日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

荒んでいる

2011年06月29日 | Weblog
気分を上げて過ごして行けるようあれこれやっていましたが、大嫌いな叔母が来ると云う辺りから、雲行きが怪しくなり始めました。
なんでかなあ、何時も何か始めると邪魔が入って上手く行かなくなる。
それもこれも心がけが悪く、そう云う状況を引き寄せている自分に責任があると云われるのでしょうが、そうならないようにしている結果なので、もう何とでも云ってくれと云う心境だったりもします。
何かきっかけがあって巻き返せなければ、ずっと状況は変わらないままと云う事ですよね、幾ら気持ちを切替えてみたところで……。
結局報われないものは報われないのだなとしか思えなくなって来ました。
助けもヒントもなしでひたすら否定だけされ、私の人生、一体誰がジャッジしているのかと思ってしまう。
お願いしなくても、相手から一方的にメッセージが送られて来る人はいいですよね。
それもお叱りまで来ると云う事は、確実に守護されているからで、それは危ないと云う助け船が出ていると云う事です。
何やったって何も云われず、自分がのたうち回る羽目になる人とは大違い。
完璧、淘汰ですよ、これは。

ブログやら何やら文章で今迄気にならなかったのに、どうも鼻持ちならない感じを受けるようになって来たと云う場合、書いている方と読んでいる方、どちらに変化があるのでしょう。
私は自分の書く文章が性格を顕著に表わしているなと云うのは実感しているので、根性の悪いやつと思われているだろうなと思っています。
でも出来もしない事や心にもない事を、例え社交辞令でも相手に云う事はしませんぜ、オレは。
選ばれた人間で、さぞや立派なお役目があるのかもしれませんが、違和感ばかり増して行くと云うか、なぜかそう云う人と出会う事が多いですね。
本人が幸せならそれでいいのでしょうけれど、どうも釈然としません。
大抵不快感を与えている人って、その自覚がないですからね。

まあ何を云ったところで私の心は今荒みきっているので、もうどうにもならないのだろうなと腹はくくりましたが、一筋の光も見えて来ないなんて、どれだけ見放されているのかと思うと、自分の存在そのものに疑問を覚えます。
必要なし、そう断言されているようなものだもの。
息が切れて来ました、ホント……。