日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

割切れない

2014年04月27日 | Weblog
感情とか想いとかそう云うものでも、自分で感じるだけではなく、人から教えて貰わなくては理解出来ない事と云うのはあります。
特に、想像力の乏しい人と云うのは、他人から云われて始めて気付くと云う事もかなり多いのでは。
或いは自分が当事者になって初めて分かる、とか。

勿論想像力だけでは補えない事も多く、経験しなくては実感出来ない事と云うのは沢山あると思いますが、それでも自分なりに想いを馳せるとか寄りそうとか、100%ではなくても近い感覚を共有する事は出来ない事ではないと思います。
ただ、経験してさえそれをすっかり忘れ去ったような言動をする人も沢山いますから、学習した事が活きるとは必ずしも云えない、その辺が何とも云えないところだったりもします。

たまに、こう云う人を怒らせるような事がシレっと出来てしまうと云う事は、自分が同じような事されてもどうって事ないんだろうなと云う人が、同じ事をされて怒り狂ったりと云う不思議な言動を起す事がありまして、そう云う人は、実際自分がしている時には相手が怒ると云う事を全く想像出来ていないと云う事があります。
指摘されて初めて気付いたりする訳ですが、こう云う人がここで学習して同じ事を繰返さないかと云うとそうではない。
この手の人って大抵また同じ事をするんですよね。

悪気があるとかないとか云えば、恐らくないのです。
でも自分が同じ事をされると怒ると云う摩訶不思議ですが、これって持って生まれた性質としか云えないような気がします。
悪気があるよりない方が恐ろしい事だと私は常々思いますが、前出のようなタイプは悪気のあるなし以前に、こう云う人だと割り切る以外ないなと云うのが本音です。
多分、こう云った事を学習する能力が欠落している。
性格的なもと云うよりそういう性質、DNAレベルじゃありませんが、そう云う部分で、性格のように環境なんかで変わる事があるものではない気がするんですよね。
私の周囲と云うか知っている人を見ると、大体の傾向があると云うか、こう云うタイプと分類出来て、揃って学習出来ない人ばかり(お勉強は出来ます)。

出来ればお付合いしたくないタイプだし、性格的にも合わないと感じる人が多いので、極力疎遠にしてはいますが、家族とか親戚とか付合いの避けられない状況にいるときっついですね。
こう云う人だと割切れないものが出て来る。
難しいですよ、人との関わりと云うのは……。