っているような気にもなり、引いてしまうところもあります。
何でも過剰だと、逆効果になっちゃいますが。

確かに人助けはしてるでしょうが、それで自分も食べて行けてる訳で、決して無料とかボランティアじゃありませんよね。
当然セラピストが側が一方的に、自分は能力者だから上とかそう云う事はないと思うんですが、なんか上から目線で立派な事を語りたがる人が多いなあと思ったりして。
対等とまでは云わないにせよ、そこまで一般人と自分が違うと語る必要ありのかなとか、本当に凄い人なら黙っていても人は自然に集まるものだけどなとか、最近思う事が多いですね。
ネットなんてない時代でも、凄い人の話と云うのは口コミでどんどん広がっていたし、実際自分も遠方の霊能者の先生にご縁を頂いた事がありますが、これも口コミの結果です。
自分の状況がよくないから、余計に過剰に感じてしまうのかもしれませんが、必要以上に自分の能力自慢をしなくてはならない理由は何?と、凄い(らしい)セラピストに聞きたい気持ちです。
調子にのっていると云うのは、波に乗っていると云う風にいいようにも使いますが、どうにも調子こいてると云う具合の調子に乗ってる人が目についてしまう。
余程調子が悪いと見えますね、ワタクシ……。

その意味

2012年06月03日 | Weblog
どんどん人生悪化の一路ですが、ここまで落ちるきっかけになったのはあの出会いだろうなと云う心当たりがあります。
たらればはないと云いますが、あの人たちと出会わなければここまで精神状態が悪化する事はなかっただろうなと思います。
と云うと、人のせいにするなとか引き寄せた自分が悪いと云われそうですが、よくなる為の事がその逆になった事まで、とても予想出来ません。
しかも相手はよかれと思っていたのですからどうしようもないと云うものです。
あれをよかれと云うか、私が感激すると思った時点で価値観がズレまくりと云うか、全く別世界の住人と云えるかもしれません。
あの出会い以来、本当ろくな事がない。
完全にロックがかかってしまったようになり、どんどん悪くなる一方です。
どうしたらいいのか、もう全く分かりません。

とってつけた

2012年06月02日 | Weblog
何と云うか……、とってつけたような云い方って分かるもので。
ヤバいと思って慌てて、そんな事はないと云うのを(ホントはそんな事あるのに)云ったところで、付け焼刃と云うかとってつけた云い方になっているのが丸分かり。
それでも云わないよりマシと思うのかな。
本気でそう思っていないなら、それを貫き通したらいいのにと思いますが。

人の為の事をしていても、所詮メインは誰だって自分です。
お金出してもいない人の事なんか考える必要もないのです。
ただ、仕事以外でも本当に人としての思いやりがある人なら、自ずと出て来る優しさとか気遣いと云う事はあるのだろうなと思います。
常にそう云う思考だと思うから。
結局自分や目の前の事だけで浮かれて他が一切見えなくなるんじゃ、その程度って事でしょう、幾ら立派な事を云っていたところで。
実際普段から見え隠れしますしね、本質のようなものは。
小さな違和感が積み重なる事自体、もう何かが違っていると云う事だと思います。
人物を見極めるって、こう云う小さな事が大事なのかもと思う事が増えました。

怖いものなしになって浮かれ、調子に乗ってしまう事が1番怖い。
自分がよければいいとは云いますが、陰で失笑されていたりしたら、何かが変だとも云えるかもしれず。
100%受入れられる事ばかりではないにせよ、自分がよければと云うのが、単にいい気になっているだけと云う事もある訳で、気付けないのは恐怖と云うか逆に自分を見失っている気もします。
最近その事を考えるような事が多発しています。
自分への戒めかもしれません。