日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

作業開始

2012年06月18日 | お仕事プラス
今日からトレース開始し、15時前に終了しました。
A3一杯一杯の甕が多目で、若干消耗しましたが、今日中には終わらないと思ったので意外とよく出来たかなと思います。
ただ細かいところでこちらが修正して書かなくてはらないところが出て来て、必要ない手間が増えました。
3人の実測者がいるのですが、1人はロクロ線を正しく書いていないし、もう1人はあれこれ……。
残り1人が真っ当な図と云う感じですが、担当者がこれでOKと云っているのだから直らないのでしょうね。
きっちり直させておかしいところを自覚させないと、ずっとこのままの図なんだな。
まあじきに私の手は離れるのでしょうからどうでもいいのですが。
明日以降は当分半日稼働しか出来ないので、修正が明日で終わるかは微妙なところですが、残り7個体はまだ実測が終わっていないので、それと一緒ならちょっとのんびりでもいいのかもしれません。


先日子供の臓器提供の事がニュースになっていましたが、私も免許証の他にも複数枚「臓器移植提供カード」を持っています。
「必要なものは全部差上げます」と余計な事まで書いてありますが、使えるもんは全部と云うのは本音です。
生きてて何の役にも立ってない分、死ぬ時ぐらいはと思いますよね、一応。
が、自分が移植を待つ立場になったら、いらねえなと思っています。
そうなったらそれまでの事なんだろうと思うし。
生きる・死ぬと云う事に関しては、物事を強制的に動かしてまで何とかしようと云う気が全く起きません。
生きてる間のささやかな幸せは望みとしてありますが、このままなら死ぬとなったらそれで一向に構いません。
と云うか、自分にってそれが人の道と云う気がします。


よく「縁がある人が云々」云われますが、全く興味がなくても関わる事になると云うのは、やはり縁があると云う事になるのでしょうね。
でも全く知らない・興味がないのに結果的に関わるのと、好きだし興味があっても関われないのとではどこに違いがあるのか、単に「縁」と云い切れない気がします。
と云うより、呼ばれたか否かと云う感じ。
知っているとか興味を持つと云う時点で、既に「縁」と云うものは発生しているのではと思います。
でもそれが先に繋がるか否かは、分かりません。
そのものが呼んでくれるかどうかなら、まあ納得がいかないでもありません。
私はその点で行けば呼んで貰えない事が断然多い口ですが、呼んで貰えないと云うより拒絶或いは拒否されているのではないかと思えて来る事が多いですねえ。
それだけ人としての中身が悪いからだと云われている気もします。

先日ある人と偶然会って、ある話に興味を持ちました。
ちょっと迷いはあったけれど改めて連絡をしたところ、全く時間が取れないので会うどころか話しも聞けない状態。
幾らこちらから繋がりたいと思っても、そうならない・なれない事だって沢山あるのですが、何か縁があるとか呼ばれるとか云われると、そうならない私なんぞはホントに嫌な気持ちになるし落込みます。
でもまあ、これが現実なんだ。
で、そう云う状態を自分が引き寄せているとバッサリやられるんですよね。