史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

佐渡 Ⅰ

2011年09月12日 | 新潟県
前回挫折した佐渡渡航に再挑戦である。
フェリーとレンタカーがセットになったツアーに申し込んだところ、最低二人でないと受け付けないと断られた。相棒を探したが、息子は鉄道研究会の合宿、長女はテニス合宿、次女は大阪の祖父母のところへ帰省と予定が入っていた。やむを得ず正規料金を払って一人で動くことになった。
佐渡へ渡るには、新潟、寺泊、直江津の三港から行く方法がある。前回の新潟行で取りこぼしの多かった上越、柏崎方面を回るため、直江津発着とした。直江津から佐渡の小木港まで片道二時間半の旅である。奇数日か偶数日によってフェリーの発着時間が異なっており、私が選んだ日は昼過ぎに小木に到着し、午後七時半に小木を出るという時刻表であった。つまり佐渡滞在時間は実質的に半日。限られた時間に効率よく史跡を回らねばならない。今回は観光を楽しんでいる時間はない。


こがね丸

気持ちの良い晴天であった。幸いにして波は小さく、フェリーに乗っていてほとんど揺れを感じなかった。しかし油断をしてはいけない。船酔いには人一倍弱い私は、事前に酔い止め薬を飲んで、リクライニング可能な一等椅子席を予約し、万全を期した。


直江津港

フェリーは「こがね丸」といって、五階建てのちょっとしたホテルのような内装の船である。下層二階は自動車を乗せる船倉となっている。乗客のほとんどは自家用車を乗せており、私のように島に渡ってそこでレンタカーを借りようという人はあまり多くないようであった。自家用車を島に運ぶのは非常にお金がかかる。私のように日帰りで往復しようという者には割高である。
フェリーが直江津を出ると、湧き出るようにカモメが現れ、フェリーのあとをついてくる。彼らのお目当ては乗客が投げるかっぱえびせんである。カモメはかっぱえびせんを見事に空中でキャッチする。そのたびに拍手喝采。出発からしばらくはカモメのショーで十分暇つぶしができる。


カモメ


佐渡島

やがて水平線の向こうに佐渡島が現れる。司馬遼太郎先生は「街道をゆく~佐渡のみち」で、佐渡といえば「日本海の荒海の上に浮かんでいる」というイメージがつよいと書いているが、この日は荒海というには程遠い穏やかな天候であった。佐渡は美しい楽園であった。かつて遠流の島だったという過去は極めて想像しにくい。


小木港

小木港は佐渡島の南端に開かれた港である。古くから本土からの物資はここで荷揚げされ、相川街道を運ばれた。

(真野御陵)


真野御陵(順徳天皇御火葬塚)

佐渡島の歴史は流人の歴史でもある。史上、最大の流人は順徳天皇であろう。
真野御陵の祭神は順徳天皇である。この天皇は討幕を企てた承久の乱(1221)に敗れて佐渡に流され、当地で崩御した。
順徳天皇の遺体は佐渡真野山で荼毘に付され、遺骨は京都に持ち帰られて京都大原に葬られた。真野御陵は厳密にいえば火葬塚であるが、当時より地元の民衆に御陵として崇敬を集めていたので、今も宮内庁の管轄下にある。


凛冽萬古存碑

真野御陵の前に一つの石碑がある。嘉永五年(1852)二月、東北旅行の途上、宮部鼎蔵とともに吉田松陰が真野御陵を訪れた。二人は順徳天皇を配流した時の北条執権に憤り、悲憤慷慨の詩を詠んだ。その時の漢詩が刻まれている。

異端邪説誣斯民 非復洪水猛獣倫
苟非名教維持力 人心将滅義與仁
憶昔姦賊乗国均 至尊蒙塵幸海濱
六十六州悉豺虎 敵愾勤皇無一人
六百年後壬子春 古陵来拝遠方臣
猶喜人心竟不滅 口碑於今傳事新
吉田松陰撰

陪臣執命奈無羞 天日喪光沈北陬                          
遺恨千年又何極 一刀不断賊人頭
宮部鼎蔵撰

(真野公園)


真野宮

真野御陵を五百メートルほど下がったところに真野宮がある。祭神は順徳天皇と日野資朝、菅原道真。
真野宮に近い場所に真野公園が広がっている。公園内には文学散歩道が整備されており、道沿いに佐渡に関係の深い文化人の文学碑が立てられている。


司馬遼太郎文学碑「胡蝶の夢」

昨今、「東京ではセミが減った」とまことしやかに囁かれているが、ここでは都会のセミがここに集まったのではないかと思えるほど繁殖している。残念ながら散歩道はほとんど手入れされておらず、雑草が生い茂り、至るところに蜘蛛の巣が張っている。せっかく施設を作ったからには、その維持まで気を配ってもらいたいものである。
散歩道の奥まった場所に司馬遼太郎先生の傑作「胡蝶の夢」の碑がある。石碑には「胡蝶の夢」の冒頭部分が刻まれている。


海音寺潮五郎文学碑

海音寺潮五郎も佐渡を訪れている。怪しからぬことに、石碑を雑草が覆いよく読めない。


司馬凌海漢詩碑

散歩道の入り口に近い場所に司馬凌海(島倉伊之助)の漢詩碑がある。新町の私宅から近所の知人を訪問したときの感懐を詠んだものである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上越 Ⅲ | トップ | 佐渡 Ⅱ »

コメントを投稿

新潟県」カテゴリの最新記事